神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

土佐神社/高知県高知市(Tosa Jinja,Kochi-shi,Kochi,Japan)

2018年07月17日 | 神社と狛犬
土佐神社/高知県高知市(Tosa Jinja,Kochi-shi,Kochi,Japan)
☆土佐国一宮
2018年5月23日(水)、高知県高知市にある土佐神社(とさじんじゃ)に参拝。山麓にある大きな神社。雨が降る。アスファルト参道。木の鳥居。左に大きな手水舎。龍が水を吐く。右に社号標。鳥居をくぐり左に社殿再興の説明板。1570年長曾我部元親公によって再興、トンボ様式の社殿。神社の案内板。境内はスギ、クスノキ、モミジ、サクラ、広葉樹などの巨木の森。砂利参道をゆく。石段を上がり、正面に焦げ茶屋根の社殿。右に鼓楼。古札納所。左に斎館、社務所・祈祷受付所。社殿で参拝。神官が掃除をしていたので、お願いして拝殿の上に上げていただく。拝殿を下りて、右に絵馬殿。拝殿の左に行く。案内板に沿い、時計回りで本殿の周りを参拝する。木の鳥居、砂利参道。摂社が3社。中央が前に出ていて大きい。西御前社。右が大国主神社、左に事代主神社。順路に従い細いコンクリート道をゆく。小さな石橋を渡る。右へ曲り白砂利参道。左に御神木の杉。参道をゆく。左に土佐神社消防団の屋根付き消火水槽。杉の巨木並木。竹林が雨に打たれて曲り進路を塞ぐ。左奥に神明宮。コンクリート参道、奥に社殿あり。参道に戻り、「つぶて石」。本殿の右側に出た。禊岩、大楠。「輪抜け祓所」をくぐる。次は神池(放生池)と厳島神社だ。白い鳥居、砂利参道。神池に小さな石橋、小社あり。
獅子狛犬は、拝殿の中に居た。阿吽像の配置は正常。奉納年は不明。茶色の備前焼だ。胸板厚くガッシリとした体型。タレ耳、タテガミ豊かでウズを巻き流れ、大きな尾はウズを巻きフサとなり直立。

------------ネットによると-----------
☆所在地
 〒784-8131  高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
☆祭神 
 ・味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
 ・一言主神(ひとことぬしのかみ)

☆由緒
 土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。

☆地名の由来
 高知市:高知城の周辺は、鏡川などの川に挟まれた地形であった。このため、高知城は当初、「河中山城」(こうちやまじょう)と呼ばれていたが、音を借りて「高智山城」と改め、やがてこれが略されて「高知城」となった。
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