
諏訪大社・下社秋宮/長野県下諏訪町(Suwa Taisya Shimosya_Akimiya,Shimosuwa-machi,Nagano,Japan)
☆信濃国一宮
2018年5月12日(土)、長野県下諏訪町にある下社秋宮(しもしゃあきみや)に参拝。山麓にある大きな神社。駐車場の傍に忠魂碑。ツツジ咲く。諏訪湖が見える。石板参道、青黒鳥居。左に社号標、時計台、手水舎、その奥に池。参道の向こうに花嫁さんが通る。参道を上がる。正面に大きな根入りの杉。参道をゆく。焦げ茶屋根の神楽殿。大きな注連縄。神楽殿右に御札授与所、その奥に幣拝殿あり。右に天覧の白松。「秋宮一之御柱」、由緒板。左右に片拝殿あり。「秋宮二之御柱」、末社など4社あり。右から八坂社、加茂上下社、子安社、鹿島社。幣拝殿右奥に、摂社・末社3社、稲荷社、若松社、皇大神宮社。その奥に立ち入り禁止の札。奥に「秋宮四之御柱」。左に回り奥に「秋宮三之御柱」あり。木の根元に白いカバーの土俵。神宮遥拝所。石段を下りて宝物殿。境内はスギ、イチョウ、広葉樹などの巨木の森。
獅子狛犬は神楽殿前に居た。阿吽像の配置は正常。奉納は昭和5年11月3日(1930年)。大きなブロンズ製。胸板厚く逞しい体型。耳は水平、タテガミは豊かで盛り上がりフサとなって下がり、小さな尾は巻き上がりフサとなる。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒393-0052 長野県諏訪郡下諏訪町5828
☆祭神
〇主祭神
・建御名方神 (たけみなかたのかみ)
・八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
〇合祀
・八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる。
☆由緒
下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。
秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。
毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた。
☆地名の由来
・下諏訪町:醍醐天皇(10世紀初め)の頃に作られた和名抄によると、信濃国諏訪郡名の中に、「土武郷」という地名があり、これが現在の下諏訪町と ... 明治7年に7村が合併し下諏訪村となり、明治9年に筑摩県が廃止されて長野県の所管に入り、明治26年6月30日に町制を布いて下諏訪町と改称しました。
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☆信濃国一宮
2018年5月12日(土)、長野県下諏訪町にある下社秋宮(しもしゃあきみや)に参拝。山麓にある大きな神社。駐車場の傍に忠魂碑。ツツジ咲く。諏訪湖が見える。石板参道、青黒鳥居。左に社号標、時計台、手水舎、その奥に池。参道の向こうに花嫁さんが通る。参道を上がる。正面に大きな根入りの杉。参道をゆく。焦げ茶屋根の神楽殿。大きな注連縄。神楽殿右に御札授与所、その奥に幣拝殿あり。右に天覧の白松。「秋宮一之御柱」、由緒板。左右に片拝殿あり。「秋宮二之御柱」、末社など4社あり。右から八坂社、加茂上下社、子安社、鹿島社。幣拝殿右奥に、摂社・末社3社、稲荷社、若松社、皇大神宮社。その奥に立ち入り禁止の札。奥に「秋宮四之御柱」。左に回り奥に「秋宮三之御柱」あり。木の根元に白いカバーの土俵。神宮遥拝所。石段を下りて宝物殿。境内はスギ、イチョウ、広葉樹などの巨木の森。
獅子狛犬は神楽殿前に居た。阿吽像の配置は正常。奉納は昭和5年11月3日(1930年)。大きなブロンズ製。胸板厚く逞しい体型。耳は水平、タテガミは豊かで盛り上がりフサとなって下がり、小さな尾は巻き上がりフサとなる。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒393-0052 長野県諏訪郡下諏訪町5828
☆祭神
〇主祭神
・建御名方神 (たけみなかたのかみ)
・八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
〇合祀
・八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる。
☆由緒
下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。
秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。
毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた。
☆地名の由来
・下諏訪町:醍醐天皇(10世紀初め)の頃に作られた和名抄によると、信濃国諏訪郡名の中に、「土武郷」という地名があり、これが現在の下諏訪町と ... 明治7年に7村が合併し下諏訪村となり、明治9年に筑摩県が廃止されて長野県の所管に入り、明治26年6月30日に町制を布いて下諏訪町と改称しました。
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