へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

話せばわかる?

2008年03月02日 04時31分25秒 | Weblog
「話せばわかる」と言うことがよく言われるのだが、それは「相手によりけり」ではないだろうか?。
いくら話しても話が「平行線」をたどるばかりか、「かえって溝が深くなる」と言う事だってある。
ましてや、相手が「難癖を付ける」と言う状態では、「話せばわかる」などと言う言葉は何の意味も持たなくなってしまう。
今の民主党が正にその状態で、「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」と言う状態で、「水掛け論」と言うか「もぐら叩き」と言うか、一国の政治を担う人のすることとは思えないことをしている。
責任の一端は自民党にもあることは確かなのだが、それ以上に、それを支持する有権者がいると言う事が不思議でならない。
根底には「何が何でも自民党のする事に反対」と言う考えしかないようで、「話し合う」と言う気持ちなど微塵も見られないのだが、これは或る程度「仕方ない事」と言う一面もあるのではないだろうか?。
多少こじつけの部分は有るが、政治の世界の「与党と野党の関係」は、スポーツの世界の「一位と二位の差」と同じ様な物と考えるれば説明がつくのではないだろうか。
たとえ「写真判定」であっても、一位の記録は後世に残るが、二位の記録は「表舞台」には殆ど出てこない。
42.195キロを走り終えたとしても、その結果がたった1ミリの差でもあれば、二位は所詮二位でしかないために、多くのランナーは一位を目指して過酷な練習に励むのである。
或る選手が「一位以外は二位もビリも同じ」と言っているように、一位と言うものにはそれ程大きな意味があるために、政治の世界でも「責任政党(一位)」を目指して、様々な駆け引きがおこなわれ、その魅力に取り付かれた結果「絶滅危惧種?」同然となった、かつての社会党(現在の社民党)などが良い例ではないだろうか?。
アメリカの大統領予備選挙でも、指名争いでオバマ候補とクリントン候補が同じ様な事をしているように、政治の世界もスポーツの世界と同じ様に、所詮は「一位(覇権)争い」をしているに過ぎないのではないだろうか?。
「成熟した現代社会」には、「本当の意味の政治」など必要なくなってしまったのかもしれない。
この事は、我々人間の成長と重ね合わせて見ると良くわかるのではないだろうか?。
子供から大人になる頃までは、学ぶ事も沢山あったが、年とともに学ぶ事が少なくなり、その代わりとして「趣味や娯楽」と言うものが増えるのと同じようなもので、国をあげて取り組まなければならないような「重要な案件」が無くなった為に、「重箱の隅をつつく様な状態」になってしまったのだろう。
「どの政党が政権を取っても大同小異」「政策論争と言うより足の引っ張り合い」などと言う状態が、「投票率の低下」と言う結果を招き、「無党派層」どころか「政治に無関心な人」を増やす結果になっている。
投票率の低下=政治不信、と考えるべきであろう。
コメント (2)
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若年性認知症

2008年03月01日 03時29分55秒 | Weblog
昔は認知症などとは言わず、単に「ボケ」と言っていたのだが、言い方が変わっただけではなく、40代50代の働き盛りの人にまで認知症が広がっていると言う。
昔もいたのかもしれないが、その数は社会問題になるほどはいなかったはずで、認知症全体を見てもそれ程数は多くなかったように思う。
実際の話し、介護保険制度自体も「身体の介護」を主な目的に作られた物で「若年性認知症」ばかりか、認知症自体に対する介護はあまり考慮されておらず、介護の現場で混乱が発生している。
科学技術の発達により、次々と新しい便利な物が開発されているのだが、その事が本当に人類の為になっているのだろうか?。
50年前と比べれば、科学技術だけでなく医療に関しても飛躍的に発達してはいるのだが、その事が新たな病気の原因になっては居ないだろうか?。
花粉症などのアレルギーは余り聞いたことが無く、「サバを食べて蕁麻疹になった」と言う程度しか記憶にないのだが、最近では様々な食品によるアレルギーが問題になっており、主食のお米でアレルギーを起こす人も現れ、つい最近も「カニとエビによるアレルギー」が増えたため、カニやエビ由来の成分を含む食品は表示する事が義務付けられた。
また、認知症に限らず「若年性○○○」と言う表現の病気も増えており、更年期障害も重症になる人が多いようであるが、近所の80代のおばあさんに言わせると「更年期障害になるのは裕福な家の人で、貧乏人は更年期障害なんて気にしている暇なんてなかったよ」と言うのである。
「病は気から」と言うように、病気によっては気の持ち様で症状に変化が出ることもよくあることだが、最近のように便利な世の中では、便利な製品に頼る「依存症的生活」をしている人が多いので、精神的に弱くなってしまったように思うのだが・・・・。
これはアクまでも私の「独断と偏見」に元ずくものであるが、認知症が増えたのは、電卓、ワープロ、TV,携帯電話、便利な電化製品・・・・・・と、あまり脳を使う必要がなくなったために「脳の一部が退化」して起きるのではないだろうか?。
そしてもう一つ気になることがあるのだが、それは、認知症になった人の性格が「気が強くて自己主張が強い人」に多いように感じてならない。
私の周辺で認知症になった人の多くが、まさに当てはまるのである。
全ての人がそうだと言うわけではないが、認知症になって本来の性格が顕著になると、本人が自覚していないだけに介護するのが大変だと言う。
昔のようにある程度の年になってから認知症になった場合は、体力的に衰えているのだが、最近のように若年化してくると、体力が衰えていない分介護する側は大変である。
介護施設でも、「介護する側が体力的について行けない」と言う問題が起きていると言のだが、財源の確保(介護保険料の引上げ)が難しい為に、手の打ち様がないと言う。
医療を含む福祉関連の事業は、何処も同じ様な問題を抱えて四苦八苦しているのが実情で、将来的にも楽観は許さない状態である。
コメント (8)
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