散策の記・きのう&きょう!

日々の散策、思いをのんびりと記したい.

ヒロシマの夏の花

2009-08-31 17:47:51 | Weblog
 広島に原爆が投下されて64年になる。完全に焼け野原と化した市街地に70年は草木が生えないと言われたのを覚えている。
先日、友達と会って平和記念公園を歩きながら、被爆の頃からを語り合う、
25年頃から街路樹の整備がおこなわれ、32年から自治体の協力で平和大通りや平和公園の緑化が進められた。
48年に市民の投票により「市の木」「市の花」が決められた。候補として、「芙蓉、カンナ、夾竹桃」「楠、泰山木、クロガネモチ」が選ばれ、投票の結果「広島の木と花」は「楠」「夾竹桃」になったようだ。
クスノキは、もともと広島の街に植えられていた木で、今も被爆に耐えた老樹も、あちこちに残っている。
キョウチクトウは、原爆が落とされた広島の焦土には70年間草木は生えないと言われたのに、いち早く咲いた花である。真夏の花の少ない時期、常緑のクスノキに混じって、赤や白の花が、緑の葉を覆い、きれいに咲いている。原爆犠牲者の慰霊を込めて「広島市の花」に選ばれた特別の意味がわかる気がする。


国立平和祈念館での祈り

2009-08-18 21:11:54 | Weblog
原爆死没者慰霊碑に隣接して、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館がある。
 建物は門型コンクリート、正面に銘文があり、奥には原爆投下時間、8時15分を表した、モニュメントがある。周辺は建設当時の被爆した瓦礫等が置かれている。
 地下1階では被爆体験記、被爆者の遺族友人の書いた証言等の資料が収集さられている。研修室では、被爆体験記朗読会が開かれている。
 1階から2階ヘは円形のスロープ道で下って行く。途中に原爆投下の経過、被害の状況説明等を見ながら追悼空間に到着する。円形建物で天井を12本の柱で繋ぎ、悲しい時代と私達の現在を繋ぐ象徴とされている。
室内は原爆死没者を追悼し、平和について考える追悼空間場所である。中央に水盤があり原爆投下時8時15分を表している。壁面には爆心地から見た被爆後の街並を、死没者(20年12月まで)14万人と同数のタイルを用いてパノラマで表現している。その下には被爆当時の広島地域の町名が表されている。
椅子に座って静かに眺める。水盤の時計は投下時間を表し、水を求めて亡くなった悲しさを表している。パノラマの町名を追う。投下位置「島病院」「原爆ドーム」「本川小学校」「各銀行街」数名の知人の名前が浮かぶ。それは未だに何も残されたものはない。眺めていると、原爆投下時の大惨事が64年前とは思えない姿で回想されてくる。
「追悼の空間」は、静かに、ゆっくり考える場所である。

「核兵器のない世界へ」

2009-08-13 13:55:55 | Weblog
8月6日、広島平和記念公園で開催された、原爆死没者慰霊式・平和祈念式に、会の代表として、市長のメッセージ、千羽鶴を持参して参列した。
 薄曇り、8時に始まり、今年度の原爆死没者5,636名の名簿が、秋葉市長と遺族代表により原爆慰霊碑に納められた。
 式辞、献花があり、8時15分原爆投下時間、遺族代表と子ども代表が平和の鐘を鳴らし、参列者の黙とうが行われた。静まる場内、原爆投下の瞬間を思い、悲しみの凝縮したひとときである。
 広島秋葉市長の平和宣言、人類絶滅兵器の原子爆弾が投下されて64年になる。
4月、オバマ大統領が「核兵器のない世界」実現に努力するという演説を支持し、市民と共に核廃絶を、世界へ呼びかけようという力強い平和宣言がなされた。
 子ども代表、原子爆弾や戦争の脅威に目を背けず、真実を見つめ、世界の人々に平和を訴える、「平和への誓い」が読みあげられた。
 麻生総理大臣の、核兵器廃絶、恒久平和実現に国際社会の先頭に立つという挨拶が有り、原爆の街広島、50,000人の参列者が、原爆の脅威、核廃絶の必要性、世界平和の大切さのアピールを痛切に感じる式典に参列できたことに感謝する。

ワッショイ、ワッショイ・夏祭り

2009-08-04 15:03:25 | Weblog
 曇り、小雨も時々、空模様を気にしながらの、町会夏祭りは盛大だった。
 午前10時、子供神輿に山車から始まる。今年は子供会の集まりが心配されたが、里帰りのこども達、孫さん達で予想以上の集まりとなった。
 神輿はこども達が担ぎ、大人が手助け。山車は20数名の、こども達が左右に分かれ、引いて出発。ワッショイ、ワッショイのかけ声が、町中に響く。始めは声の出ない、こども達も、元気なお母さんの誘導、お父さんのデジカメにつられ、だんだん元気な声が出てくる。
 声援に送られながら、町内ルートを練り歩き、第二公園、第三公園に到着した。喜びの歓声があがる。
 公園では役員の皆さんが、冷たい飲み物を用意して待つ。小雨もやみ、ミンミン蝉の声が、祭りの喜びに加勢する。 
 夜の部、6時から子供太鼓、熱心に取り込み、上達は早い。続いて卑弥呼太鼓、すっかり町会の人気者になり、祭りの主役、町会の活力を引き出し、祭りの主役となった感じだ。
 7時から盆踊り、「柏おどり」、「きよしのズンドコ」,「沼南おんど」「日光わらく」、そして、今年の新曲は「100歳おんど」、わりに簡単、100歳の声を聞きながら踊れば、気分もはつらつ。
 近隣町会から参加者も多く、二重、三重の輪となり、最高に盛り上がりながら終わりを迎えた。

これがボールを握る右手だ

2009-08-01 14:35:17 | Weblog
 地下鉄、神保町駅階段を出ると、正面に「ボールを握る右手」が見える。
学士会館の玄関前で、台座に「日本野球発祥の地」と記され、碑文が書かれている。
 平成15年12月16日、日本に初めて野球を伝えた、ホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して建立されたもの。
 学士会館は東京大学の前身、開成学校が開設された場所、米国教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒に野球を指導したことが、日本における野球の始まりとのことだ。
 ブロンズ像は高さ2,4m、下から眺めると、すごい迫力を感じる。ボールには世界地図が書き込まれ、縫い目は、日本、アメリカを結ぶものとされている。
 野球は日本国民の、もっとも親しまれているスポーツだ。
いま、全国高校野球の夏の大会の予選が行われ、毎日、すばらしい熱戦があり、卓越した選手の活躍が報じられている。
 間もなく開会される、暑い、熱い、甲子園大会が楽しみである。
 「ボールを握る右手」を眺めているだけで、大きな喜びと感動を与えてくれる。