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太田昌国 『新左翼はなぜ力を亡くしたのか?』

2016-07-18 15:32:17 | Weblog

 「戦後左翼史」はまとめる時間が不足してきているので、しばしお休み。この先は、中国の文化大革命など60年代も佳境に入っていくが、小休止。

 

 『新左翼はなぜ力を亡くしたのか?』(太田昌国氏 関西ルネ研講演記録 月刊『情況』2016年4,5月号)              

 同郷の思想家、太田昌国氏については、このブログで何回か取り上げてきた。ともに育った風土が同じためか、考え方の根っこのところで共感を持てる書き手だと思う。2014.6の『【極私的】60年代追憶 精神のリレーのために』、2013.5の『テレビに映らない世界を知る方法』、2011.5の『新たなグローバリゼーションの時代を生きて』、  2009.9の『拉致対論』(蓮池透、太田昌国対談)、2008.6の『拉致異論』などである。

 この講演記録の原題は、『日本の左翼はなぜ』ということだが、氏は絶滅危惧種である左翼に対して重要な問題提起をしている。太田氏の発した言葉は、僕にとっても大事なものであり、真摯に受け止め考え続けなければならないと思いここに書き留める。

 太田氏は、「1970年代前半に起こった3つの事件、内ゲバ、連合赤軍事件、三菱重工爆破によって、新左翼運動に対する一定の共感が根こそぎ奪われた」(P8)と情況認識を行い、「現代資本主義との関係の中で、あるいは現在の国民国家との関係の中で、われわれが今どのような事態に直面しているか、どこに打開の方向性があるのか」(P9)と提起する。

 はじめに「世界的な文脈」の中では、1922,23年頃に行われた「アナボル論争」を素材にして、「国家権力を獲得するという問題について、どのような観点から考えなければならないか」(P9)と問う。

 クロンシュタットの叛乱、マフノ運動において、「民衆の自己権力を確立することと、ボルシェビキによる独裁を認めるか、認める場合にはどの時点でその独裁は解消に向かうのか、ボルシェビキの独裁を認めないときに、革命をどのように現実化するか」(P11)、「腐敗した独裁体制を打倒した後でその後の社会のあり方をどのようなかたちで再編成していくのか、変革していくのか」が私たちに突き付けられていると言う。

 中国に対しては、「その時々、文革を含む、の革命のあり方をどのように捉えていたのか、それが日本の社会全体の中でどういうポジションを持っていたのか」と、氏自身の思い入れと真実に対する衝撃を吐露する。(P14)

 1991年のソ連邦の崩壊では、「一党独裁の社会主義国家体制が崩れていったあの時の情況をどのように捉えるのか」という問題に対して、左翼は「ソ連は真の社会主義ではないということを拠り所にしてソ連批判を展開しながら、新しい社会のイメージを創り出そうと努力した」が、「客観的には、社会全体の中では、社会主義の理論と実践のみじめな自己破産とあの段階で認定」されていたのである。(P15)

 では、「1991年に崩壊したソ連共産主義とは一体何であったのか」(P16)

 「人々の理想や夢をかきたてた、確かにそれに火を灯した共産主義の行く末に関して調査を行わなくてはならない、その歴史過程を明らかにしなければならない」、「というのは、日本でも頭をもたげ始めた極右陣営に真実を語る特権を渡してはならない」からである。(P17)

 次に、「日本的な文脈」の中では、「日本はアジアで唯一植民地支配を実践した国だが、日本の植民地支配責任ならびに戦争責任問題と左翼はいかに向き合ったのか、言論が自由になったその時代情況の中で、どんな社会主義論を展開してきたのか、社会全体で自己批判も含めた捉え返しもしないまま、戦後過程を生きている」のではないかと問う。(P18)

 「北朝鮮の独裁体制が作り出している恐るべき現実は、金日成の時代から情報として伝わり始めていたが、左翼は黙っていた。反対に韓国軍事政権への批判は徹底的に行った」という「身勝手な選択、論じること、論じないことの取捨選択が、日本社会全体の世論の中で、左翼が浮いていく大きな原因」となった。そこに「憧れとしての、憧憬としての社会主義」という左翼独特の捉え方があった。(P19)

 一方、大衆は、敗戦時満州でのソビエト赤軍兵士の行状から、「ソ連社会主義という現実に対して夢も希望も持っていない、現実はこんなもんだという冷めた目で見ていた」のだ。(P20)

 氏は、「日本ナショナリズムは批判の対象であることは自明だが、左翼にも左翼民族主義があり、近隣諸国のナショナリズムをどのように捉えるかも問題である」「韓国の、北朝鮮の、中国の、どのような人びととだったら、心を通わせて、同じ方向を向いて歩むことができるのかということはきちんとみておきたい、対話の可能性を探りたい、常に目を凝らしておきたい」と言う。(P21)僕も、野党の活路は外交にしかない、ドメスティックでは展望はない、新たなチャンネルを見出せ!と思う。

 最後に、「左翼再生のために」は、ひとつは、「国家権力の掌握をめざすという旧来の革命論から脱却」すべき。「権力の問題を『反権力』あるいは『権力奪取』という問題としてではなく、『非権力』、『無権力』の社会を展望」すべきと言う。(P22)これも僕が言ってきた「無政府主義」ではなく「無権力主義」、人が人に対して、社会が個人に対して最小限の権力的な振る舞いしか許容しない社会と同様の発想と思う。

 二つ目は、「内戦論」「戦争論」の克服である。「民衆解放のための軍事力をどのように考えるのか」、歴史の経験からは「解放軍が容易に抑圧軍に転化してきた」からである。(P23)それに関して、「自衛隊をどのように解体するかという展望を持たなければならない」と言う。(P24)

 おわりに、安保法制、原発など「左翼とは無縁な場所で行われている流動化に対し、どういう新しい芽を見るのか」、「今の運動のあり方にどれだけ発見できるか、これにどこかで加担できるのか、促進することができるのか」が問われている。

 太田氏は、「『左翼』の問題意識を捨てることなく、この新しい情況に相渉りたい」と決意を表明する。(P24)僕も左翼の最後の矜持は、「平和、環境、安心・安全」なんかでは決してなく、「反戦、反差別、反貧困」だと考える。

 

 

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