神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

彌彦神社/新潟県弥彦村(Yahiko Jinja,Yahiko-mura,Niigata,Japan)

2018年06月04日 | 神社と狛犬
彌彦神社/新潟県弥彦村(Yahiko Jinja,Yahiko-mura,Niigata,Japan)
☆越後国一宮。
2018年5月8日(火)、新潟県弥彦村にある彌彦神社(やひこじんじゃ)に参拝。弥彦山(標高634m)山麓に鎮座する大きな神社。競輪場がすぐ隣にある。駐車場から石段を登り白い鳥居。左に石碑。ツツジ咲く。境内は、スギ、モミジ、シイ、ツバキ、広葉樹などの巨木の森。芝桜咲く。参道をゆく。左に屋根のある立派な土俵。右に井戸?と赤さび色の石油蒸留釜。左に御札授与所。更に左に赤い第1鳥居。参道をゆく。右に宝物殿、左に手水舎。白い第2鳥居。石段。右に神馬舎。更に右に白い鳥居があり、奥に摂社・末社が8社あり。参道に戻る。石段を登り随神門あり。その奥に茶色屋根の立派な社殿あり。連接して右に祈祷受付所。参道を戻り、白い鳥居の右側に斎館、参集殿、舞殿あり。そしてさらに下りて再び宝物殿。津軽の重軽石。右が軽かった。鶏鳴く。創立50年記念碑。鶏舎。そして鹿が居た。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、末社の門の前に居た。阿吽像の配置は正常。奉納は昭和43年4月(1968年)。ガッシリした小山のような体型。耳は水平、タテガミはウズを巻き盛り上がり、尾は3つに尖り直立。阿像には角があり吽像は右前足に玉を保持。
2対目は随神門の前に居た。阿吽像の配置は正常。お互いを見る横向きに配置。奉納は大正5年10月(1916年)。胸板厚く筋肉質の体型。耳は水平、タテガミはウズを巻き一部は顎鬚となり、薄い尾はウズを巻いて尻に張り付く。
------------ネットによると-----------
☆所在地
 〒 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898
☆祭神
 〇主祭神
  ・天香山命(あめのかごやまのみこと):「天香語山命」とも表記。地名から「伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)」などとも称される。
☆由緒
 創建年代は不詳。祭神の天香山命は、『古事記』に「高倉下」として登場する。社伝によれば、命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる。このため、越後国を造った神として弥彦山に祀られ「伊夜比古神」として崇敬された。このほか、彌彦の大神は、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽(かがらく)を奉奏したとされる。ただし、尾張国造家の祖神である天香山命が越後に祀られるのは不自然なため、本来の祭神は北陸の国造家高橋氏祖神の大彦命ではないかとする説もある。
江戸時代には、越後高田藩藩主・松平忠輝が、500石の社領を寄進し、朱印地となった。朝廷からも篤く崇敬されたという。社家は明治時代まで高橋氏が世襲した。
この頃神主であった高橋左近光頼により、神道家・橘三喜の教えの影響下で、神社の神宮寺を廃して仏像を取り払い神葬祭を行うなど、神仏分離が行われた。しかし元禄4年(1691年)に光頼は神宮寺の僧に訴えられて敗訴している。
国学者の平田篤胤は、彌彦神社に聖徳太子が記した神代文字が存在すると主張したが、該当の文書は火事で焼失したと伝わる。
明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列した。
☆地名の由来
 ・弥彦村:彌彦神社の門前町として栄えてきたことから。
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