現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

漢字の不思議。「男女」に隠された意味

2016-05-19 23:55:15 | 虚無僧日記

「男女父母」に隠された「加減乗除」。

「男」という字には「田」の中に「+」が入ってます。

「女」という字には「-」が。そして

「父」には「×」。

「母」には、なんと「÷」が入っています。

男女は「+」と「-」。プラス・マイナス引き合って結婚。

そして「父親」の精子を、母親の卵子に かけて妊娠。

そして10月10日、 産道を割って赤子が産まれて来る

という意味が隠されているんですって。

 

そしてそして、生まれた「子」は、「了(おわり)」と「一(はじめ)」。

家系図の最後(終わり=末尾)であり、これからの未来の子孫に

とっては「はじめ=先祖」となる人です。


誕生の「誕」って、とんでもない意味

2016-05-19 23:54:27 | 虚無僧日記

漢字の勉強。

「誕生」の「誕」の意味を漢和辞典で調べてみてください。

最初に書かれているのが

 大げさなうそを言う。でたらめ。「虚誕荒誕妄誕
 あざむく。ほしいまま。わがまま
そして3番目に
3.子供が生まれる。「誕生降誕生誕」です。
 
なるほど、
生まれたばかりの赤ん坊。可愛いですね。
無垢ですね。天使のようですね。でも成長するにしたがって
親をてこずらす。困らす。手に負えないデビルになる。
判ります、わかります。
 

人は「あ」で始まり、「ん」で終わる

2016-05-19 23:53:34 | 虚無僧日記

「あいうえお50音」の、初めは「あ」。そして「ん」で終わる。

人の一生も、「おぎゃああああああ」と、第一声は「あ」で始まり、

最後は「ン」で こと切れるそうだ。

 

深呼吸、複式呼吸は、「吐くのが先か、吸うのが先か」?

人間、生まれるとまず、羊水を吐き出してから声を発する。

吐かなければ、空気を吸えない。そして、最後臨終は

「スーー----」と 息を吸って 死ぬそうだ。 だから「息を

引き取る」というのだとか。だから「吐いて、吸う」のが理に

適っているとか。

 

さて、お次は 漢字の不思議。

人は、ゼロ歳から成長し、「九十歳」で 「卆(=卒) 」。

 

「子」という字は「一」と「了」と書く。「はじめ」と「終わり」を意味している。

系図の最後に書かれるのが「わが子」。そして、「子」は また新たな血統の

「はじまり」なのだ。

 

「人の為」と書いて「偽り」。それは偽善なのだ。「情けは人の為ならず、

すべては、自分のため」と知るべし。

 

「裏」という字の中には 「表」という字が隠れている。つまり「表裏一体」。

 

 「奈良」の「奈」という字、「ダイ」とも「ナイ」とも読むそうな。

「大」であって「無」。「色即是空」の世界。もっとも「奈」という字を

分解すると、「大」と「=」と「小」。「大=小」なのだ。これぞ禅の悟り。

 

「幸せ」から「一」本引くと、「辛い」。「幸、不幸」は 紙一重。

「若い」という字は「苦い、苦しい」という字に 似てるわねぇ。

そんな歌がありました。

 

 

 


「人間」とは、本来は「社会」という意味

2016-05-19 23:51:36 | 虚無僧日記

幕末の僧「月性」の詩 『壁に題す』

 男児志を立てて郷関を出ず、

 学若し成る無くんば復還らず、

 骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、

 人間」到る処青山あり

 私の好きな詩だ。だが、最後の「人間至る所・・・・」の意味を

取り違えていた。

「人間(にんげん)」は 古語辞典では 「人の住むところ。人間界」とある。

読んで字のごとし。まさに「人の間」なのだ。

詩吟の流派によっては、「じんかん」と読ませているところもあるが、

古語辞典にも国語辞書にも「じんかん」では載っていない。

 

そしてそして「青山」とは「墓地」のこととは知らなんだ。

東京の「青山墓地」を思い起こして、なるほどと がてんしたが、

「青山」は江戸時代、郡上藩(岐阜県郡上八幡)の「青山家」の

下屋敷があったため、このあたり一帯が「青山」と呼ばれていたとか。

ここに、日本最初の公営墓地ができるのは明治になってから。

「青山」が「墓地」のことと知っていて、ここを選んだのか、

偶然か。

というわけで「人間至るところ青山あり」は、「人の住むところには

どこにでも墓地(死に場所)はある」という意味になる。

私は「青い山脈 のようなパラダイスがある」 と 想像していた。

 

ついでに、作者の「月性」は、西郷隆盛とともに 心中して死んだ僧と思って

いたが、あちらは「月照」でした。ああ 勘(間)違い。


吉野太夫と宮本武蔵

2016-05-19 08:56:39 | テレビ・映画・芸能人

5/14 「一路会能楽堂公演」。トリは、一絃琴と尺八で 『雪舞』。

これは吉川栄治原作『宮本武蔵』から「武蔵と吉野太夫」の一節を

題材に 眞道さんが創作されたもの。


「都 島原 雪模様、窓辺に夢の雪洞(ぼんぼり)が眉根けわしき ますらおの・・・・・・」

吉川栄治の原作では

三十三間堂で吉岡伝十郎を斬った武蔵は島原に逃げ込む。
そこで吉野太夫に匿われ、諭される。

吉野太夫は、牡丹の枯木を炉にくべて、武蔵に言う。

「あなたの所作やまなざしを窺っていると、今にも斬られて
死ぬ人のように見えてならないのです」と。

太夫は、弾いていた琵琶の胴を割って、中を見せる。

「琵琶の中は 空胴ですが、この胴の中にわたしてある横木。
この横木こそ、琵琶の体を持ち支えている骨であり、心臓でも
あります。なれど、この横木とても、ただ頑丈に真っ直ぐに
胴を張りしめているだけでは、音になんの変化も生じません。

変化を生むために横木には、このようにわざと 抑揚の波を
削りつけてあるのでございます。さらに、横木の両端を、
ほどよく そぎ取ってあるのです。

一撥打てば、刀槍も鳴り、雲も裂けるような、あの強い調子を
生む胴の裡(うち)には、横木の弛みとしまりとが、ほどよく
加減されているのを見て・・・。今宵のあなたの身の上に寄せて
考え合わせてみますと・・・・・・。 ああ、これは危ういお人、
張りしまっているだけで、弛みがない。もし こういう琵琶
ですと、音の自由とか変化はもとよりなく、無理に弾けば、
きっと弦は切れ、胴は裂けてしまうでしょう」

一絃琴の『雪舞』は「剣聖 しばし黙然と、腕組む長き影法師。
かくて更け行く中庭に、しず心なく風花が ひひと乱れる牡丹雪」

と名調子が続きます。それに私が尺八を添える。実に名曲です。

 

さてはて、ところで、吉川栄治は誰からこの琵琶の構造を聴いたのでしょう。

「糸はきつく張り詰めたら切れる」というのなら素人にも解りますが、

胴の中の横木の「弛み」というのは解せません。琵琶奏者の方に

聞いたら、「そんなしかけはない」とのこと。昔は有ったが今は

無いのか、摩訶不思議な話です。

 



 


虚無僧は「芸人」か「修行僧」か

2016-05-17 23:33:37 | 虚無僧日記

「虚無僧」を見て、二つの反応がある。

私の尺八の音に感動して喜捨くださる方と、
尺八の上手下手など関係なく「修行僧」として布施される方。
この見分けが難しい。

昨日の昼。作業服姿の壮年が、目を輝かせて近づいてきた。
「すばらしい尺八ですねぇ。(自転車で)通り過ぎたんだけど、
思わず戻ってきた。あなたの尺八の音は、私の琴線に響いた。
心が揺さぶられた」と。たくさん喜捨していただいた上、
桃やカリンまでいただいた。

地下鉄駅構内で休息していると、若い男性が近づいてきて
「どのように、布施させていただいたらいいですか」と。
「ここ(駅構内)では尺八は吹けませんが、お気持ち
いただけましたら、このゲ箱に」と、入れていただいた。

それで、尺八の現状など 話して、能楽堂公演の
チラシなど渡そうとしたら、彼の態度が一変した。

若者言葉で「軽いっすね。いやらしいっすね」と。

「“修行僧”ではなく“尺八家”のパフォーマンスか。
ならば布施するんじゃなかった」というように思われたようだ。

聞くと、彼はラオスに行って、小乗仏教を学び、托鉢も
体験しているとのこと。

私の心の中で、演奏会に向けて集客のための宣伝、
デモンストレーションという意識だったことは否めない。
そういう “欲” 丸出しで 虚無僧をしていたことに、
脳天を叩き割られた感じ。

がっくりして、中村公園駅から家に向かってトボトボ
歩いていると、「あらッ」とご婦人の声。私の方を見て
挨拶される。
(はて、どなた様か?知らない方だか)と立ち止まっていると、
「先日 “九の市”で 吹いていた方ですか。すばらしい音色で
感動しました。でも どのように(喜捨)したら良いのか
わからなかったので」と。

そのお言葉だけでうれしい。また元気を出して家路に
つくことができた。



能楽堂公演無事終了

2016-05-16 16:50:09 | 虚無僧日記

5/14(土) 「第六回 一路会 能楽堂公演」無事終わりました。

オープニングは「獅子舞と太鼓」そして「間瀬礼章」さんの口上。

みごとな「ういろう売り」の早口言葉で大いに盛り上がり、その後

「春夜洛城聞笛」の吟に続いて、尺八合奏。

まだ入会3ヶ月、1年の会員もみごとに合わせて吹きました。

これには私も驚き。能楽堂の舞台では不思議なパワーが出ます。

そして平塚芳朗氏との合奏。尺八二重奏で「落ち椿」。そして

琴と尺八二重奏で「追憶の調べ」。甘い旋律で観客の皆さんを

酔わせました。

最後に「幻の琴一絃琴」。津分部本願寺の尼僧「眞道」さんと

そのお弟子さんによる演奏。

500名以上の方が入られ、ほぼ満席。立ち見の方もおられたほど。

これ以上の感激はありません。

バラエテイに富んだ演目で全4時間。最初から最後まで聞いておられた方も多く、

頭が下がります。

ご来聴された方。お誘いいただいた方。裏方でお手伝いいただいた方。

多くの方に支えられての成功。演奏していて涙がちょちょぎれました。

ありがとうございました。

 


虚無僧のイメージ

2016-05-04 18:19:11 | 虚無僧って?

言葉で、そのイメージを〇か×かで投票させるサイト
コトノハ」というのがあった。

『虚無僧』については、25票が〇、×は3票。
×のコメントは「昔から苦手、なんか怖い」
「見たことない」だった。〇が多くてホッとする。

〇のコメントには
・良い響き
・尺八がオモタそう
・兄がやったことある
・父親が、あの籠みたいなものを、お土産に買ってきてくれた。
 ボクにやらせたかったのだろうか?
・興味がある。
・脱衣かごをかぶって、保育園のカバンを掛けて、爺様の尺八を
 借りて、真似をした。



こむそう?  きょむそう?

2016-05-04 18:17:32 | 虚無僧って?

「邦楽ジャーナル」五月号にも書かせていただきました。

補足です。

こんなサイトを見つけました。

「“虚無僧”なんて読む?」そして
「こむそう、きょむそう、うそむそう」の
三択からマークをつけさせる。

投稿25名中「こむそう」は20名、80%。
「きょむそう」が5名。20%。

さて、どちらが正しいか。当然「こむそう」?

しかし、江戸時代に出版された『虚鐸伝記国字解』という
虚無僧の由緒を書き記した書には「きょむそう」とルビが
ふってある。

さすが「(嘘)うそむそう」はなかった。ところが、明治の
書に、虚無僧の吹く曲名で『虚空』を「嘘空」と書いたの
があるのです。昔は漢字は随分いい加減だったようだ。

クイズ・ヘキサゴンでは「はいむそう」と読まれた。
“虚”が“廃”と間違えられたのだ。わざとかな?

虚無僧と廃人、共通するものがあるかもしれない。