牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

豊かな身を結ぶ

2016-12-20 18:05:27 | Weblog
ヨハネの福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
死ねば豊かな実を結ぶ。麦の種を棚の上に飾っていても、決して芽を出し、豊かな実を結ぶことは無いように、人生も同じことです。
イエス・キリストは、マタイの福音書16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。と教えました。
いのちを失う=一つは文字通り死ぬことです。アーメンと信じる時、永遠のいのちが与えられるので、死んでも天国です。そして、その死を通しても多くの人が救われます。2年7ヶ月前に召された妻は、余命一年を宣言され、病の身体で実家の出水市まで行き、ホテル結婚式チャペルで、姉弟家族30名がアーメンと信じ、病床で5名が洗礼。看護師3名と葬儀社員5名も受け入れる祈り。召天式の朝、78差異姉、70歳弟夫婦、65歳次弟、長男義母5人が洗礼を受け、クリスチャンとして召天式参列。
もう一つは自我に死ぬことです。自我とは、肉の欲と情の塊です。本質的に自分の事だけの我です。その事をガラテヤ人への手紙は本質的解決を教えています。
自我の死=ガラテヤ書2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

情と欲の死=5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉に従う生き方を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
どうにも抑制できない感情に死に、自制できる喜びと楽しみ人生です。

この世=目の欲、肉の欲、所有物の誇り=6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

昆布やカツオがいっぱいいても、海に昆布だしやかつおダシが出ないのは、昆布やカツオが生だからです。切られて干され、カラカラになると初めて味が出るようになります。今日、大分から届いたシイタケもそうです。
人生で干されるのはいやです。でもそういう経験で生きた人も大勢います。辛いままで人生を終わらせる必要はありません。干されカラカラになると味が出てきます。後期になれば、高貴、光輝、香気、幸喜、好機。良い味わいの人生を体験するだけでなく、そこにいるだけで味が出る、幸せを提供できるようにな留人生でありたいものです。
不平不満や、怒りや憤慨を蒔き散らさず。平安と感謝、信仰。希望、愛の香気が香る、クリスマスと年末を年齢、性別に関係なく過ごし、すばらしい輝く年末を、多くの実を結び続けたいものです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

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