現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

山伏の祈祷もピンキリ

2017-09-25 22:27:44 | 虚無僧日記

山伏(やまぶし)とは、中で修行をする修験道行者

修験者」(しゅげんじゃ)とも言う。

 江戸時代の山伏にもピンからキリまであったようだ。

山岳修行にひたすら打ち込む、修行本位に生きる山伏もいたが、

「祭文語り」からごろつきに転化したようなものまで、種々のタイプが                                       あった。                                                                     

町や村のなかに院坊をもって、その近在の民家を檀家とし、

招かれて祈禱に出かける、あるいは遠方への山参りなどの代参をしたり、

代願人になる、そうしたタイプの山伏が、江戸時代には最も多数だった。 

それは、中世的な行者ではなくて、祈禱者であった

幕末、山伏は17、8万人も居たという。明治になって、「山伏」は天台、

真言いずれかの寺院に属するようにとの命がおりた。

虚無僧は500人ほど、虚無僧の普化宗は廃止され、尺八を吹いて

門付けすることも禁止された。インチキ祈祷師の山伏より虚無僧の方が

タチが悪かったということか。


虚無僧のパワー

2017-09-25 22:24:31 | 虚無僧日記

50年ほど前、19歳で初めての虚無僧行脚で新潟地方を回った時のこと。

後ろから追いかけてきた人に呼びとめられた。「おこもさん、うちへ

来てください」と。喜んでホイホイ付いて行くと、一軒の小さな家。

おばあさんが布団に臥している。数人の家族が取り巻いていて、

私に「ばっつぁまの、こす(腰)さ 治してくんろ。こすがいてぇ(痛)

いてぇ、云うもんで。医者でも治らんのす」と。

半世紀前のことだ。「おこもさん」とは「薦(こも)筵(むしろ)を腰に

つけて歩き、夜は薦を敷いて野に臥す人」のこと。つまり乞食のこと。

虚無僧は「薦僧(こもそう)」だったのだ。そして

虚無僧は、病気平癒や安産の祈祷をするものと思われていたのだ。

その頃の私は「科学万能主義」。そんな迷信なんてとあざ笑っていたから、

すたこら逃げ出してきてしまった。

後で知ったが、新潟阿賀野川の水銀中毒だったのだ。

医者でも治療法が判らなかった時代。尺八でも治せっこない。

しかし、患者の痛みに寄り添ってあげ、気休めでも何か言葉を

かけてあげれば良かったと思う。

そしてそれ以上に、どんな病気も治す超能力を身につけられたらと

思う。オームの林郁夫と同じ思いだ。

 

 

 


秋の夕暮れ、つるべ落とし

2017-09-25 21:38:09 | 虚無僧日記

今日9/29 の運勢

「2月生まれ=人生の下り坂 つるべ落とし」だと。

なんてことだ。2月生まれは10歳も20歳も

みな「下り坂」なのか??? たまたま見たときに

フィットするのでドッキリである。

まさに、今の私は「人生の下り坂。つるべ落とし」。

だが、「沈む太陽は、最後に輝きを増す」とも。


10/28(土)能楽堂公演

2017-09-25 21:33:53 | 虚無僧日記

10月28日(土)能楽堂公演。毎年「これが最後」と云いながら

性懲りもなく8回目となりました。10回まで行くか。

首振り60年。借金だけがふくらみ、とうとう(借金で)首が

 回らなくなりました。

占いで「今年は最高潮。上り過ぎると、そのまま天国に逝っちゃうかも」と。

舞台で死ねたら本望。尺八吹けなくなったら人生も終わり。

「もうこれを最後にしたい」と、いつも本番前に思います。

「最後に最高の演奏をしたい」と思うのです。

 


秋が来たからか、飽きがきたからか、別れ歌

2017-09-25 21:10:12 | 虚無僧日記

秋が来たからか、飽きがきたからか、心は空き家状態。

甘い青春時代の思い出にふけっています。

「シクラメンのかほり」

https://youtu.be/cZ8q86Eo0wI

 「積み木の部屋

https://youtu.be/E7MHPxemjWc

 「甘い生活」

https://youtu.be/tM8k753xcBw

 「私鉄沿線」

https://youtu.be/tM8k753xcBw