現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

薦僧(こもそう)は馬聖(うまひじり)?

2017-09-10 20:02:16 | 虚無僧日記

「邦楽ジャーナル」虚無僧曼荼羅 No.11 3月号

 薦僧(こもそう)は馬聖(うまひじり)?

ネットの辞書で「馬聖(うまひじり)」をひくと「虚無僧のこと」と出てきます。

虚無僧が馬聖? 馬聖って何? 

明応(1492~1501)の頃作られた『七十一番職人歌合せ』に、暮露が読んだ句として

「いとうなよ かよふ心の馬聖(.ルビ=うまひじり) 人の聞くべき足の音もなし」

とあります。「暮露」のことを「馬聖」とも呼んでいたことがわかります。

前号に書きましたが「暮露」と「薦僧」は別物ですが、「暮露」と「薦僧」が

同一視されていたことから、「馬聖=暮露=薦僧=虚無僧」となってしまったようです。

では「馬聖」って何でしょう。 「馬の疫病を祓う祈祷を行ったから」という説が有力でしたが、

最近、有力な説が浮上してきました。「馬衣(うまごろも、うまぎぬ)」を着ている聖(ひじり)」

というものです。
 

鎌倉時代(13世紀末頃)の『天狗草紙』(三井寺巻第三段)に次のような記述があります。

「一向(ルビ=いっこう)宗と云ひて、阿弥陀如来の外の仏に帰依する人をにくみ、

袈裟をば出家の法衣なりとて、これを着せずして、馬衣をきて、念仏する時は頭をふり

肩をゆすりておどる事、野馬のごとし」と。つまり一向宗の門徒は、阿弥陀如来以外の

仏を拝む宗派を憎み、袈裟は出家の法衣だから着けず、馬衣を着た」というのです。

一向宗というと「一向一揆」。それで、親鸞の浄土真宗かと思われていますが、

一向宗は浄土真宗とは本来は別でした。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるのは同じですが、

踊りが伴います。一向宗は一向俊聖に始まる踊り念仏の時宗の一派です。時宗には

一遍上人を祖とする派などいくつかありましたが、江戸幕府によって強制的に一宗に

統合されました。江戸幕府は浄土真宗も一向宗と見做したので、一般にも同じもの

との誤解が生じています。

その一向俊聖の踊り念仏から、ささら、鉢叩き、放下僧、暮露、猿引き、猿楽、田楽等

という芸能集団が生まれてきます。この芸能集団を「馬衣を着た俊聖の門徒=馬聖(うまひじり)」

となったのでした。
 

では馬衣とは何でしょう。「馬の皮で作った衣」という説もありますが、違うようです。

 どうやら「馬の背に振り分けて掛ける衣のようなもの」で、肩から前後に垂らす袖の無い羽織

のようなもので、和紙で作られていたので「紙衣(ルビ=かみごろも)」とも。

紙で作ったとは言っても、麻の繊維で作った和紙で柿渋を塗ったものですから、

丈夫で軽く保温性もあり、旅には適したものでした。現代では紙衣(かみぎぬ)は

結構高価な織物です。



踊り念仏の時衆(宗)には、一向俊聖の一向宗の他、一遍を祖とする派などいくつかあり、

いずれも阿弥陀如来を信仰し、「南無阿弥陀仏」と唱えるものです。ところが、

時衆の徒であるはずの暮露ですが、『ぼろぼろの草紙』の虚空坊という暮露は念仏者を嫌い、

踊り狂っている輪の中に分け入って、念仏者を何人も斬り殺した。実は虚空坊は

大日如来の化身だった」というのです。阿弥陀如来以外に大日如来を信仰する踊り念仏も

あったことになります。京都で旧暦8月28日に行われる「天道大日如来盆」は

一向俊聖が興した天道念佛に起源をみるといわれます。大日如来は真言密教の本尊です。

高野山は空海によって開かれた真言密教の山ですが、実は一遍に始まる時衆(宗)や

高野聖など念仏者の発祥地でもあったのです。次号は高野山の謎に迫ります。