どうにも不気味な感じが拭えない。嵐の前の静けさか・・・、地震が起きるか、津波になるか。何れにせよ、自然災害の恐ろしさは、忘れた頃に襲ってくることにある。ガソリンの価格も、最高になっており、知識はあっても、実際には不測のことが重なる。
大寒に、こんなに気温が高く、穏やかな小春日和も不気味である。自然からの警告に、耳を澄ませ、宇宙に注意を払っていても、地震を止める術も、津波から逃れるのも難しい。気づいた者に促されても、柵には抗えないこともある。人間も自然の物。
核シェルターがあって、放射能からは逃げられても、外の世界との遮断では、空気が無くなれば命を終える。食べ物も同じで、尽きるのは時間の問題だ。それに、自分独りが生き残ったとして、何も出来ないのは明らかだろう。とどのつまり死んで往く。
淡路震災、東日本震災でも、何等罪・咎のない人が亡くなった。戦争も同じで、多くの犠牲が発生した。広島と長崎もそうだが、沖縄の悲劇を忘れてはならないのよ。今尚、上空を米軍機が飛び、庶民の不安を駆り立てている。基地があるから飛ぶんだ。
自分さえ良ければいい、と言う考え方でいるから、沖縄でのことには耳を貸さず、都合が悪いと蓋をする。武器を造れば儲けられるから、平和を訴える顔でいながら、腹の中は真っ黒で、平気で戦争に加担する。国民の事等、白々しく上の空での政治。
他所の事情は知らないが、団地の中での違法駐車、ゴミの散乱等、家の中は綺麗にして、自分地さえ良ければの考え方だ。つましやかな暮らしをしている者には、なんとしても不可思議な現象。近所のコンビニさえ行かないのに、棲み難いこと夥しい。
流通手段が、物々交換であれば、暮らし向きが良くなるのか?まあ、考え方にも依るだろう。丹精籠めて作っているのは、こちらの想いだけで、相手に通じているとは限らない。そういったことが分からないと、物の価値は違ってくる。枇杷も桃も同じだ。
枇杷葉茶も、千葉県を境にして、東北には育たないらしい。寒さに弱いので、枯れてしまうのだろう。冬の間、室内に運べればいいが、地植ではそうもいかない。閉開式の温室があればかなり違うが、結実するかどうか?我が家でも、寒いと発育不良。
自然での条件には、人間が勝手に決められることでもない。枇杷葉の木が大きくなり、葉の中心が膨れて苞ができ、花芽が咲いて結実するのも、自然の掟に他ならない。それにつけても、赤枇杷は比較的育つが、白枇杷の種類は、中々育たないのね。
すばるが手術のショックから立ち直り、餌も食べだしたが、何分大きくなってきて重い。体はでかくなっても、遣ることは変らず、腕に吸い付くのを止めない。爪の立て方は減っている。枇杷葉茶をたっぷりと飲み、水も美味しそう。肥満ではないのも安心。
雨上がりの庭に。春の陽射しに思わず佇む。我が家の庭には、生き物の棲み処であり、自然の営みが。