現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

仙石騒動異聞 神谷転の墓

2016-06-30 11:24:28 | 虚無僧って?

尺八古典本曲に「転菅垣(ころすががき)」という曲がある。

「転(ころ)びという手が用いられているから」とか、

「曲調が回転するように展開するから」とか、また「仙石騒動の

神谷転(うたた)が吹いていた曲なので転(うたた)菅垣」

という説もある。それで以前から神谷転に関心を持っていた。

このたびネットで調べていて、東京中目黒の永隆寺に

神谷転の墓があると知ってびっくり。私の叔母の家のすぐ真下。

何度か前を通っていた。

この寺は、元は港区三田小山町にあり、仙石家とその藩士の

菩提寺だったそうな。明治35年この地に移転。その際、

仙石家の墓はすべて出石に移されて、今はない。

なぜか神谷転の墓だけが移されたという。神谷は藩に復帰したのだ

ろうか。否である。

神谷転は事件の後、船橋清山寺の看主となり、天保14年に亡くなり、

清山寺にも墓がある。

神谷転は仙石騒動の裁きで一躍忠臣になったのだから、出石藩には

復帰できたであろう。親戚筋の旗本から復職の話もあったようだが、

神谷は「お家の内紛を明るみにしたことで、出石藩は五万石から

二万石取り上げられ、三万石になった。家臣も三分の一減らさなければ

ならない折、復帰はできない」と虚無僧に留まった。また体調も優れな

かったという。そして天保14年、船橋清山寺で亡くなったという。

ということは、目黒永隆寺の墓は?

神谷転の墓には側面に妻の法名も刻まれている。そして隣には兄夫婦の墓。

兄嫁は仙石左京によって殺された河野瀬兵衛の姉妹とのこと。

そもそも騒動の発端は、河野瀬兵衛が脱藩し、天領の生野銀山で

捕らえられたことからだった。身内の死が神谷転をして仙石左京への

恨みを増したのであろう。


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