晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

安倍元首相のロシアより発言と「疑惑の銃弾」

2023-08-05 15:32:21 | Weblog

安倍元首相のロシアより発言と「疑惑の銃弾」 

2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻して以来、この国ではほぼ「一億総ロシア糾弾・ロシア制裁」一色になった。その中で、異色の発言を行っていたのが安倍晋三であり、各マスコミからはほとんど黙殺された。バイデンの逆鱗に触れたのだろう。

以下、安倍元首相の発言

○2022年2月27日、フジテレビ系「日曜報道THE PRIME」での発言。

「プーチンの意図はNATO(北大西洋条約機構)の拡大、それがウクライナに拡大するということは絶対に許さない。東部二州の論理でいえば、かつてボスニア・ヘルツェゴビナやコソボが分離・独立した際には西側が擁護したではないか、その西側の論理をプーチンが使おうとしているのではないかと思う。」

(コメンテーター:まさに、平和維持部隊を送り込もうとしているのはコソボ紛争と似ているところがあると思うのですが。プーチンがNATOの東方拡大について不満を漏らしたことがあったのですか)

「米ロ関係を語る時に(プーチンは)基本的に米国に不信感をもっているんですね。NATOを拡大しないことになっているのに、どんどん拡大しているんです。プーチンとしては領土的野心ということではなくて、ロシアのいるのだろうと防衛・安全の確保という観点から行動を起こしているのだろうと思います。もちろん私は正当化しているわけではありませんし、しかし彼がどう思っているかを正確に把握する必要があるんだろうと思います。」

○202年.5月、英紙エコノミストのインタビューでの発言。

「侵略前、彼らがウクライナを包囲していたとき、戦争を回避することは可能だったかもしれません。ゼレンスキーが、彼の国がNATOに加盟しないことを約束し、東部の二州に高度な自治権を与えることができた。おそらく、アメリカの指導者ならできたはずです。しかしもちろんゼレンスキーは断る」

○2022年6月、日本の週刊エコノミスト誌が「勇ましさに潜む『自立』と『反米』」で安倍発言を論評

「(前出のフジでの安倍氏の発言は)主要7カ国(G7)を中進とする西側民主主義陣営が結束してロシアに経済制裁を科し、ウクライナへの軍事支援を強化するなかで、それに同調する岸田文雄首相に背後から弓を引くに等しい、極めてロシアよりの発言だ。」

知米派の政府関係者は「自分の(ロシアに対する)失態を棚に上げて米国を批判する安倍氏の脳内が理解できない」と憤る。

『紙の爆弾』2022年8月号 孫崎亨「安倍晋三銃撃事件から一年 岸田政権の対米従属と“疑惑の銃弾”の真相」(P4~P9)を参考にした。

そして、2022年7月8日、「疑惑の銃弾」によって安倍氏は暗殺された。ウクライナ侵攻、トランプ訴追、アベ暗殺という現象からどのような権力闘争の構図が見えてくるのだろうか。バイデン政権VSトランプ・プーチン・アベ3人組の闘いであり、バイデンは3人を嫌ったのだ。

 

 

 

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ミシェル・アンリの「内在の哲学」と吉本隆明の思想について

2023-07-23 09:04:25 | Weblog

この3ヶ月間、論文の書き方の指導を受けた。下記の文章は、自分が「今、持っている力を何とかやりくりして全力」(浜田寿美男氏から)で書いたものだ。指導教官はブログを書くことを推奨していた。自分の文章を音読する。他者に読んでもらう。そうすると、文章を書くことに慣れると。

 

ミシェル・アンリの「内在の哲学」と吉本隆明の思想について

ミシェル・アンリ(1922―2002)と吉本隆明(1924―2012)は、ほぼ同時代を生きた人だ。二人を比べると、西洋哲学に抗おうとした点やマルクスとマルクス主義は異なると述べたことなど、論理に共通点がある。だが、アンリは世界との関係を切断した「内在の哲学」を構築した。対する吉本は、世界を対象化しながら世界との緊張関係の中に自己を見出した。そして、晩年のアンリに変化が生じたことを論じる。

1.戦争体験という共通性

二人には、第二次世界大戦という苛烈な戦争(アンリは戦場)体験がある。二人はそれぞれの戦中、戦後において、自分を取り巻く世界が激動する中で、時流に任せて生きるのではなく、いかに自己を確立するか、自己の拠って立つ場所をどこに求めるのかという切実な問いに向き合った。

アンリは、レジスタンス活動に参加し、そこでは常に自分の思考や行動を隠さなければならなかったという経験から、「真理は、(略)内面性、内密性の内にあり(略)文化、政治、経済、社会システム、言語構造など(略)人間の外部にあるものは人間の真理たりえない」と考えた。(1)

一方、「戦時中、学生だった吉本は、読書に基づく徹底した思索の結果、戦争を肯定し国家のために死ぬことも覚悟していた。しかし、敗戦により、自分が確信をもって抱いた死生観は全否定され」(2)、「ある種の放心状態に陥ってしまった」(3)。吉本は、自らの価値観の崩壊を経験した後、思想の再構築に挑み、かつて自分が信じてしまった国家とはどういうものなのか、さらに自分と国家や社会との関係はいかなるものなのかについて思索を展開した。

2.アンリ哲学と吉本思想の分岐点

戦争という共通の体験を経たアンリと吉本だったが、二人の考え方の間には、自らと外部との関係をどう捉えるべきか、そこに大きな分岐があった。

アンリは、自分を取り巻く外部との関係を切断した「私」という存在をあらゆる「存在」の根底に据えた。また、西洋哲学における「事象が現れてくる」とは「対象化されること」だという存在論的一元論を乗り越え、自己意識を「対象化」してはならないと考えた。彼は、私が私自身を直接に感じとる、世界の事象とはかかわらない、客観的、対象的な規定とも無縁な、自己の感情を哲学の基軸に据えた。

吉本は、国家の成り立ちを次元の異なる三つの幻想(観念)から解明しようとした。すなわち「共同幻想」という集団が持つ観念、「対幻想」という二者間の観念、個人の存在の根拠となる「自己幻想」を分析し、それらの相互関係を明らかにしようとした。そして、「国家は共同の幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である」(4)といい、共同幻想はその集団の構成員としての自己にとっては、共同の規範であるとともに縛りやつながりの根拠でもあると考えた。

さらに、「人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている」(5)といい、共同幻想と自己幻想は、すなわち国家や法、宗教などと、それらを構成する個人とは、原理的に対立する関係にあると考えた。吉本は、戦争中に疑うこともなく国家の方針を受け入れてしまった自らの経験や、集団の中で集団が自分の思い通りにならないことから生じる苛立ちなどの原因は、共同幻想と自己幻想の逆立にあるのだと述べた。

「私」という存在をあらゆる存在の根底に据えるという考え方ではアンリと吉本は一致している。アンリは、世界の事象とは関わらない自己の感情を中心において「内在の哲学」を構築した。吉本は、世界を外部性として排除するのではなく、緊張関係(逆立)を孕みながらも世界を認識の対象とし、世界との関係無くしての自己はありえないと考えた。アンリは、事物を対象化せず、事物に対する知覚も捨て、自ずと自己の中に湧き上がる感情に依拠した。ここにアンリと吉本の考えとの分岐がある。

3.アンリのキリストの言葉への接近

世界をすべて「情緒的な主体」との関わりの中で捉えなおしたアンリだったが、その後において、「私たちの『存在の感情』と他者とはどのような関係を持つのか、他者との共生は私たちの『存在の感情』といかなるかかわりを持つのか」(6)、「アンリ哲学は、(略)自己の個体性をよく説明する一方、自己の外、すなわち外在性をどう表しうるのか」(7)という問題に直面した。「私」のうちに沈潜すればするほど、「私」を存在せしめる「何か」との関係が問題として浮上した。

晩年のアンリにとって「私」の存在を支えてくれる「何か」とはキリストの言葉だった。「超越的な現れであるキリストの言葉がその逆説性によって人間の生の条件を思い出させたのだとすれば、中期以前のアンリとは異なる次元で超越的な現れが内在的生に作用することを認めたことになろう」(8)。結果的に、遮断していたはずの世界、否定していた他者との関係が復活してしまった。これは吉本のいう自己と共同幻想の関係、他者性、外部性を否定しきれなかったということではないか。アンリの哲学は初期と後期で大きく変化した。

(1) 村松正隆『授業資料』

(2) 先崎彰容『100分de名著 吉本隆明 共同幻想論』NHK出版、2020年、14頁 

(3) 同前、26頁

(4) 吉本隆明『「共同幻想論」角川文庫版のための序文』、『100分de名著 吉本隆明 共同幻想論』NHK出版、2020年、11頁

(5) 吉本隆明『「共同幻想論」「序」』河出書房新社、1968年、27頁

(6) 村松正隆『アンリとフランス哲学』、『ミシェル・アンリ読本』法政大学出版会、2022年、54頁

(7) 吉永和可『他者と共同体』、『ミシェル・アンリ読本』法政大学出版会、2022年、130頁

(8) 古荘匡義『生の現象学とキリスト教』、『ミシェル・アンリ読本』法政大学出版会、2022年174頁

 

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原武史 『歴史のダイヤグラム〈2号車〉 鉄路に刻まれた、この国のドラマ』 JR北海道 松本清張

2023-07-03 14:09:26 | Weblog

マイナンバーカードを持つことに対する不快感はどこからくるのだろうか。それは、相次ぐ事務ミスだけが原因ではない。免許証は運転をするため、健康保険証は病院にかかるためとそれぞれ目的がはっきりしていて納得感があるが、マイナには所持する切実な必要性を感じない。僕には、在日外国人が日常的に在留カードを持たせられている気持ちに通じるものがあると思う。

 

『歴史のダイヤグラム〈2号車〉 鉄路に刻まれた、この国のドラマ』(原武史著 朝日新書 2023年刊)         

本書は、著者が朝日新聞に連載したコラムをまとめたものだ。皇室、文豪たち、駅弁や駅前食堂などいずれの話題も鉄道に関係している。「鉄学者」と自称するだけに、当時の時刻表を調べ尽しており、行き先、便名、時刻などはきわめて正確だ。これは、著者が高く評価する松本清張の小説における手法に通じている。また、車窓からの景色、車内の乗客の様子、その土地の人びとの様子なども良く書き込まれている。

1コラム、新書3ページという短い文なのでひとつの話題を掘り下げることはできないが、起承転結がはっきりしていて論理の展開が明瞭で、作文やエッセイの書き方の手本になるような見事な文章だ。

そこに鉄路があるから、人々は様々な想いを抱く。鉄道が無くなってしまうと、このような思いを抱くひとや、それを文章にしたためるひともいなくなってしまうだろう。あらためて鉄道はいいなあと思う。

本書を読んでいると、自然に北海道のことを考えてしまう。不採算路線はどうなるのか。新幹線が開通した後に並行在来線をどうするのか。本州と道内を結ぶ貨物列車は存続できるのか。鉄路が廃止された後の代替交通手段をどうするのか。北海道の鉄道には課題が山積していて中々解決策が見当たらないのも周知の事実だ。

鉄道の存続には採算も重要なので仕方がない課題ばかりだが、北海道からレールが剥がされてしまうと、これからは旅情を題材にしたエッセイや物語は生まれにくくなる。時間短縮には最も有効なのは新幹線だが、トンネルだらけの旅は楽しいのだろうか。僕は、それとは真逆の、ノロッコ列車のようなスピードを落として、車窓からの風景をゆっくりと楽しむ乗り方があってもいいと思う。

一度レールを剥がしてしまうと二度と元に戻ることはないだろう。なにか工夫はないのか。素人の思いつきだが、都市間を結ぶ幹線以外のローカル線は。車両を思いっきり軽量化した構造にして、列車スピードも落としたら、線路の整備レベルを低くでき、線路維持の経費を減らせるのではないか。

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松村圭一郎 『小さき者たちの』 水俣 文化人類学

2023-06-13 13:51:20 | Weblog

6月11日18時55分、北海道では久しぶりに緊急地震速報が流れた。「苫小牧沖で地震 北海道 東北で強い揺れに警戒してください」。その後の気象庁からの発表では、「震源地は浦河沖で震源の深さは136km、地震の規模を示すマグニチュードは6.2」と。僕の科学的な浦付けのない直感では、苫小牧沖を避けたかったのではないかと。苫小牧沖ではCCS(二酸化炭素の封じ込め)を実施している。

 

『小さき者たちの』(松村圭一郎著 ミシマ社 2023年刊) 水俣 文化人類学  

著者は、エチオピアを研究のフィールドとする文化人類学者である。僕は、人類学に対して功罪両方のイメージを持っている。「文化人類学の実践も、一歩間違えば、植民地主義的で暴力的な征服と支配の実践なってしまう。」(『「人新生」時代の文化人類学』(大村敬一ほか著 放送大学教育振興会 2020年刊 27ページ)人類学が列強による植民地政策の先棒を担いだという事実がある。この国でも先住民族であるアイヌの墓を掘り返し、骨格の特徴などを研究している。

一方、国家なき社会のイメージを追い求めている僕は人類学の成果に期待を持っている。人類の初源を探求していくことによって、現在を乗り越えるオルタナティブな人びとの在り方、将来社会の構想に繋がるのではないかと思っている。人類学の研究によって「国家なき社会」が見えてくる。

書名の「小さき者」という言葉使いに違和感を抱いた。人々に対する著者の尊大な視線も感じた。僕は、故郷の釧路にかつて暮らした人びと、また今も暮らしている自分と同じ名もなき人びとを指して「小さき者」とは呼ばない。著者のどこか上から目線を感じた。著者によるエチオピア研究の成果は読んでいないが、どのような視点からなのか少し危惧を抱く。市井の人々は小さくも大きくも無い。置かれた環境の中で懸命に生きているのだ。

著者は自身が生まれ育った熊本の過去、現在の人々の生活を知るため、関係文献を読んだという。水俣病患者と関わった石牟礼道子、原田正純、土本典昭、川本輝夫らの著作、天草については森崎和江らの著作である。その結果、著者は本書の『おわりに』で「私は日本のことを、自分たちのことを何も知らなかった。」(P201)と述べる。

フィールドワークが文化人類学の基本的手法なのに、著者が熊本に実際に足を運んで歩き回った形跡はない。ただ、文献を読みその要約と少しの感想を記しているだけだ。そこに、社会のあり方についての展望や問題提起は伺えない。ただ、立ち尽くしているだけだ。もう少し、著者自身の内部で咀嚼してから考え方を表明するべきだったと思う。書籍化は少し早すぎたと思う。

 

 

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「経済クラッシュ」ノオト その13 河村小百合 『日本銀行 我が国に迫る危機』 日銀債務超過 財政破綻  

2023-06-05 14:03:05 | Weblog

1ヶ月ほど、ミシェル・アンリの思想「〈私〉の在りかを探る」について考えていた。スポンジに吸収するような若々しい頭脳ではないが、68歳の春の一時期にひとつのこと没頭できたという経験は、これからもずっと覚えていると思う。

 

「経済クラッシュ」ノオト その13 『日本銀行 我が国に迫る危機』(河村小百合著 講談社現代新書 2023年刊) 日銀債務超過 財政破綻        

○異次元の金融緩和を維持し続けるとどうなる?

・アメリカなど先進国では、2020年には新型コロナで経済が悪化したことに対処するために一時的・緊急的に金利を引き下げた(ほぼゼロ金利)。

・主要国の金利の推移を見ると、2021年頃から経済が回復に向かい物価が急上昇、そのため2022年春頃から金利を引き上げて金融の引き締めを行っている。その中で唯一日本は超金融緩和を維持している。

・お金はリスクを考慮しなければ「金利の低い」ところから「金利の高い」ところへ流れていく。海外の金利引き上げにより、内外の金利差が大きくなり、円を売ってドルを買う動きが加速し、「円安」(2022年春には1ドル=115円が10月には1ドル150円に)や物価上昇(消費者物価指数(前年同月比、上昇率)2023年1月で4.2%)につながっている。さらに海外との金利差が広がると物価がまだ上がる可能性もある。

・現状の異次元の金融緩和をどうするのかについて、日銀植田新総裁は、就任前の本年2月24日に、「(日銀の)金融政策は適切、金融緩和を維持し企業が賃上げできる環境を整える。物価目標2%実現が見込まれる場合には、金融政策の正常化に踏み出すことができる」と微妙な言い回しをした。正常化に踏み出すとはどういうことなのだろうか。

 

○それでは、金利を上げるとどうなるか?

・日銀内田真一副総裁(3月20日就任)は3月29日に、長期金利が2%上昇した場合、日銀の保有する国債に生じる含み損が約450兆円になる試算を示した。

・なお、現在の含み損は2022年12月末時点で約9兆円。これは、長期金利を0.25%から0.5%に引き上げことによって発生した。

・黒田総裁(3月16日)は、国債は、満期まで持つと元本が戻り、利子も付く。すなわち「時価評価をしていないので(日銀の)資産がマイナスになる可能性は極めて少ないと思う」と述べた。

 

○日本銀行(本年3月20日時点)バランスシート

【資産】

国債(約581兆円)・・金利が付かない情況

共通担保オペ(約97兆円)

その他(ETF等)

【負債】

発行銀行券(約122兆円)

当座預金(約534兆円)→日銀が民間銀行から預かっているお金。日銀が民間銀行に利子を支払う(2008年から)

・金利の上昇で国債から得られる利子よりも銀行に支払う当座預金の利子が上回れば赤字(債務超過)になる可能性がある。

・(河村氏)金利を上げないといけない局面になれば、当座預金の金利も上がることになるため、日銀が民間銀行に支払う利子も増え日銀の負担が増える。結果的に日銀は赤字になり債務超過になる可能性がある。

 

○日銀が債務超過になるとどうなるか?(河村氏が指摘する最悪のシナリオ!)

・日銀が、当座預金約534兆円(3月20日時点)の金利を1%上げると、支払う利子が約5.3兆円増える。日銀の自己資本は11兆円なので約2年で債務超過になる!

・債務超過になると、

①中央銀行が赤字になり円の価値(信用)が大きく下がる。

②現状のように国債を買い入れ続けると日銀の財務はさらに悪化する。

③日銀は国債の買い入れができなくなる。

④国債に頼っている日本の財政は破綻する。

 

○日銀が国債を買い入れできなくなると日本の財政はどうなるか?

・2023度予算において、国債の新規発行額は約36兆円、歳入の31.1%を借金に頼っている。(僕の補足:この国の現状を家計に例えると収入の3分の1を新たな借金に頼り、過去の借金の返済をしながらも借金残高が増えている状態にある。サラ金地獄状態なのだ。)

・(河村氏)このような情況になれば、政府は国債発行額を減らさなければいけなくなる。いや最悪の場合、新規発行は一切できなくなる。そうなると財源が無いので社会保障や防衛費などのすべての予算を一律4割カットしないと収まらない事態になり得る。(僕の補足:そこに待ち受ける情況は、敗戦時の日本経済のような混乱だ。)

 

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「経済クラッシュ」ノオト その12 河村小百合 『日本銀行 我が国に迫る危機』 アベノミクス 異次元金融緩和 日銀国債買い入れ

2023-04-22 15:55:49 | Weblog

韓国は究極的な事態になった時に、日本と北朝鮮のどちらを信頼するだろうか。台湾も同じく米国と中国のどちらを信頼するだろうか。この国は“アジアの片隅でこのままずっと生きてゆくのだと思うのだがー”。

 

『日本銀行 我が国に迫る危機』(河村小百合著 講談社現代新書 2023年刊) 「経済クラッシュ」ノオト その12 アベノミクス 異次元金融緩和 日銀国債買い入れ      

国の借金が1,000兆円を超え巨額に膨れ上がっている情況にもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻に便乗した異次元の防衛費増でアメリカから兵器をバク買い、いまだに中味が明らかになっていない異次元の少子化対策、高齢化で膨らむ社会保障費・・と国家予算は国債発行に財源を依存しながら増額を続けている。本当にこの先は大丈夫なのだろうか。

この疑問に正面から答えている良書が刊行された。著者は、日本総研主席研究員、4月5日のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に出演して日本経済に警鐘を鳴らしていた。4月8日には黒田東彦日銀総裁が現状に対する反省も危惧を示すこともなく「開き直り」退任した。

以前このブログで、財政危機とその対応について、「経済クラッシュ」ノオトとして書いた。その1から4まで(2020.6.4、6.5、6.8、6.11)は、荒和雄著『預金封鎖』を、その5(6.18)は、野口悠紀雄著『戦後日本経済史』、その6と7(7.13、8.5)は、山田順著『コロナショック』、その8(8.11)は、山中恒著『戦争ができなかった日本』、その9(8.26)は、東京新聞・中日新聞経済部編『人びとの戦後経済秘史』をそれぞれ参考に述べた。その10(9.2)は、9までのまとめをした。さらに、その11(2021.12.30)では、西川祐子著『古都の占領』を参考にした。

 

○では、現状はどうなのか。

・日銀が買い入れた国債は2022年度で135兆9,890億円(単月では2023年1月に23兆6,902億円)と過去最大。日銀の国債保有割合(2022.12末時点)は、政府発行額の52%でこれも過去最大。

・日銀による国債買い入れ額の推移は、2010年度から2012年度は約20兆円レベルだったが、第2次安倍政権になってからの2013年度以降は買い入れ額が増加し、2013年度約88兆円、2022年度は約135.9兆円に達している。

・国債買い入れ額増加の理由は、2013.4に就任した黒田東彦日銀元総裁が進めた「金利を下げて経済を良くする」という異次元緩和政策、2016年からはマイナス金利政策⇒日銀が国債を大量に買い入れ金利を低く抑え込んだことによる。

・そのねらいは、低金利にすると企業がお金を借りやすくなる→業績up→景気や賃金が上昇するというものだった。

 

・(河村氏)“異次元の金融緩和”について、確かにこれだけの規模の金融緩和を必要とする時期(2013年当時のデフレ脱却時)はあった。だが、大規模な金融緩和を続けているのは先進国では日本だけで、今はデメリットの方が大きい。

*(河村氏)結果的には、成長戦略が失敗し賃上げも進まず、そのため消費も増えなかった。2年で2%の物価上昇があった2014年は政策転換のチャンスだったが転換できなかった。その理由は、アベノミクスは失敗でないという政治的圧力のためである。

*(僕の考え)かつて日本はこの戦争は絶対勝つ、バブル経済は崩壊しないなどの希望的観測や根拠なき楽観論に依拠して失敗した苦い経験をしている。日銀による国債の買い入れと赤字国債の発行はともに戦後日本経済の禁じ手だったはずだ。これが破られてから久しいが、必ずやしっぺ返しを食らう時が来るのではないか。

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2023.4.3 札幌市長選挙感想 五輪招致に変化 暗黙の了解 

2023-04-16 16:01:02 | Weblog

これまで自ら民主主義を毀損してきたのに、政治家が狙われると「民主主義の破壊を許さない」などのコメントをヌケヌケと発する。よく言うぜ!そのコメントが政治不信を増幅する。でも、なんか山上氏に似ているって。

 

2023.4.3札幌市長選挙感想 五輪招致に変化 暗黙の了解 

僕の推測では、今回の札幌市長選挙を終えて一番ホッとしているのが現職の秋元氏ではないかと思う。

なぜなら、誰が見ても無理筋の五輪招致にブレーキを踏むことができるようになったからだ。マスコミ報道を見ても、この市長選挙が終った途端に2030年招致をめぐる論調が一変した。また秋元氏の発言のトーンも変わった。僕には、五輪反対を掲げた2人の候補の得票が予想より多かったので秋元氏が渋々考えを変更したようには見えない。選挙結果はおおよそ想定の範囲だったはずだ。

秋元氏は、東京五輪にまつわる汚職事件などから本心では五輪開催に疑念を持っていたのではないか。だが経済界からの支援を受けるなど立場上推進を掲げなくてはならなかったと思う。対立候補の高野氏は同じく南区長を務めるなどした市役所後輩だ。一定の信頼があるはずだ。素性のわからない候補が出てきてかき回されるより高野氏の方がいい。そこで反対世論の受け皿として高野氏に立候補を秘密裏に要請した。いや、はっきりとした要請ではなくても、両者の間には暗黙の了解があったのではないか。

僕から見て、高野氏が本気で当選しようとしているように見えなかった理由は、財政畑出身と言いながら、地下鉄の手稲、清田延伸や公共事業の拡大など大風呂敷を広げた公約だ。あえて秋元氏が財源問題で批判できるようにスキを作ったのではないか。また、あえて秋元氏を利すために五輪反対で一致していた共産党候補と共闘することを拒んだ。選挙運動を終えた後の高野氏の「負けます」「明日から市民に戻ります」「一石を投じることができた」などのコメントとすがすがしい表情から自分の役目はここまでとの印象が残った。

今回の選挙で、僕らは秋元氏と高野氏の阿吽の呼吸による出来レースを見せられたのではないかと思う。ここまでの推測は、今後の高野氏の処遇、氏がどのような身の振り方をするのかを注視すればわかると思う。

 

 

 

 

 

 

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樋田毅 『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』 朝日新聞 旧統一教会 原理研究会 安倍元総理暗殺事件 立命館大学国際平和ミュージアム      

2023-04-09 10:23:25 | Weblog

テレビは視ない。ラジオは元々聴かない。新聞も止める。ネットももう見ない。本も読まない。物欲も捨てる。もろもろの関心を断つ。他者とは当り障りのない会話をフワッとする。枯れ木のように立っていたいと思うが、真逆の世界に僕はいる。

 

『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(樋田毅著 岩波書店 2018年刊) 朝日新聞 旧統一教会 原理研究会 安倍元総理暗殺事件 立命館大学国際平和ミュージアム      

本書は、昨年(2022)年7月8日に安倍晋三元総理暗殺事件が発生したことによって、再度読まれるべき本である。1987年5月3日朝日新聞阪神支局が襲撃された赤報隊事件の実行犯がα教会、α研究会と表現されていて名指しこそされていないが、明らかに旧統一教会、原理研究会の犯行だった可能性が濃厚と示唆がされている。

本書が刊行された2018年2月時点では現在ほど旧統一教会に世間の関心が集まる情況に葉なかった。それが一転して昨夏の安倍暗殺以降、容疑者とされている山上氏の動機が、母が旧統一教会の信者となり多額の献金をしたため生活が崩壊したことによる恨みによると報道されて以降、旧統一教会がクローズアップされたのは周知のことである。

1987年5月3日憲法記念日の夜、朝日新聞の記者二人が何者かに突如、散弾銃で殺傷された阪神支局襲撃事件。筆者は元朝日新聞記者で「記事は書かなくていいから、真相を明らかにせよ」との使命を与えられ、発生当初から取材チームに加わり事件を追い続けてきた。本書はその追跡の軌跡である。

赤報隊の犯行声明文などから当初は右翼(新右翼)による言論テロが疑われた。しかし、右翼組織には3年間に7回もの事件を起こすことのできる実力がないことが判明してきた。では、α教会(旧統一教会)、α連合(原理研究会)が朝日新聞を標的にする動機は何か。当時、朝日は霊感商法を批判するキャンペーンを行っていて、それが旧統一教会の活動にダメージをもたらしていた。

本書の中で、旧統一教会と自民党の結びつきによって、捜査が政治的に妨げられたことが書かれている。これについて僕らは、昨夏からの旧統一教会と自民党の繋がりの歴史に焦点があたったおかげで、なるほどと納得できるものがある。30年前に起こった未解決事件の形跡を辿っていくと旧統一教会に繋がるのである

僕は数年前に立ち寄った立命館大学衣笠キャンパスにある国際平和ミュージアムで、この事件で散弾銃により銃撃され亡くなった小尻記者が着ていたワイシャツを見た。シャツ全体が血だらけで、小さな穴がたくさん開いていた。散弾を浴びて開いた穴。とても強い印象を持った。しばらくその場を動けなかった。

 

 

 

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〈私〉とはどのようなものか その3 主体性 自己責任 偶然 所与

2023-04-03 09:37:34 | Weblog

エスコンフィールド北海道が本格稼働した。プレイベントのコンサートをTVで視たが、大型ビジョンと音と光を駆使した演出効果は異次元に感じた。これを見た集客力のあるアーティストたちはエスコンでコンサートをやりたいと思ったのではないか。一方、考える時間が数年間もあったのに黒カーテンで半分に仕切ることしか思いつかなかった札幌ドームは、想定以上に大型イベントから見放されるのではないか。建設費の償還も続いているようだし、地下鉄東豊線の乗客数も減るだろう。失政のツケは膨らんでいく。

 

〈私〉とはどのようなものか その3 主体性 自己責任 偶然 所与    

(その2)では、他者が精一杯の自己表現を行っても私はその人のこと全てを知ることができない。逆に、私が知りえる限りの自分を他者にぶつけたとしても、私の全部を知ってもらうことはできないだろう。それは、私が私のこと全てをわかっていないためだろうと述べた。

(その3)私が私のことを自分で主体性を持って決めることができることと、偶然の結果として私のことが決められてしまうことがあると思う。私は1954年に釧路市で生まれたが、その時代にそこで生まれたことは自分で決めたことではない。20世紀の半ばに、世界の中の日本という名前の国で、ある男とある女(両親)の間に私が生まれてきたのは、偶然の積み重ねであり自分で選択できたことではない。

その後の私の成長過程にあっても、例えば高校や大学、就職など節目を振りかえって見ても、自分ではそこにあったいくつかの選択肢の中から自分で決めたと思っていることでも、その時の成績、成績も自分の努力だけではなく、自分の頭の構造、生来の能力、家庭や学校の環境、地域の情況など様々な所与の条件の中での選択だったと思う。

「〈私〉とはどのようなものか」と問うたとき、私はひとつひとつの選択に対して主体性を持って決断してきた自己責任を持った存在であるとともに、出自から始まる自分ではどうすることもできないような所与の環境の中で生きてきた存在である。私は、私自身で選択したことと与えられたことの二項対立の間で生きてきた存在といえよう。

 

 

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〈私〉とはどのようなものか その2 採用試験 履歴書  

2023-03-25 09:50:09 | Weblog

ようやくWBCの大騒ぎが終ったようだ。サッカーワールドカップと同じテイストがした。今のテレビ番組からワイドショーとバラエティとスポーツを除いたら何が残るのだろうかと思う。新聞も売れなくて経営が崖っぷちにあるが、テレビも若者にはすでにそっぽを向かれている。マスコミは人気の就職先だがこれからはどうだろうか。僕は、絶滅危惧種のように見えるが独自の姿勢を貫く小さな出版社の仕事に希望を持っている。

 

〈私〉とはどのようなものか その2 採用試験 履歴書  

(その1)では、世界は私とともにあり、私とともに終わるだろうと書いた。私は、舞台の主役であり、私を囲む人たちは私劇場の登場人物にすぎないのだと。だが、私は広大に広がる砂丘の中のたったひとつの砂粒のような存在の思えるとも述べた。

(その2)かつて働いていた頃に社員採用試験に携わったことがある。受験者の合否を判断する材料は、履歴書、健康診断書、志望動機などが書かれたペーパー、そして筆記試験と短時間の面接だった。これらから受験者がどういう人物かを判断し、雇い入れることが会社のメリットになるかどうかを決めるのである。もちろんこれは受験者の人生をも左右する責任ある業務だった。

承知のとおり履歴書には、氏名、年齢、性別、出生地、出身学校、職歴、賞罰、課外活動、趣味などその人の係るアウトラインが書かれている。健康診断書からは、職務に耐えられる身体状況かを判断する。志望動機のペーパーからは、職務に対する関心、意欲、さらに論理構成力、誤字脱字の有無などがわかる。常識試験や専門試験では知識の取得状況、面接では人物評価を行う。だが、僕は、これらの手続きを進めてもその受験者のことをほとんど把握できなかった。みんな仕事に前向きで、情熱を持っているように見えるし、面接試験対策などしっかり準備してきていた。よくわかなかったが、決めなければならなかった。「〈あなた〉とはどのようなひとなのか」という問いに答えは得られなかった。

立場を逆転してみる。もし僕が受験者であったなら、私とはこういう人間なのだということを伝えきれただろうか。僕も気合を込めて自己アッピールをしただろうが、採用する側は僕の一部分しか掴むことはできないだろう。この方法では「〈私〉とはどのようなものか」ということを伝えることができないということだ。

〈あなた〉とはどのようなひとなのか、と問うてその答えは中々得られず、であれば反対に〈私〉とはどのようなものか、と自分に問うたとしても〈あなた〉のことすらわからないのであるから、まして〈私〉のことなどそう簡単にわかるはずはない。

 

 

 

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〈私〉とはどのようなものか その1 舞台劇 北辰病院 砂粒 

2023-03-16 14:40:35 | Weblog

3月14日は、北海道日本ハムファイターズが新しいエスコンフィールド北海道で初めての試合(オープン戦)を行いテレビ報道などはこの話題一色に染まった。一方で同じ日に、日ハム移転後の活用として札幌ドームをカーテンで仕切り規模を小さくして使うという方策が発表された。この札幌市の明と暗を印象付けられても構わないというような公表タイミングのセンスの無さに驚いた。

 

〈私〉とはどのようなものか その1 舞台劇 北辰病院 砂粒

今年の春のテーマを「〈私〉とはどのようなものか」と掲げてこれから数カ月間考えてみようと思う。もちろん正解なんてない難問だろう。考える過程を楽しもうというものだ。

僕には子どもの頃からずっと消えないひとつの幻想を持っていた。それは、僕の見ているこの世界、僕の生きているこの世界は劇が進行しているのであり、僕はその舞台上にいるのだ。僕の周りの人たち、家族や友人、教師、街を歩いている人々など僕が見ている人たちはその劇の登場人物なのであり、見えている風景は僕の目の前だけに精巧に作り込まれた舞台セットなのだ。人々は、僕と接触している時だけのその人物を演じているのであり、僕が眠って居る時、いや僕が見るのをやめた瞬間には舞台裏に隠れその動きを止めているのだ。いざ僕が眼を覚まし活動を始めると、僕の意識がなかった間にもずっと活動を続けていたかのようにリセットした人物たちが舞台上に再び登場しているのだ。こんなカラクリ仕掛けの世界に自分は生きているのかも知れないという思いを完全に否定しきれずにいた。

それが、ちょうど20歳、虫垂炎で生まれて初めて入院を経験した時のことだ。そこは北1条通りに面した北辰病院。8月のある日の夕方、病棟の端っこの廊下の窓からぼんやりと外を眺めていると、沈んでいく夕陽の中で帰宅を急ぐ車や道往く人々を見ていたら、このまま自分がこの世界からいなくなったとしても、きっとこの世の中はいつもと同じように動いていくのだろうなと思った。それは、それまで抱えていた僕が世界の中心にいて僕が死んだら世界が終る。僕がいなくなった世界は存在するわけがないというかすかな幻想が消えた瞬間であった。

〈私〉とはどのようなものか

多くの人々の中にあって〈私〉はそのうちの一人であり、どうってことのないちっぽけな砂粒のような存在なのだろう。その考えをそれはそうだろうと肯定する自分もいるが、それではあまりにも虚しいではないか、せっかくこの世に生まれてきたのに、自分にとってはかけがえのない自分なのにと思っている自分もいる。

 

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エスコンフィールド北海道 

2023-03-13 13:03:12 | Weblog

エスコンフィールド北海道

 

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白鳥潤一郎、高橋和夫 『世界の中の日本外交』 日本占領 冷戦 日米パートナーシップ 同盟 

2023-03-08 14:05:55 | Weblog

「女性の働きやすさ」ランキングで日本は下から2番目、最下位は韓国。この情況を打破するため立憲民主党は女性を党首にするべき。辻本、蓮舫、西村・・いやいや新人ながら代表質問を担った肝っ玉の据わる大築紅葉(くれは)を起用したらブームを呼ぶぞ。足らざるは皆で補え!

 

『世界の中の日本外交』(白鳥潤一郎、高橋和夫著 放送大学教育振興会 2021年刊)    

第4章「日本とアメリカー同盟国の絆と摩擦」要約ノオト

1.日米関係―変わるものと変わらぬもの

世界の多くの国にとって、アメリカとの関係は何らかの意味で最も重要な二国間関係である。戦前の日本にとってもアメリカは縁のある国であった。

2.日本占領

1945年8月、日本の「敗戦」は日米二国間の関係を決定的に変えた。日本の占領は事実上アメリカの単独占領、また天皇と日本政府を通じた間接統治という形となった。占領初期から中期にかけて行われた改革の主たる目的は日本の非軍事化と民主化に置かれた。さらに最大の占領改革であり、その後に大きな影響を与えたのは日本国憲法の制定である。

占領の潮目が変わったのは1947年である。冷戦が始まる中で早期講和への動きは頓挫し、アメリカは占領政策を転換した。日本は無力化すべき旧敵国ではなく冷戦下のパートナーとして育成する対象となり、経済復興を重視する方向に重点は移っていくこととなった。

3.日米「パートナーシップ」の形成

1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約が締結された。同日には日米安全保障条約も締結され、米軍は日本に駐留を続けることになった。独立直後の日米関係の実態は、日本がアメリカにほぼ一方的に依存した関係として捉えられる。「ドルと核の傘」とも言われるように、日本は西側陣営の一員として経済・軍事の両面でアメリカの庇護を受ける対象であった。

日米間には解決すべき大きな戦後処理の問題も残されていた。政治的に特に重要だったのは安保改定と沖縄の施政権返還であった。日米関係は、講和後約20年をかけて、日本の一方的な依存関係と講和の代償を解消し、アメリカの政策を日本が補完・代替するパートナーシップへと変容していく。この間、アメリカの対日認識は「中立日本」への懸念から「大国日本」への警戒に転じることとなった。日米の相対的な経済力の差が埋まり、アメリカは徐々に日本に様々な負担分担を求めるようになっていく。

4.世界で最も重要な二国間関係?

1980年代を通じて日米両国の関係を「同盟」と表現することが日本国内で受け入れられていった。冷戦終結によって両国内で「平和の配当」を求める声が高まったこともあり、日米同盟は一次的に「漂流」とも言われる状況に陥った。しかし、1996年4月の日米安保共同宣言に結実する日米安保再定義を経て、日米両国の同盟関係は深化することとなった。

5.冷戦後の日米関係

日米同盟は2021年で発足から70年となる。この間、同盟は深化を遂げ、日米間の協力関係も重層的なものとなった。だが、アメリカがヒト(在日米軍)を提供し、日本がモノ(基地)を提供するという根幹は変わっていない。

 

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大下英治 『安藤昇 侠気と弾丸の全生涯』 高倉健 横井英樹 嵯峨三智子 ヤクザ 博徒 

2023-02-23 16:20:43 | Weblog

プーチンの許すことのできない犯罪的な侵略を除いてあえて片面的に見る。バイデンがキーウ電撃訪問しウクライナ支援を約束。小出しの支援にゼレンスキーは本心から感謝しているだろうか。口には出せないだろうが、戦いを止めるに止められない袋小路に入ってしまい、米国にコントロールされた戦争をやらされていると思っていないだろうか。

 

『安藤昇 侠気と弾丸の全生涯』(大下英治著 さくら舎 2021年刊)高倉健  横井英樹 嵯峨三智子 ヤクザ 博徒  

BS12チャンネルで年末から高倉健の出世作『網走番外地』が放映されている。この映画のほとんどのセリフは「てめえ、この野郎!」だ。東映の俳優陣がヤクザに扮して粋がっているが、ヤクザの親分役で出演している俳優安藤昇は流石に本物の元ヤクザだ。全身に漂わせている迫力が全く違う。

本書は、安藤の生まれた時から裏道街道まっしぐらの人生を描く。少年院を出た後、予科練で特攻隊を志願したが敗戦。戦後の混乱を極めた中で、法政大学を除籍、愚連隊で暴れ安藤組を結成し社長(組長)に就任。部下に横井英樹銃撃を命じた罪で逮捕収監される。後に横井はホテルニュージャパンの火災事故を起こす。あの時、殺しておけばと後悔する。安藤組解散。映画俳優、ベストセラー作家として活躍した。

安藤昇に興味があったのは、僕が高校生だった頃、元縁戚の女性が安藤の付き人だったと言っていたからである。その時、嵯峨三智子の名前も聞いた。もしかしたら本書の中にその女性について書かれているかも知れないと思った。本人かどうかはわからないが、1か所だけ付き人が登場する箇所があった。

(P459要約引用)「安藤に付き人、鞄持ちとしてお供した。土日は競馬場へ行くのが常だった。鞄の中に現金1千万円が詰まっていた。それを無くなるまで賭けてしまう。しかし、翌週には現金が補充されていた。桁外れの金銭感覚だ。」と語っているところがあった。

本書も田中清玄に続き、血湧き肉踊るエンターテインメント作品だ。面白かった!星★★★★。読んでいてワクワク感が止まらなかった。

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徳本栄一郎 『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』 唐牛健太郎 オットー大公 岸信介 田岡一雄 児玉誉士夫

2023-02-19 09:38:48 | Weblog

アポ電を受けた方から聞いた話。ナンバー表示を確認せず電話にでてしまったが、相手の声は誰なのだろうかと考えると同時に頭の中は自分の知っている人の声に似ている、だからその人に違いないと決めつけようという気持ちが自然に働くというのだ。ここに騙されるポイントがありそうである。結果は、話をしているうちに疑問がわいて事なきを得たそうだが、スレスレだ。

 

『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』(徳本栄一郎著 文芸春秋 2022年刊) 

近くの図書館の新刊コーナーから借りた。ご存知田中清玄の破天荒な一生を描いた血湧き肉踊るエンターテインメント作品だ。面白かった!星★★★★。読んでいてワクワク感が止まらなかった。久々のことだ。

本書は清玄氏の一生を追いかける。北海道七飯町生まれ、会津藩につながる。戦前は武装共産党のリーダー。獄中で「転向」。敗戦後すぐに昭和天皇に拝謁し、天皇を守るために働くことを誓う。変電所を破壊しようとする日共に対しアウトローたちを電源防衛隊として組織して闘う。1960年安保では長州出身の岸信介らと対峙した唐牛健太郎(北海道紋別市生まれ)全学連委員長らに逃走資金を援助。1960年代にその後のオイルショックを見通す中で中東における国産石油の採掘権を獲得。晩年は環境活動家。

新自由主義経済を唱えるハイエク氏と交流、オットー大公を通じて欧州の独自情報を昭和天皇に伝えるなど、傍から見ると右翼なのか左翼なのか、何が何だかわからなく見えるが、清玄氏の中では全くブレていない。この国のために働いているのだ。これと思ったら相手の懐に飛び込む。相手を惚れ抜く。噓をつかない。約束を守る。

山口組の田岡一雄とはマブダチだが、児玉誉士夫は売国奴であり許すことができない。日米安保条約は国を売る行為だから岸信介は許せないが、唐牛健太郎らブント全学連の安保反対闘争は国を守るためにやっているのだから可愛がった。そこに長州対会津の怨念も混じっている。日共はソ連に国を売っている。石油メジャーの言いなりではなくこの国自前の油田を開発し自主エネルギーを持つべきだ。岸信介を許せないという清玄氏はおそらく統一教会と岸信介の関係も知っていたのだろう。何がこの国にとって正しいのか、そして何をするべきなのか、その義に純粋に本気で殉じた人物といえよう。

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