
吉備津神社/広島県福山市(Kibitsu Jinja,Fukuyama-shi,Hiroshima,Japan)
☆備後国一宮
2019年5月10日(金)、広島県福山市にある吉備津神社に参拝。山麓にある大きな神社。白い石の第1鳥居をくぐり、アスファルト参道をゆく。右に社号標、左に由緒板。正面に黒瓦屋根の神門。参道をゆく。左に大きなイチョウの木。更に左に御鎮座1200年祭奉賛者御芳名石碑、向い側にも同じ趣旨の石碑、一宮会館竣工記念碑。境内はイチョウ、スギ、クスノキなどの巨木の森。参道をゆく。右に桜山神社あり。左の一段高い所に桃太郎の石像、忠魂碑。桜山神社の参道をゆく。正面に黒瓦屋根の社殿。前に獅子狛犬1対。玉乗り型、阿吽像の配置は正常、大正3年6月奉納( 1914年)。
表参道に戻る。左に大山祇神社、青黒屋根の小社。参道に戻る。正面の石段を登る。上に神門。右に手水舎。神門をくぐると正面に神楽殿。右に社務所、左に蔵。本殿は工事中だった。石段を登ると焦げ茶屋根の本殿。獅子狛犬が2対居た。1対目は、備前焼の陶器製。阿吽像の配置は正常、奉納年不明。2対目は、玉乗り型、阿吽像の配置は正常、慶応2年丙寅季秋奉納( 1866年)。
本殿の右側へ行く。ブロンズの神馬像。摂末社あり。祖霊社、彰徳宮、白髭神社、吉備津天満宮、厩戸皇子神社、武内神社、疱瘡神社。石段を登り、十麻里二柱神社(とまりふたはしらじんじゃ)。石段を下りて、秋葉神社、四所神社。最後に御池に戻って厳島神社あり。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒729-3104 広島県福山市新市町宮内400
☆祭神
〇主祭神
・大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと) :第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した。
〇相殿神
・大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと): 第7代孝霊天皇(大吉備津彦命の父)を指す。
・細比売命(くわしひめのみこと): 孝霊天皇皇后(大吉備津彦命の生母ではない)。
・稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと): 大吉備津彦命の弟。兄とともに吉備の平定に携わったとされる。
祭神は、吉備分国に関連して備中国一宮の吉備津神社から分祀されたことに由来する。
☆由緒
備後一宮吉備津神社は、大同元(806)年、備中吉備津神社より勧請されたと伝えられており、幾度かの御社殿焼失・再営の後、慶安元(1648)年、初代福山藩主であった水野勝成公により、現在のご本殿(国指定重要文化財)が造替されました。御祭神は備後開拓の神様として、また、開運招福・厄除け・交通安全・長寿の神様として、備後一宮(びんごいちのみや)・一宮(いっきゅう)さんと人々に親しまれ、広く信仰されています。
☆地名の由来
・福山市:福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、こうもりは本来、中国思想の影響から縁起の良い動物とされ、「蝠」は福に通じることと初代藩主水野勝成が「福山」と名づけた。
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☆備後国一宮
2019年5月10日(金)、広島県福山市にある吉備津神社に参拝。山麓にある大きな神社。白い石の第1鳥居をくぐり、アスファルト参道をゆく。右に社号標、左に由緒板。正面に黒瓦屋根の神門。参道をゆく。左に大きなイチョウの木。更に左に御鎮座1200年祭奉賛者御芳名石碑、向い側にも同じ趣旨の石碑、一宮会館竣工記念碑。境内はイチョウ、スギ、クスノキなどの巨木の森。参道をゆく。右に桜山神社あり。左の一段高い所に桃太郎の石像、忠魂碑。桜山神社の参道をゆく。正面に黒瓦屋根の社殿。前に獅子狛犬1対。玉乗り型、阿吽像の配置は正常、大正3年6月奉納( 1914年)。
表参道に戻る。左に大山祇神社、青黒屋根の小社。参道に戻る。正面の石段を登る。上に神門。右に手水舎。神門をくぐると正面に神楽殿。右に社務所、左に蔵。本殿は工事中だった。石段を登ると焦げ茶屋根の本殿。獅子狛犬が2対居た。1対目は、備前焼の陶器製。阿吽像の配置は正常、奉納年不明。2対目は、玉乗り型、阿吽像の配置は正常、慶応2年丙寅季秋奉納( 1866年)。
本殿の右側へ行く。ブロンズの神馬像。摂末社あり。祖霊社、彰徳宮、白髭神社、吉備津天満宮、厩戸皇子神社、武内神社、疱瘡神社。石段を登り、十麻里二柱神社(とまりふたはしらじんじゃ)。石段を下りて、秋葉神社、四所神社。最後に御池に戻って厳島神社あり。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒729-3104 広島県福山市新市町宮内400
☆祭神
〇主祭神
・大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと) :第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した。
〇相殿神
・大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと): 第7代孝霊天皇(大吉備津彦命の父)を指す。
・細比売命(くわしひめのみこと): 孝霊天皇皇后(大吉備津彦命の生母ではない)。
・稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと): 大吉備津彦命の弟。兄とともに吉備の平定に携わったとされる。
祭神は、吉備分国に関連して備中国一宮の吉備津神社から分祀されたことに由来する。
☆由緒
備後一宮吉備津神社は、大同元(806)年、備中吉備津神社より勧請されたと伝えられており、幾度かの御社殿焼失・再営の後、慶安元(1648)年、初代福山藩主であった水野勝成公により、現在のご本殿(国指定重要文化財)が造替されました。御祭神は備後開拓の神様として、また、開運招福・厄除け・交通安全・長寿の神様として、備後一宮(びんごいちのみや)・一宮(いっきゅう)さんと人々に親しまれ、広く信仰されています。
☆地名の由来
・福山市:福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、こうもりは本来、中国思想の影響から縁起の良い動物とされ、「蝠」は福に通じることと初代藩主水野勝成が「福山」と名づけた。
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