
伊雑宮/三重県志摩市(Izawa-no-Miya,Shima-shi,Mie,Japan)
☆志摩国一宮
2018年5月19日(土)、三重県志摩市にある伊雑宮(いざわのみや)に参拝。丘の上にある大きな神社。大きな駐車場から石板参道をゆく。左に薄墨色の鳥居。砂利参道。左に社号標。境内は石垣と生垣で囲まれている。鳥居をくぐる。左に衛士派出所。伊雑宮宿衛屋。すぐ前に苔むした巨大な木。境内はスギ、マキ、クスノキ、ツバキ、広葉樹などの巨木の森。参道をゆく。左に手水舎。正面に大杉。右に白木の社殿。左に井戸。ネクタイを締めた衛士?が落ち葉をブロアーで掃除中。右に焦げ茶屋根の社殿。柵に囲まれているが横から本殿が見える。正面から見る。木の鳥居、神門、木柵。左にこれより先は「入林禁止」の森。とても静かだ。帰りは奥の細道をゆく。左に池がある。正面の鳥居に戻る。鳥居を出て参道を駐車場の方に下る。更に100mほど下り、伊雑宮の御料田(ごりょうでん)あり。広場がある。中央に鳥居。両側に屋根と柱の建物。御田植祭の式次第板。鳥居の向こうに3枚の田がある。まだ田植えはしていない。鳥居をくぐり、田の向かい側にある木柱までゆく。木柱は2本が合わさっている。
------------ネットによると-----------
☆所在地
三重県志摩市磯部町上之郷374
☆祭神
・天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)
☆由緒
伊雑宮の創立は約2000年前、第11代垂仁(すいにん)天皇の御代といわれます。皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ)を定めるため、志摩国をご巡行された後、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)がこの地に神殿を創建し、皇大御神の御魂をお祀りしたと伝えられています。
志摩国は、大伴家持(おおとものやかもち)が『万葉集』に「御食(みけつ)国志摩の海女(あまならし)真熊野(まくまの)の小船に乗りて 沖辺漕(おきべこぐ)見ゆ」と歌ったように、風光麗しく、海産物に富み、古来神宮と朝廷の御料(ごりょう)を貢進した土地とされ、今でもアワビや伊勢海老の神饌しんせんが奉納されます。
延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』には宮名が記されており、それ以前から別宮として位置付けられていたと考えられます。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雑宮に贈ったと記されています。江戸時代には両宮参拝の後、伊雑宮に詣でることも珍しくありませんでした。
☆地名の由来
志摩市:市名は三重県東部の半島にあり、英虞郡、答志郡が属した旧国名「志摩国」から。古くは「島」と書かれ、のち「志摩」。大小の島々があったことからか。
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☆志摩国一宮
2018年5月19日(土)、三重県志摩市にある伊雑宮(いざわのみや)に参拝。丘の上にある大きな神社。大きな駐車場から石板参道をゆく。左に薄墨色の鳥居。砂利参道。左に社号標。境内は石垣と生垣で囲まれている。鳥居をくぐる。左に衛士派出所。伊雑宮宿衛屋。すぐ前に苔むした巨大な木。境内はスギ、マキ、クスノキ、ツバキ、広葉樹などの巨木の森。参道をゆく。左に手水舎。正面に大杉。右に白木の社殿。左に井戸。ネクタイを締めた衛士?が落ち葉をブロアーで掃除中。右に焦げ茶屋根の社殿。柵に囲まれているが横から本殿が見える。正面から見る。木の鳥居、神門、木柵。左にこれより先は「入林禁止」の森。とても静かだ。帰りは奥の細道をゆく。左に池がある。正面の鳥居に戻る。鳥居を出て参道を駐車場の方に下る。更に100mほど下り、伊雑宮の御料田(ごりょうでん)あり。広場がある。中央に鳥居。両側に屋根と柱の建物。御田植祭の式次第板。鳥居の向こうに3枚の田がある。まだ田植えはしていない。鳥居をくぐり、田の向かい側にある木柱までゆく。木柱は2本が合わさっている。
------------ネットによると-----------
☆所在地
三重県志摩市磯部町上之郷374
☆祭神
・天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)
☆由緒
伊雑宮の創立は約2000年前、第11代垂仁(すいにん)天皇の御代といわれます。皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ)を定めるため、志摩国をご巡行された後、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)がこの地に神殿を創建し、皇大御神の御魂をお祀りしたと伝えられています。
志摩国は、大伴家持(おおとものやかもち)が『万葉集』に「御食(みけつ)国志摩の海女(あまならし)真熊野(まくまの)の小船に乗りて 沖辺漕(おきべこぐ)見ゆ」と歌ったように、風光麗しく、海産物に富み、古来神宮と朝廷の御料(ごりょう)を貢進した土地とされ、今でもアワビや伊勢海老の神饌しんせんが奉納されます。
延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』には宮名が記されており、それ以前から別宮として位置付けられていたと考えられます。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雑宮に贈ったと記されています。江戸時代には両宮参拝の後、伊雑宮に詣でることも珍しくありませんでした。
☆地名の由来
志摩市:市名は三重県東部の半島にあり、英虞郡、答志郡が属した旧国名「志摩国」から。古くは「島」と書かれ、のち「志摩」。大小の島々があったことからか。
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