
雄山神社・中宮祈願殿/富山県立山町(Oyama Jinja Chugu_kiganden,Tateyama-machi,Toyama,Japan)
☆越中国一宮
2018年5月9日(水)、富山県立山町にある雄山神社・中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)に参拝。県道6号沿いにある大きな神社。右隣には立山博物館がある。石板参道。数段の石段を登り、白い鳥居。両側に聳える杉。境内は杉の巨木の森だ。鳥居をくぐり参道をゆく。右に手水舎。左に像を彫った石。モミジの若葉が目に染みる。塀の中へ、石板参道をゆく。左に御札授与所。右に小社、神明社と治国社。左に斎館。小さな橋を渡り、砂利参道となる。右は2つに分かれ、太い道をゆく。左に小社1つ。その奥に建物。右に黒瓦屋根の社殿(祈願殿)あり。社殿右奥に西本殿(立山大宮)。社殿右に佐伯有頼公入定の地の石碑とクマに乗った少年の像。立山若宮、さらに奥に右奥に赤い社殿あり。
獅子狛犬は参道の途中の塀の前に居た。参道に平行に設置。阿吽像の配置は逆。奉納は昭和12年7月(1937年)。胸板厚く筋肉質の体型。耳は水平、タテガミはウズを巻き胸まで流れ、細い尾はくるりと巻き背についてから直立。
。------------ネットによると-----------
☆所在地
〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)2
☆祭神
・西本殿(立山大宮) -- 祭神 立山権現伊弉那岐大神、相殿 文武天皇・佐伯宿祢有若公
・東本殿(立山若宮) -- 祭神 刀尾天神(天手力雄命)・稲背入彦命・佐伯有頼命
・別宮(立山開山堂) -- 祭神 佐伯有頼公
☆由緒
中宮祈願殿は、かつて中宮寺(芦峅寺)と呼ばれた神仏習合の施設。芦峅寺における立山信仰の拠点である。 立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、開祖佐伯有頼は、この地で晩年を過ごした。
古来より武将や公家の信仰も篤く「お姥様」への献上品が奉納された。 周辺に宿坊や、女人救済のための行事を行なう布橋などがある。 女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもある。
芦峅寺の信徒は、「一山会」と呼ばれる独自の組織をなしていた。彼らは16世紀以降、諸国配札檀那廻りを行い、立山の縁起図や立山牛王紙、そして薬草や薬紛などを配置し、翌年に代金を受け取っていた。越中売薬の起源とも呼ばれる組織である。
境内奥に西本殿(立山大宮)と東本殿(立山若宮)がある。「祈願殿」は江戸時代までは大講堂と呼ばれていた建物で、雄山大神を始めとする立山山中36社の神が合祀されている。
☆地名の由来
・立山町:立山信仰を背景に発展したから。
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☆越中国一宮
2018年5月9日(水)、富山県立山町にある雄山神社・中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)に参拝。県道6号沿いにある大きな神社。右隣には立山博物館がある。石板参道。数段の石段を登り、白い鳥居。両側に聳える杉。境内は杉の巨木の森だ。鳥居をくぐり参道をゆく。右に手水舎。左に像を彫った石。モミジの若葉が目に染みる。塀の中へ、石板参道をゆく。左に御札授与所。右に小社、神明社と治国社。左に斎館。小さな橋を渡り、砂利参道となる。右は2つに分かれ、太い道をゆく。左に小社1つ。その奥に建物。右に黒瓦屋根の社殿(祈願殿)あり。社殿右奥に西本殿(立山大宮)。社殿右に佐伯有頼公入定の地の石碑とクマに乗った少年の像。立山若宮、さらに奥に右奥に赤い社殿あり。
獅子狛犬は参道の途中の塀の前に居た。参道に平行に設置。阿吽像の配置は逆。奉納は昭和12年7月(1937年)。胸板厚く筋肉質の体型。耳は水平、タテガミはウズを巻き胸まで流れ、細い尾はくるりと巻き背についてから直立。
。------------ネットによると-----------
☆所在地
〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)2
☆祭神
・西本殿(立山大宮) -- 祭神 立山権現伊弉那岐大神、相殿 文武天皇・佐伯宿祢有若公
・東本殿(立山若宮) -- 祭神 刀尾天神(天手力雄命)・稲背入彦命・佐伯有頼命
・別宮(立山開山堂) -- 祭神 佐伯有頼公
☆由緒
中宮祈願殿は、かつて中宮寺(芦峅寺)と呼ばれた神仏習合の施設。芦峅寺における立山信仰の拠点である。 立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、開祖佐伯有頼は、この地で晩年を過ごした。
古来より武将や公家の信仰も篤く「お姥様」への献上品が奉納された。 周辺に宿坊や、女人救済のための行事を行なう布橋などがある。 女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもある。
芦峅寺の信徒は、「一山会」と呼ばれる独自の組織をなしていた。彼らは16世紀以降、諸国配札檀那廻りを行い、立山の縁起図や立山牛王紙、そして薬草や薬紛などを配置し、翌年に代金を受け取っていた。越中売薬の起源とも呼ばれる組織である。
境内奥に西本殿(立山大宮)と東本殿(立山若宮)がある。「祈願殿」は江戸時代までは大講堂と呼ばれていた建物で、雄山大神を始めとする立山山中36社の神が合祀されている。
☆地名の由来
・立山町:立山信仰を背景に発展したから。
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