4/20 中日新聞「旧日本軍が奪った金塊返せ」
なんと、1917年のロシア革命前後、ロシアに出兵していた日本軍が、反赤軍勢力白軍(王朝側)に味方し、ロマネフ王朝の金塊を保全の名目で満州に移送、さらに日本へ送った。その量は金塊200トン。現在の価格で1兆2600憶円という。
ネットで調べてみると
コルチャック提督率いる王朝派(白軍)のペトロフ将軍が、黄金22箱を旧満州に居た日本駐留軍へ預けたとして、日本に返還請求を行っていた。
そのことが1991年にイズヴェスチヤ紙で報道され、日本でも話題となった。
以後度々、返還要求の声が上がり、日本外務省は「当時の報告書では全部返却されている」とロシアに回答したという。
1918年、コルチャック政権は、日本に武器調達を求め、そのため相当量の金塊を日本に渡した。しかしその後コルチャクは革命軍に捕らえられ処刑されたため、日本からの武器供給はなされなかったようだ。
金塊は日本に送られ、当時日本唯一の外国為替取引銀行であった横浜正金銀行に預けられたという。
ここで、思い当たるのが、太平洋戦争の莫大な戦費の出所。
太平洋戦争の戦費総額は約1,900億円。国家予算に対する比率72倍。現在の価値で4,000兆円という天文学的な額。
それをどこから調達したのかが謎。ひとつは中国からのアヘンの利益。そしてロシアの金塊もその一部かと。とにかく、大日本帝国陸軍の戦費は現地調達主義でしたから。