ちいさい頃、いわゆる「火の玉」(人魂?)を見たことがある。小学4年生ぐらいだった。
当時、いつものことだが、例によって遊びすぎて帰宅時間に遅れ家から閉め出しを食った。
いつも野外が遊び場だ。腕時計もなければ、携帯もない。屋内であってもどこのうちにも電話も無い。
勿論、送ってくれるマイカーもない。当時の親はみな子供に対しよく激怒した。
栄養が不足していたかもしれない。家に入れてくれないか、石倉(土蔵)にほうり込まれるかだった。
石倉は電気もつかない真っ暗闇だ。まだ外の方が刑が軽い。
メソメソ泣きながらぼんやり200メートルほど離れた前方、畑越しの隣家を眺めていた。
薄ぼんやりと灯りが見えた。「きっと夕飯だ」夕餉のひととき、あらためて自らの空腹を思い出した頃、
もう一つの灯りが見えた。
「そうだ、朝方の登校前に飼っている農耕馬が病気らしい、獣医を呼ぶと言ってた」母親の言葉を思い出した。
獣医さんのオートバイのライトの明かりだな。
そう思って眺めていると道路にそって我が家のほうに動きだした。「あヽ違ったか・・」・・
しかし50メートルも動かぬうちに道路からその「明かり」は、はみだした。「何だ?」
目を丸くして呆然とみていたら今度は空中に浮かんだ。フワフワと、しかも私の方に向かってくる。
唖然としてよく見てみると球体らしい。益々迫ってくる。どうしよう。声も出なかった。
時間にすると見え始めてから1分ぐらいだったろうか。
そのフワフワ球状物体は黄色っぽいオレンジ色だった。フワフワガついにどういうわけか私に向かって飛んでくる。
私の居たところは道路よりも5メートルほど高い。
敵は10メートルほど先で大きさ目測直径50センチ位、それがついに目前に達したとき、
恐怖にこらえきれず無我夢中で自宅に飛び込んだ。「そうれ見ろ、遅くまで遊んでいるからだ」平然と両親が言った。
とっくに拝見済みだったようだ。あのへんは当時「火の玉」徘徊の優先道路だったらしい。本当にあれは「プラズマ現象」なのかなあ
当時、いつものことだが、例によって遊びすぎて帰宅時間に遅れ家から閉め出しを食った。
いつも野外が遊び場だ。腕時計もなければ、携帯もない。屋内であってもどこのうちにも電話も無い。
勿論、送ってくれるマイカーもない。当時の親はみな子供に対しよく激怒した。
栄養が不足していたかもしれない。家に入れてくれないか、石倉(土蔵)にほうり込まれるかだった。
石倉は電気もつかない真っ暗闇だ。まだ外の方が刑が軽い。
メソメソ泣きながらぼんやり200メートルほど離れた前方、畑越しの隣家を眺めていた。
薄ぼんやりと灯りが見えた。「きっと夕飯だ」夕餉のひととき、あらためて自らの空腹を思い出した頃、
もう一つの灯りが見えた。
「そうだ、朝方の登校前に飼っている農耕馬が病気らしい、獣医を呼ぶと言ってた」母親の言葉を思い出した。
獣医さんのオートバイのライトの明かりだな。
そう思って眺めていると道路にそって我が家のほうに動きだした。「あヽ違ったか・・」・・
しかし50メートルも動かぬうちに道路からその「明かり」は、はみだした。「何だ?」
目を丸くして呆然とみていたら今度は空中に浮かんだ。フワフワと、しかも私の方に向かってくる。
唖然としてよく見てみると球体らしい。益々迫ってくる。どうしよう。声も出なかった。
時間にすると見え始めてから1分ぐらいだったろうか。
そのフワフワ球状物体は黄色っぽいオレンジ色だった。フワフワガついにどういうわけか私に向かって飛んでくる。
私の居たところは道路よりも5メートルほど高い。
敵は10メートルほど先で大きさ目測直径50センチ位、それがついに目前に達したとき、
恐怖にこらえきれず無我夢中で自宅に飛び込んだ。「そうれ見ろ、遅くまで遊んでいるからだ」平然と両親が言った。
とっくに拝見済みだったようだ。あのへんは当時「火の玉」徘徊の優先道路だったらしい。本当にあれは「プラズマ現象」なのかなあ
忘れかけた記憶 研究
たしか、小学校低学年の頃、エジソンの伝記を読んで興奮した私は・・
居候していた叔父の腕時計を持ち出した。
どうして時計が動くか、研究、実験もしてみたくなったからだ。
「発明は一つの才能と九十九の努力」なのだ。エジソンは言った。
腕時計を台の上に置き、「金槌」で思い切りひっぱたいた。
腕時計はペッチャンコになっただけで中身は見えなかった
ほどなくして叔父が現れ、何やら絶叫して脱兎の如く駈けて親父を呼びにいった。
実験の代償は”鉄拳”だった。実験は失敗して研究は頓挫した。
努力だけでも一つぐらい”才能”がなければ駄目なんだと、
そのとき知った。
たしか、小学校低学年の頃、エジソンの伝記を読んで興奮した私は・・
居候していた叔父の腕時計を持ち出した。
どうして時計が動くか、研究、実験もしてみたくなったからだ。
「発明は一つの才能と九十九の努力」なのだ。エジソンは言った。
腕時計を台の上に置き、「金槌」で思い切りひっぱたいた。
腕時計はペッチャンコになっただけで中身は見えなかった
ほどなくして叔父が現れ、何やら絶叫して脱兎の如く駈けて親父を呼びにいった。
実験の代償は”鉄拳”だった。実験は失敗して研究は頓挫した。
努力だけでも一つぐらい”才能”がなければ駄目なんだと、
そのとき知った。
むかしの話だが
やっとこさ、苦労して彼女と別れられて、女房にもばれず良かった、ああよかった、
ホッとして
夜中にご帰還、ベッドにもぐりこんだら 一分後のことだ。
女房「さっき、女の人から電話があって、ながいことお世話になりました」
って、これどういうこと?
なななななな ナヌ・・・・★♂♀£$◎▲∝≦ЕР・・・☆◆♀!㈲≒㈱!
一寸先は闇だ。
やっとこさ、苦労して彼女と別れられて、女房にもばれず良かった、ああよかった、
ホッとして
夜中にご帰還、ベッドにもぐりこんだら 一分後のことだ。
女房「さっき、女の人から電話があって、ながいことお世話になりました」
って、これどういうこと?
なななななな ナヌ・・・・★♂♀£$◎▲∝≦ЕР・・・☆◆♀!㈲≒㈱!
一寸先は闇だ。
正月なので不倫の話でもしようか。みんなも待ちくたびれているようだし・・・
ある日・・有る親しい飲み仲間の**先輩から電話があった。
○日に▲に×時に来て欲しいとの事。共通の友人の■太郎も呼ぶということだ。
「理由」や「用件」の中身はと問えば「■太郎に聞けば・・」ということだ。
勿論、のみ仲間■太郎に電話した。「いったい何事だ?
一杯やるかの電話ではなく・変な電話だし、口調はいつもと違う・・」
■太郎いわく「例の彼女や店のことが細君にバレて大騒動、フンでもって細君逆上、彼女呼び出して
白洲に平伏させてカネとる場面やるらしい、弁護士も来るらしい、早い話が立ち会い人だ。」
なるほど、これは修羅場だ。
ZIZIは**先輩の彼女のケメ子ことはその、なれそめ時分から■太郎同様よく訳知りで細君からは
”同じ穴の狢”であっただろう。
うんざりしたが、細君の指示らしい、交通費、日当の話はない。なんでだ?
・・なんでオラ達、立会人?「わからん!とにかく野次馬として行ってみるベ」と■太郎・・・・・
どうやら印鑑持参なんてことはないようだ。ヒトの不幸だ。とりあえず我が身は安全。
**先輩は地位も名誉もある。細君もそこまではブチこわさないだろう。■太郎も結構な会社の大社長だ。
当日の”奉行所”はどういうわけか、だれがセッテングしたのか、昼下がりの開店前とおぼしき居酒屋だった。
そこの真ん中に通路があり隣の席と分け隔てる衝立のあるやつだ。
そこがお白洲だった。一瞬ZIZIは不見識にも”お笑い”と感じた。
不倫の行く末は第三者から見れば「ヨシモト」の世界だと。
本人達は大真面目だったが大向こうの天井桟敷の「立会人」はシラケた。
居酒屋の座敷席の通路を挟んで北側に、軽薄でアタマの悪そうな、ヒマそうな弁護士、**先輩(これも被告)原告の細君、
大被告のケメ子が適当な間隔で場所をとっていた。
その通路を挟んでZIZIと大社長■太郎着座。大裁判が始まった。
結局は細君の独演会、預金通帳からの旦那の流用金額を連呼して、その返済を天下の大悪女ケメ子にサインを求め罵詈雑言、
罵倒のかぎりを尽くした。細君のほうが悪女にみえた。
本当はウン万人の前でやりたかったのであろうが。
細君がこうだから**先輩もあのケメ子とデキちゃったんだろうか。
個人的にはどちらも好きになれないタイプだが・・・・■太郎社長も同感だった。蓼食う虫も好きずき・・・・。
わりと簡単にケメ子も署名捺印。返済に同意した。
しかし、経営不振だからの追い貸しで累計4000万円、零細スナックの経営者には完済不可能な金額にみえた。
素直に出てきたのも、サインしたのも**先輩との出来レースだとも思った。
意外とケメ子にも薄情面したのもそうだったのかも・・
でも、満座の(?)前で恥をかかされたケメ子のプライド、一寸の虫にも五分の魂、毎月千円程度は返済しても、
完済は始めから考えていないだろうし、個人的借り入れ分の相当額は個人の定期預金や、年金準備に移動してある筈だ。
それでこそ女なのだ。
その一件以来三人とも疎遠になり後日談は聞いていないし興味もわかない、要はたんなる痴話喧嘩なのだ。
でもZIZI はこの一件で得をした。
この後日、出席のお礼として細君から電話があった。
累々と嘆きや怒りの電話のあと「もしやZIZIさんにお金のことでご迷惑かけて無いでしょうね?」
ZIZIは喜んで「いや、実は300万円ほどご用立てしてもう*年になります、正直いって参っております、
証書もありますしBABAも承知です。聞いてみて下さい」
細君は再度大噴火、憤激して即刻振り込んでくれた。感謝感激あめあられ、
正月と盆が一緒にきた気分だった。ほぼあきらめていた貸し金だった。
天の岩戸全開 細君大明神!万歳!時の氏神!万歳!ワアー!
思わずガッツポーズ!
当分遊興飲食、大盤振る舞い、大尽気分を味わった。BABAには内緒だ。鬼の居ぬ間の命の洗濯。
人生永くやってるといろいろな修羅場も経験するものだなあ。まったく。
20年も前の話だが当事者みな健在、個人情報漏洩にあたるのでこれ以上はご勘弁を・・・
また、のちほど・・・出番があれば。
ある日・・有る親しい飲み仲間の**先輩から電話があった。
○日に▲に×時に来て欲しいとの事。共通の友人の■太郎も呼ぶということだ。
「理由」や「用件」の中身はと問えば「■太郎に聞けば・・」ということだ。
勿論、のみ仲間■太郎に電話した。「いったい何事だ?
一杯やるかの電話ではなく・変な電話だし、口調はいつもと違う・・」
■太郎いわく「例の彼女や店のことが細君にバレて大騒動、フンでもって細君逆上、彼女呼び出して
白洲に平伏させてカネとる場面やるらしい、弁護士も来るらしい、早い話が立ち会い人だ。」
なるほど、これは修羅場だ。
ZIZIは**先輩の彼女のケメ子ことはその、なれそめ時分から■太郎同様よく訳知りで細君からは
”同じ穴の狢”であっただろう。
うんざりしたが、細君の指示らしい、交通費、日当の話はない。なんでだ?
・・なんでオラ達、立会人?「わからん!とにかく野次馬として行ってみるベ」と■太郎・・・・・
どうやら印鑑持参なんてことはないようだ。ヒトの不幸だ。とりあえず我が身は安全。
**先輩は地位も名誉もある。細君もそこまではブチこわさないだろう。■太郎も結構な会社の大社長だ。
当日の”奉行所”はどういうわけか、だれがセッテングしたのか、昼下がりの開店前とおぼしき居酒屋だった。
そこの真ん中に通路があり隣の席と分け隔てる衝立のあるやつだ。
そこがお白洲だった。一瞬ZIZIは不見識にも”お笑い”と感じた。
不倫の行く末は第三者から見れば「ヨシモト」の世界だと。
本人達は大真面目だったが大向こうの天井桟敷の「立会人」はシラケた。
居酒屋の座敷席の通路を挟んで北側に、軽薄でアタマの悪そうな、ヒマそうな弁護士、**先輩(これも被告)原告の細君、
大被告のケメ子が適当な間隔で場所をとっていた。
その通路を挟んでZIZIと大社長■太郎着座。大裁判が始まった。
結局は細君の独演会、預金通帳からの旦那の流用金額を連呼して、その返済を天下の大悪女ケメ子にサインを求め罵詈雑言、
罵倒のかぎりを尽くした。細君のほうが悪女にみえた。
本当はウン万人の前でやりたかったのであろうが。
細君がこうだから**先輩もあのケメ子とデキちゃったんだろうか。
個人的にはどちらも好きになれないタイプだが・・・・■太郎社長も同感だった。蓼食う虫も好きずき・・・・。
わりと簡単にケメ子も署名捺印。返済に同意した。
しかし、経営不振だからの追い貸しで累計4000万円、零細スナックの経営者には完済不可能な金額にみえた。
素直に出てきたのも、サインしたのも**先輩との出来レースだとも思った。
意外とケメ子にも薄情面したのもそうだったのかも・・
でも、満座の(?)前で恥をかかされたケメ子のプライド、一寸の虫にも五分の魂、毎月千円程度は返済しても、
完済は始めから考えていないだろうし、個人的借り入れ分の相当額は個人の定期預金や、年金準備に移動してある筈だ。
それでこそ女なのだ。
その一件以来三人とも疎遠になり後日談は聞いていないし興味もわかない、要はたんなる痴話喧嘩なのだ。
でもZIZI はこの一件で得をした。
この後日、出席のお礼として細君から電話があった。
累々と嘆きや怒りの電話のあと「もしやZIZIさんにお金のことでご迷惑かけて無いでしょうね?」
ZIZIは喜んで「いや、実は300万円ほどご用立てしてもう*年になります、正直いって参っております、
証書もありますしBABAも承知です。聞いてみて下さい」
細君は再度大噴火、憤激して即刻振り込んでくれた。感謝感激あめあられ、
正月と盆が一緒にきた気分だった。ほぼあきらめていた貸し金だった。
天の岩戸全開 細君大明神!万歳!時の氏神!万歳!ワアー!
思わずガッツポーズ!
当分遊興飲食、大盤振る舞い、大尽気分を味わった。BABAには内緒だ。鬼の居ぬ間の命の洗濯。
人生永くやってるといろいろな修羅場も経験するものだなあ。まったく。
20年も前の話だが当事者みな健在、個人情報漏洩にあたるのでこれ以上はご勘弁を・・・
また、のちほど・・・出番があれば。
夫婦喧嘩も様々だ。
私の両親もかなりひんぱんに対戦していた。子供は見ていて切なかった。
母はよく実家へ帰った、親父が迎えに行くパターンだった。
小学生の頃は母が帰って来なかったらどうしようと勉強も手につかなかった。
ZIZI夫婦もそれと同じくらいよく喧嘩をした、どちらも強気なのだ。双方メンツもあるのだ。
すぐ近所の同級生宅の喧嘩は派手だった。
一回喧嘩すると最低一万円の家財等が被害を受け、見物料も無料では引き合わなかった。
多いときは襖とか照明器具等々十万円を越すこともあった。うちはどちらかといえば冷戦。
家財に損害はないしオカズもへるから食費も安くあがるようだが、酒代が高騰する。
年を経るにつけ双方軍備を拡張、核兵器搭載ミサイルを配備してから戦争すれば共倒れ!
精々ツンツンするくらいで小競り合いもなくなった。
喧嘩しても何の得も利益もないことを双方自覚したのだろう。
どっちも降伏も謝罪も期待できないのも分かったからだ。
くたびれるだけ損なのだ。
私の両親もかなりひんぱんに対戦していた。子供は見ていて切なかった。
母はよく実家へ帰った、親父が迎えに行くパターンだった。
小学生の頃は母が帰って来なかったらどうしようと勉強も手につかなかった。
ZIZI夫婦もそれと同じくらいよく喧嘩をした、どちらも強気なのだ。双方メンツもあるのだ。
すぐ近所の同級生宅の喧嘩は派手だった。
一回喧嘩すると最低一万円の家財等が被害を受け、見物料も無料では引き合わなかった。
多いときは襖とか照明器具等々十万円を越すこともあった。うちはどちらかといえば冷戦。
家財に損害はないしオカズもへるから食費も安くあがるようだが、酒代が高騰する。
年を経るにつけ双方軍備を拡張、核兵器搭載ミサイルを配備してから戦争すれば共倒れ!
精々ツンツンするくらいで小競り合いもなくなった。
喧嘩しても何の得も利益もないことを双方自覚したのだろう。
どっちも降伏も謝罪も期待できないのも分かったからだ。
くたびれるだけ損なのだ。
夫婦百景とやら、いろいろだ。
外国では(西欧諸国)などでは幾つになっても手をつないで歩いたり、チュウしたり抱き合ったり
スキンシップも多いなあとZIZIも見る。あれだけやっても無愛想な日本より離婚率は高いらしい。
ZIZIだって無愛想だが、たまーには今だって「愛してるよ」と酔っぱらって言うこともある。
BABAの反応は「分かってるよ!」これだ! なんとかナントカ tooなんて言ってもらいたいもんだね。
「わかってるよ!」か
分かってりゃあいいんだ。 肩凝った。BABAに言っても無理だな。アンマにでも行くか。
皆様のご家庭では? ・・・tooなのかね?
外国では(西欧諸国)などでは幾つになっても手をつないで歩いたり、チュウしたり抱き合ったり
スキンシップも多いなあとZIZIも見る。あれだけやっても無愛想な日本より離婚率は高いらしい。
ZIZIだって無愛想だが、たまーには今だって「愛してるよ」と酔っぱらって言うこともある。
BABAの反応は「分かってるよ!」これだ! なんとかナントカ tooなんて言ってもらいたいもんだね。
「わかってるよ!」か
分かってりゃあいいんだ。 肩凝った。BABAに言っても無理だな。アンマにでも行くか。
皆様のご家庭では? ・・・tooなのかね?
男と女の脳みその違いは同じ味噌でも白味噌と赤味噌ぐらいの違いがあるな。
どちらの味噌が美味しいとか塩分濃度の差とか値段が違うとかそういう問題ではない。
考え方や解釈のしかた、その他もろもろのことだ。
BABAと生活を共にしてハヤ40年有余、しかし、未だ女って何を考えているのかわからん。
すこし判ったことと言えば、こんなこと言えば怒る、あんなこと言えば喜ぶ・・そのへんのところだ。
でも判っていても私は男だから簡単には言えない。簡単に言えるのは詐欺師レベルの男だろう。
まあ、日本男児の一般論だがなあ。
でもBABAだけで判らなかったことが、娘をもって理解度が増した。
「ああ、女ってこういう思考回路なんだ」、少しは理解度を増す。
そして孫娘を持って復習、「なるほど」と思う。でもそういった学習体験が各所で生きるかというと、そうでもない。
威厳が落ちそうな気がして(?)いわゆる「優しい言葉」が近親者には素直に出ない。
気持ちは十二分にあるのだが。まあ許して給れ。
白味噌、赤味噌の違いは男女の子供に対する感覚が全くというほど異なる。
男親の娘に対する気持ち、感覚、同様に母親の息子に対しての態度、接し方・・180度位違うと思う。
例えば、中、高生のころ外出、帰宅時間の遅刻等の対応でも父親は娘の方への心配は80%だ。
イライラ・カッカ、大変だ。
母親は逆に息子を心配している。おのおのが自分の成長段階を経験しているから、同性は心配しない。
半分は「当たり前」と寛容だ。
まあそれでいいあんばい、その感覚のすれ違いがいい結果をうむのかどうかは判らないが現実はそうだ。
母親は息子に甘い。嫁姑問題も当然だ。
父親の思春期の娘に対する無知的対応も後に後遺症となって永年禍根を残すことも多々聞く。
父と息子はライバルだ、お互いオスだけに容易ではない。
何かの場合母親が息子の助太刀にまわり問題を余計大きくしたりする。
昨夜、映画「海の見える家」を自宅でDVDを見ていい映画だったが、私の息子は女児ばかりで幸せなのかも知れないと思った。
男と女の問題は難しい。不倫だってなんだって好きになってしまったらどうしようもないのだ。
一夫一婦制なのだが出会う順番が狂っただけの話だ。
この人がBABAより先に出会っていたら絶対”プロポーズ”したろうなあ・・
こう思った人が過去何人もいた。
恋って大変だが生物の本能だもんなあ。
どちらの味噌が美味しいとか塩分濃度の差とか値段が違うとかそういう問題ではない。
考え方や解釈のしかた、その他もろもろのことだ。
BABAと生活を共にしてハヤ40年有余、しかし、未だ女って何を考えているのかわからん。
すこし判ったことと言えば、こんなこと言えば怒る、あんなこと言えば喜ぶ・・そのへんのところだ。
でも判っていても私は男だから簡単には言えない。簡単に言えるのは詐欺師レベルの男だろう。
まあ、日本男児の一般論だがなあ。
でもBABAだけで判らなかったことが、娘をもって理解度が増した。
「ああ、女ってこういう思考回路なんだ」、少しは理解度を増す。
そして孫娘を持って復習、「なるほど」と思う。でもそういった学習体験が各所で生きるかというと、そうでもない。
威厳が落ちそうな気がして(?)いわゆる「優しい言葉」が近親者には素直に出ない。
気持ちは十二分にあるのだが。まあ許して給れ。
白味噌、赤味噌の違いは男女の子供に対する感覚が全くというほど異なる。
男親の娘に対する気持ち、感覚、同様に母親の息子に対しての態度、接し方・・180度位違うと思う。
例えば、中、高生のころ外出、帰宅時間の遅刻等の対応でも父親は娘の方への心配は80%だ。
イライラ・カッカ、大変だ。
母親は逆に息子を心配している。おのおのが自分の成長段階を経験しているから、同性は心配しない。
半分は「当たり前」と寛容だ。
まあそれでいいあんばい、その感覚のすれ違いがいい結果をうむのかどうかは判らないが現実はそうだ。
母親は息子に甘い。嫁姑問題も当然だ。
父親の思春期の娘に対する無知的対応も後に後遺症となって永年禍根を残すことも多々聞く。
父と息子はライバルだ、お互いオスだけに容易ではない。
何かの場合母親が息子の助太刀にまわり問題を余計大きくしたりする。
昨夜、映画「海の見える家」を自宅でDVDを見ていい映画だったが、私の息子は女児ばかりで幸せなのかも知れないと思った。
男と女の問題は難しい。不倫だってなんだって好きになってしまったらどうしようもないのだ。
一夫一婦制なのだが出会う順番が狂っただけの話だ。
この人がBABAより先に出会っていたら絶対”プロポーズ”したろうなあ・・
こう思った人が過去何人もいた。
恋って大変だが生物の本能だもんなあ。
老人としての実感、「老人」その言葉の響きには主観かも知れないが、
何となく男性高齢者を連想する。女性は、時たま新聞の三面記事などで
「老女・・」うんぬん見かけるがなんとなく、そぐはない。
男性は老人とは謂わずとも”孤独”に弱い、特に老人はと思う。女性の場合、
そういう状況から抜け出す気力、能力を男性よりもはるかに多く
持ち合わせていると思う。
弱き者、汝の名は女、嘘だ!この世に弱くない女なんか居ないのだ。
この言葉は間違いなのだ。
団塊の世代もそろそろ定年を迎える。多数は男性だろう。
何となく戸惑っているに違いない。まあその後の生活、平均寿命が延びた今、
老後は永い。
何して過ごす?恐らく会社人間、真面目人間ほど苦労するかもしれない。
もたもたすると早くボケるかも。
男のサガは男の見栄でもある。自分の役割、居場所、存在価値、
これらが確保されなくなった時に男は困惑し自分を見失う時でもある。
またそういう「忘れられた存在」になるののを予想するだに怖い。
自分のポジションを守るのに汲々として老人同士が仁義なき戦いを繰り広げる。
政治や、社内、または業界の役職をめぐってだ。男は”ヒゲ”が欲しいのだ。
だがハタから見ていると何とかかんとか理由を付けているが
所詮それしかやること無い様にもみえる。家の中ではとっくに居場所が無いのかもしれない。
女性は違う、中年すぎれば、育児が終わると突然輝き出す。
フェロモンだって再発散してトキメキだすのだ。男は”枯れ落ち葉”や”粗大ゴミ”に変身するのにだ。
生物学的にも男の役割は終わったのか?このままで男はいいのか。
でも居場所が無くれば作ればいい、役割だって見つければいくらでもある。
存在価値もいくらかは出る。女性はとっくにそれをやっている。
仕事も人一倍やったが、遊ぶのも人二倍、趣味は人三倍、
曲がりくねったここまでの人生だったが今、このブログでも役に立っている、
男のサガを克服して幸せな老後を切り開こうや。女性を見習って。
何となく男性高齢者を連想する。女性は、時たま新聞の三面記事などで
「老女・・」うんぬん見かけるがなんとなく、そぐはない。
男性は老人とは謂わずとも”孤独”に弱い、特に老人はと思う。女性の場合、
そういう状況から抜け出す気力、能力を男性よりもはるかに多く
持ち合わせていると思う。
弱き者、汝の名は女、嘘だ!この世に弱くない女なんか居ないのだ。
この言葉は間違いなのだ。
団塊の世代もそろそろ定年を迎える。多数は男性だろう。
何となく戸惑っているに違いない。まあその後の生活、平均寿命が延びた今、
老後は永い。
何して過ごす?恐らく会社人間、真面目人間ほど苦労するかもしれない。
もたもたすると早くボケるかも。
男のサガは男の見栄でもある。自分の役割、居場所、存在価値、
これらが確保されなくなった時に男は困惑し自分を見失う時でもある。
またそういう「忘れられた存在」になるののを予想するだに怖い。
自分のポジションを守るのに汲々として老人同士が仁義なき戦いを繰り広げる。
政治や、社内、または業界の役職をめぐってだ。男は”ヒゲ”が欲しいのだ。
だがハタから見ていると何とかかんとか理由を付けているが
所詮それしかやること無い様にもみえる。家の中ではとっくに居場所が無いのかもしれない。
女性は違う、中年すぎれば、育児が終わると突然輝き出す。
フェロモンだって再発散してトキメキだすのだ。男は”枯れ落ち葉”や”粗大ゴミ”に変身するのにだ。
生物学的にも男の役割は終わったのか?このままで男はいいのか。
でも居場所が無くれば作ればいい、役割だって見つければいくらでもある。
存在価値もいくらかは出る。女性はとっくにそれをやっている。
仕事も人一倍やったが、遊ぶのも人二倍、趣味は人三倍、
曲がりくねったここまでの人生だったが今、このブログでも役に立っている、
男のサガを克服して幸せな老後を切り開こうや。女性を見習って。
夏がくると思い出す
六月になると昔、40年も前に遭った交通事故を思い出す。梅雨と台風の合併号で当地でもかなりの集中豪雨があった。
よんどころない用事で県内のある主要都市に出かけていたおり帰り道にノーブレーキで突っ込んできた乗用車に信号待ちしていて追突された。
はずみで前の車に追突、私の新車はサンドイッチ状態で大破した。後ろの車は広域暴力団で今も健在のヤクザ屋さんだった。
運悪く私が吹っ飛んで衝突した乗用車も御同様の別組織のこれまた組の車。偶然だったようだ。
罵声、怒声が飛び交ってもなーんにも聞こえない猛烈な台風の土砂降りなか私は病院へ。即、単身入院。
しかし結局、その後、車の損害の補償金は貰えず終いだった。
「話があるなら来い」というので集金に、相手の住所の近所の交番で名前を言って住み家を訪ねたら「一人で殴り込みか?」と聞かれ身体検査もされて止められた。失礼な巡査だった。
残念だった。その後、退院してから前の車の連中は後ろの組の力が強く、これも貰えず終いだったらしく団体で二、三度我が家に集金にきたが払う義務は無いのでテブラで帰ってもらった。不満そうだった。
そのうちに後ろの車の運転手は覚醒剤かなにか、所有者は殺人を犯して刑務所へ入ってしまった。
集金は不可能になった。非常に残念だった。
しかし何故か、今考えれば、皆元気のいい人ばかりだったなあ。言葉遣いは悪かったし、声も人一倍大きかったような記憶。
夏が来れば思い出す”仁義なき請求”の思い出。人生いろいろある。
昔はよかったなあ、人生に変化があって。
余談
25年も経過したある時、ある飲み屋で「元殺人犯」の実弟に偶然出くわした。
で・・・その話をした。 その筋の現役幹部だった。
弟曰く「兄貴元気でシャバにいるよ!歌舞伎町でいい顔だ、集金行ってミナ!」
ZIZI答えて「時効じゃなければね、残念だ」
弟・ZIZI「ガハッハッハッ・・・乾杯!」
六月になると昔、40年も前に遭った交通事故を思い出す。梅雨と台風の合併号で当地でもかなりの集中豪雨があった。
よんどころない用事で県内のある主要都市に出かけていたおり帰り道にノーブレーキで突っ込んできた乗用車に信号待ちしていて追突された。
はずみで前の車に追突、私の新車はサンドイッチ状態で大破した。後ろの車は広域暴力団で今も健在のヤクザ屋さんだった。
運悪く私が吹っ飛んで衝突した乗用車も御同様の別組織のこれまた組の車。偶然だったようだ。
罵声、怒声が飛び交ってもなーんにも聞こえない猛烈な台風の土砂降りなか私は病院へ。即、単身入院。
しかし結局、その後、車の損害の補償金は貰えず終いだった。
「話があるなら来い」というので集金に、相手の住所の近所の交番で名前を言って住み家を訪ねたら「一人で殴り込みか?」と聞かれ身体検査もされて止められた。失礼な巡査だった。
残念だった。その後、退院してから前の車の連中は後ろの組の力が強く、これも貰えず終いだったらしく団体で二、三度我が家に集金にきたが払う義務は無いのでテブラで帰ってもらった。不満そうだった。
そのうちに後ろの車の運転手は覚醒剤かなにか、所有者は殺人を犯して刑務所へ入ってしまった。
集金は不可能になった。非常に残念だった。
しかし何故か、今考えれば、皆元気のいい人ばかりだったなあ。言葉遣いは悪かったし、声も人一倍大きかったような記憶。
夏が来れば思い出す”仁義なき請求”の思い出。人生いろいろある。
昔はよかったなあ、人生に変化があって。
余談
25年も経過したある時、ある飲み屋で「元殺人犯」の実弟に偶然出くわした。
で・・・その話をした。 その筋の現役幹部だった。
弟曰く「兄貴元気でシャバにいるよ!歌舞伎町でいい顔だ、集金行ってミナ!」
ZIZI答えて「時効じゃなければね、残念だ」
弟・ZIZI「ガハッハッハッ・・・乾杯!」
あれは中学1年生の時だったか・・・
春の遠足(旅行?)とかで貸し切りバスで一時間ほどの行楽地にでかけた。
鮎がとれ”やな”もあったり風光明媚なところだった。
お昼も近い頃 河原に一艘の渡し船らしきものを見つけた。
船の下は砂地だが流されないように手頃な丸太が一本置いてあった。
級友たちの手頃なシーソーがわりとなった。中学生といえども最近までは小学生。
船の両端に結構な人数が乗ってシーソー、ギッコンバッタン・・
”バキッ”と音がこだまして舟は真ん中から真っ二つ・・・
受け持ち先生に報告すると、先生の決断は早かった。
「撤退!」 直ぐさまバスに乗り込み雲を霞と逃げ去った。
さすが、凄惨極めたあの”ガダルカナル”から軽々と生還した勇士だけのことはあった。
最近、その勇気ある聡明な先生は老衰で他界した。惜しい先生をなくした、合掌。
春の遠足(旅行?)とかで貸し切りバスで一時間ほどの行楽地にでかけた。
鮎がとれ”やな”もあったり風光明媚なところだった。
お昼も近い頃 河原に一艘の渡し船らしきものを見つけた。
船の下は砂地だが流されないように手頃な丸太が一本置いてあった。
級友たちの手頃なシーソーがわりとなった。中学生といえども最近までは小学生。
船の両端に結構な人数が乗ってシーソー、ギッコンバッタン・・
”バキッ”と音がこだまして舟は真ん中から真っ二つ・・・
受け持ち先生に報告すると、先生の決断は早かった。
「撤退!」 直ぐさまバスに乗り込み雲を霞と逃げ去った。
さすが、凄惨極めたあの”ガダルカナル”から軽々と生還した勇士だけのことはあった。
最近、その勇気ある聡明な先生は老衰で他界した。惜しい先生をなくした、合掌。
小学5年生のころだったか、東京へ日帰り旅行があった。
大抵の連中は東京には生まれて初めていく子供達ばかりだった。終戦から7年くらいしかたっていなくて
方々に戦火の焼け跡も残る頃だったがそれでも”都市”の巨大さにはたまげた。
自動車なんか複数台、一度にみたこともない山猿のガキ共一行様だった。
恐らく二重橋でもみたのだろうが記憶に無い。そのあとは上野の動物園だったのか。
次に浅草の観音様でも参拝してから、行かなければいいものを、浅草「松屋デパート」と思うが
それらしきところで”山猿”を放した。放し飼いは、ほぼ放逐状態で集合時間になっても
その場所に辿り着いた者は半数もいなかった。「迷子」だ。当地の交番もパニックになった。
「標準語」すらよく翻訳できない田舎ものばかりだ。
私も当然迷子になった。今考えれば隅田川の堤防か、あの辺を絶望的に彷徨していたのを思い出す。
それでも奇跡的に集合現場に偶然たどり着いた。ほぼ周囲は真っ暗になっていた。
その時の最大の「思い出」はデパートのトイレだった。
あんな綺麗な”便所”は見たこともなかった、女子児童もびびっていた。しかしびびっていても
生理現象はいかんともしがたい。小用をたしていると友達が私を呼んでいる。
友達は「届かない」「届かない」と叫んでチンポを持ち上げていた。飛び上がっていた。
友はあとから入ってきた大人の人にぶん殴られた。
そこは手洗い専用だった。怒られて当然だが生まれて初めて見たものだった。
私も知らなかった。高いから大人専用と判断していたのだ。
なんせ仲間には水道の蛇口すら初めて見た者が殆どだったのだから。
大抵の連中は東京には生まれて初めていく子供達ばかりだった。終戦から7年くらいしかたっていなくて
方々に戦火の焼け跡も残る頃だったがそれでも”都市”の巨大さにはたまげた。
自動車なんか複数台、一度にみたこともない山猿のガキ共一行様だった。
恐らく二重橋でもみたのだろうが記憶に無い。そのあとは上野の動物園だったのか。
次に浅草の観音様でも参拝してから、行かなければいいものを、浅草「松屋デパート」と思うが
それらしきところで”山猿”を放した。放し飼いは、ほぼ放逐状態で集合時間になっても
その場所に辿り着いた者は半数もいなかった。「迷子」だ。当地の交番もパニックになった。
「標準語」すらよく翻訳できない田舎ものばかりだ。
私も当然迷子になった。今考えれば隅田川の堤防か、あの辺を絶望的に彷徨していたのを思い出す。
それでも奇跡的に集合現場に偶然たどり着いた。ほぼ周囲は真っ暗になっていた。
その時の最大の「思い出」はデパートのトイレだった。
あんな綺麗な”便所”は見たこともなかった、女子児童もびびっていた。しかしびびっていても
生理現象はいかんともしがたい。小用をたしていると友達が私を呼んでいる。
友達は「届かない」「届かない」と叫んでチンポを持ち上げていた。飛び上がっていた。
友はあとから入ってきた大人の人にぶん殴られた。
そこは手洗い専用だった。怒られて当然だが生まれて初めて見たものだった。
私も知らなかった。高いから大人専用と判断していたのだ。
なんせ仲間には水道の蛇口すら初めて見た者が殆どだったのだから。
高校時代、私の教室に隣接して美術室があった。
そこの部屋の掃除当番は栄光の三年五組であった、当然私は委員長だった。
けたたましいN教諭の雄叫びにクラスの帰りそびれた連中が美術室へ・・
見てみると同じクラスのU、T、Iが正座してお説教を食っていた。
なぜ怒られているかは一目瞭然だった。
かたわらの女性石膏像の陰部は彫刻刀で綿密に解剖学的に正確にノミを入れられ
これまた写実風に綿密に陰毛が墨汁で黒々と・・・
外人の陰毛が本当は黒だったのが知らないが・・・・・
いずれにしても石膏像数体が修復不能の状態で数体並んでいた。みものだった。
美術室管理者のN教諭は猛り狂い吠えまくっていた。
笑うに笑えなかった。こんなことで退学になったら一生なんて言われて過ごすのだ。
勿論なんのお咎めもなかった。
しかし最近この三人組の一人の死んだことを聞いた。
N教諭は健在で三人組に会いたがっている。
そこの部屋の掃除当番は栄光の三年五組であった、当然私は委員長だった。
けたたましいN教諭の雄叫びにクラスの帰りそびれた連中が美術室へ・・
見てみると同じクラスのU、T、Iが正座してお説教を食っていた。
なぜ怒られているかは一目瞭然だった。
かたわらの女性石膏像の陰部は彫刻刀で綿密に解剖学的に正確にノミを入れられ
これまた写実風に綿密に陰毛が墨汁で黒々と・・・
外人の陰毛が本当は黒だったのが知らないが・・・・・
いずれにしても石膏像数体が修復不能の状態で数体並んでいた。みものだった。
美術室管理者のN教諭は猛り狂い吠えまくっていた。
笑うに笑えなかった。こんなことで退学になったら一生なんて言われて過ごすのだ。
勿論なんのお咎めもなかった。
しかし最近この三人組の一人の死んだことを聞いた。
N教諭は健在で三人組に会いたがっている。
ちょっと、一休みです。
どういうことか判りませんが、突然ブログがyahooから無断削除されてしまい・・
書きためて、あとで推敲しようと思っていた”元ネタのエッセイらしきものが
突然消滅してしまいました。
それで・・こちらに引っ越しして参りました。
懸命にgoogleなど保存されているキャッシュを拾い集め半分くらい
見つかりましたので”UP”致しております。
あとは少しずつ・・・
そんなわけで自分なりにも推敲前のかきなぐりですが・・・
とりあえずの保存先(バックアップ)として避難しております。
よろしくです。
バックアップのブログをで立ち上げております。
http://zizizizi.exblog.jp/
↑(画像主体)OPEN
http://blog.so-net.ne.jp/ZIZI-BLOGS/
↑(画像主体)OPEN
http://blog.goo.ne.jp/goo33323365goo/
↑ (エッセイ主体)10日OPEN
http://zizifc2zizi.blog50.fc2.com/
↑ (エッセイ主体)OPEN
よろしくです。
ZIZI拝
どういうことか判りませんが、突然ブログがyahooから無断削除されてしまい・・
書きためて、あとで推敲しようと思っていた”元ネタのエッセイらしきものが
突然消滅してしまいました。
それで・・こちらに引っ越しして参りました。
懸命にgoogleなど保存されているキャッシュを拾い集め半分くらい
見つかりましたので”UP”致しております。
あとは少しずつ・・・
そんなわけで自分なりにも推敲前のかきなぐりですが・・・
とりあえずの保存先(バックアップ)として避難しております。
よろしくです。
バックアップのブログをで立ち上げております。
http://zizizizi.exblog.jp/
↑(画像主体)OPEN
http://blog.so-net.ne.jp/ZIZI-BLOGS/
↑(画像主体)OPEN
http://blog.goo.ne.jp/goo33323365goo/
↑ (エッセイ主体)10日OPEN
http://zizifc2zizi.blog50.fc2.com/
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よろしくです。
ZIZI拝
当時は”飲酒”に関しては寛容だった。田舎では15歳も過ぎれば半分大人扱いされた。
時代も時代、漱石の”坊ちゃん”的なところも多分に残っていた。高校1年の時の学校祭の
仮装行列の優勝賞品は一級酒3本が校長のふんぞりかえるテントにうやうやしく鎮座ましましていた。
その晩、優勝して酔っぱらって意気あがる高校生たちに「学生のくせに・・」と意見した通行人は川に投げこまれた。川の水位も浅く大事にいたらなかったが生徒たちは停学処分をうけた。
僧兵に扮した上級生は農耕馬にまたがり4.5騎縦横無尽に校庭をかけずりまわり、ミスインターナショナルに扮した美女たち(男子校だが)は無免許でオート三輪車や小型トラックで手を振って歓呼の声に答えながら投げキッス!校庭をパレードした。全く肝をつぶした。
しかし停学者が出たためか二年、三年生と仮装行列は復活しなかった。
我が柔道部は「映画シリーズ」とやらで私の出番は「赤線地帯」売春婦だった、一生懸命先生方に抱きついたり、特別化粧をして強引にキスをせまった。(上級生の命令)先生方は必死で逃げずりまわった。口紅は強烈だった。
卒業式後はクラスごと受け持ち先生とともに教室、近所のお寺などで別れの宴を催した、勿論酒付き。(般若湯は公認)
柔道部の送別会は料亭で行われた、校長も参加した。
出身中学校別の送別会は一般家庭で行われ、盛大な宴会で季節も二月、三月、当時舗装の道路などなく
悪路を酔っぱらって自転車で転び転び各自帰っていった。当家の母親は大忙しだった。他高校の家庭科教室(和室)を借用したこともあった。
全く合法ドラックみたいなものだった。友人の家でご馳走になりすぎ学生服がゲロだらけで先生と出くわしたら「気おつけて帰れ」だった。
そのわりに喫煙には厳しかったが・・・・いい思い出だった。
時代も時代、漱石の”坊ちゃん”的なところも多分に残っていた。高校1年の時の学校祭の
仮装行列の優勝賞品は一級酒3本が校長のふんぞりかえるテントにうやうやしく鎮座ましましていた。
その晩、優勝して酔っぱらって意気あがる高校生たちに「学生のくせに・・」と意見した通行人は川に投げこまれた。川の水位も浅く大事にいたらなかったが生徒たちは停学処分をうけた。
僧兵に扮した上級生は農耕馬にまたがり4.5騎縦横無尽に校庭をかけずりまわり、ミスインターナショナルに扮した美女たち(男子校だが)は無免許でオート三輪車や小型トラックで手を振って歓呼の声に答えながら投げキッス!校庭をパレードした。全く肝をつぶした。
しかし停学者が出たためか二年、三年生と仮装行列は復活しなかった。
我が柔道部は「映画シリーズ」とやらで私の出番は「赤線地帯」売春婦だった、一生懸命先生方に抱きついたり、特別化粧をして強引にキスをせまった。(上級生の命令)先生方は必死で逃げずりまわった。口紅は強烈だった。
卒業式後はクラスごと受け持ち先生とともに教室、近所のお寺などで別れの宴を催した、勿論酒付き。(般若湯は公認)
柔道部の送別会は料亭で行われた、校長も参加した。
出身中学校別の送別会は一般家庭で行われ、盛大な宴会で季節も二月、三月、当時舗装の道路などなく
悪路を酔っぱらって自転車で転び転び各自帰っていった。当家の母親は大忙しだった。他高校の家庭科教室(和室)を借用したこともあった。
全く合法ドラックみたいなものだった。友人の家でご馳走になりすぎ学生服がゲロだらけで先生と出くわしたら「気おつけて帰れ」だった。
そのわりに喫煙には厳しかったが・・・・いい思い出だった。
既述の同級生、IとTが遊びに来た。
昼飯でも食いに行こうかと流しそーめん屋に行った。
久しぶりの再会に乾杯となるわけだが二人は飲めない体になっていた。
Tは不整脈、Iは大腸の働きが悪く消化しない”難病”なのだそうだ。
まったく酒も飲めないなんて・・・・・・・・・・
高校三年生の秋、クラスで県内の観光地に日帰り旅行に行った。
しかしその晩高校の電話は一晩中鳴りっぱなしだった。
「無事に旅は終わった」で三々五々、各所で宴会を催した。
飲み過ぎて動けず各所に泊まった。
知らぬ顔をして翌日登校・・
てぐすねひいて待ち受けていたのは校長以下先生群だった。
知らなかったが、殆ど無断外泊者ばかりだった。
その連中が飲めない体になるなんて・・・・・・
私は二日で一升無くなった。その話に旧友たちは本気で私を諫めて帰って行った。
昼飯でも食いに行こうかと流しそーめん屋に行った。
久しぶりの再会に乾杯となるわけだが二人は飲めない体になっていた。
Tは不整脈、Iは大腸の働きが悪く消化しない”難病”なのだそうだ。
まったく酒も飲めないなんて・・・・・・・・・・
高校三年生の秋、クラスで県内の観光地に日帰り旅行に行った。
しかしその晩高校の電話は一晩中鳴りっぱなしだった。
「無事に旅は終わった」で三々五々、各所で宴会を催した。
飲み過ぎて動けず各所に泊まった。
知らぬ顔をして翌日登校・・
てぐすねひいて待ち受けていたのは校長以下先生群だった。
知らなかったが、殆ど無断外泊者ばかりだった。
その連中が飲めない体になるなんて・・・・・・
私は二日で一升無くなった。その話に旧友たちは本気で私を諫めて帰って行った。






















