牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

拒絶ではなく

2017-08-02 19:07:24 | Weblog
マタイの福音書15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
信仰のあるところに、すばらしいことが起こります。このことばは、スロ・フェニキアの婦人に語られたイエスキリストのことばです。
マタイの福音書15:21-27 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
イエス・キリストは彼女の信仰に感動し、ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
彼女には愛があった。愛があったので彼女はイエス・キリストに近づき、愛があったので沈黙と冷淡な取り扱いにも耐え、するイエス・キリストに願い続けました。愛があったので、イエス・キリストの言外にこもる愛を感じ取っていた。彼女の心を動かしていたのは、娘への愛であり、愛はすべてのもののうちで、最も神に近いものです。
彼女には信仰がありました。信仰はイエス・キリストに触れて成長し、ひれ伏して礼拝し、願いが祈りなった。
また彼女には、どんな事にも落胆しない不屈の信仰がありました。信仰は期待です。望みの忍耐です。彼女には明るさがあった。最高に深刻な状況であり、イエス・キリストのことばも態度も拒絶そのものでした。しかし、彼女には愛と信仰があり、希望が輝いていたので、何か陽気な気分、明るく笑って暗さを払いのけてしまう信仰がありました。暗いくらいと嘆くより、太陽の輝きへ一歩でも踏み出して見ると、そこに世の光であるキリストの輝きがあります。
キリスト教会や牧師に、あるいはクリスチャンに躓きを覚える時、どうか、このツロ・フェニキアの女の明るく大胆な愛と、へりくだり求める信仰、明るく忍耐強い希望を持って、信じて求めて祈り、ありがとうございます。答えられました。感謝しますと告白しよう。
コリント人への第二の手紙4:1-6 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

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