神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

能代八幡神社/秋田県能代市(Noshiro Hachiman Jinja,Noshiro-shi,Akita,Japan)

2017年04月27日 | 神社と狛犬
能代八幡神社/秋田県能代市(Noshiro Hachiman Jinja,Noshiro-shi,Akita,Japan)
2017年4月16日(日)、能代市柳町にある能代八幡神社(のしろはちまんじんじゃ)に参拝。国道101号沿いの住宅地にある大きな神社。白い第1鳥居、アスファルト参道。左に料亭「魚松」、右に旧料亭「金勇」。鳥居の前右に由緒版。鳥居をくぐり、左に社務所。参道をゆく。右に包丁塚、左に渟城(ていじょう)幼稚園。右奥に末社:金神社。その前に末社:住吉龍神社、末社:伏見稲荷神社あり。参道に戻る。境内はケヤキ、サクラ、マツ、スギなどの巨木。梅が咲いている。桜はまだだ。参道をゆく。白い第2鳥居、アスファルト参道。正面に「逆さ松」あり。左に顔を描いてある大きなケヤキ。神馬の像。奥に青黒屋根の重厚な社殿。社殿右に留魂碑など3基の石碑。左に絵馬掛け、祭具庫、摂政宮殿下成婚記念の蔵。末社:三吉神社あり。露月山人の句、力士:大蛇潟粂蔵之碑。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は白い第1鳥居前に居た。
阿吽像は正常配置。大きくて筋骨隆々のどっしりとした体型。タレ耳、タテガミはフサとなりウズを巻き流れ、大きな尾はウズを巻きながら直立。奉納年は、不明。。
2対目は社殿前に居た。
阿吽像は正常配置。彫り浅く顎を上げてスラリとした体型。耳は水平、タテガミは少なく、乱れた尾は背に張り付く。奉納年は、明和6年5月(1769年)。
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------------ネットによると-----------
☆所在地
 〒016-0825 能代市柳町13-8
 Tel:0185-52-2925
☆祭神
 ・八幡大神(はちまんのおおかみ)
 ・住吉大神(すみよしのおおかみ)
 ・恵比須大神(えびすのおおかみ)  
☆由緒
 斉明天皇4年、越の国国司、阿倍比羅夫が蝦夷征伐の時、蝦夷降伏(エゾムケ)の八幡と号して海岸中嶋に鎮斎し延暦年間、坂上田村麻呂が東夷征討の時、御旗を納めて戦功を報賽すと伝えられている。弘治年間、米代川の変化で中嶋が欠流につき愛宕山に遷座し、慶長年間、磐若野に移り元禄9年現在地に鎮座す。旧藩主佐竹累代の社参造営して藩内崇敬の一社と成した。昭和31年能代大火の際、社殿類焼したが翌年9月に再建す。
 (宝物)佐竹義和公の「忠信渉波濤献額」の原本:宝暦12年に庄屋三嶋嘉右衛門公豊から奉納された「能代浜鰯漁絵図」(昭和49年能代市指定文化財)
☆地名の由来
 ・能代市:能代の地名は『日本書紀』において「斉明天皇4年(658年)4月、越国守阿倍比羅夫が軍船180隻を引いて蝦夷を伐つ、齶田(飽田)・渟代二郡の蝦夷望み恐じて降わんと乞う」と「渟代」の名で登場して以後1300年以上続いている。これは現在の秋田である齶田と並んで県内でも有数の歴史ある地名といえるものである。当時の渟代の読みである「ヌシロ」という地名の由来を、当時この地方に居た蝦夷すなわちアイヌの言語で「台地上の草原地」を意味するという「ヌプシル」(nup-sir) からの転語とする説もあるが、正確な語源は定かではない。
『続日本紀』では「宝亀2年(771年)渤海使青綬大夫・壱万福等325人、船17隻に駕し出羽国賊地・野代湊に着く」と「野代湊」の名が記され、「渟代」から「野代」へと表記が変わっている。
野代から能代への漢字の変遷は、元禄7年(1694年)および宝永元年(1704年)に大震災が起こり、「野代」という地名が「野に代わる」と読めることを忌避し、「よく代わる」と読める能代と改めたためである。なお、渟代という地名は現在も渟城(ていじょう)という字をあて小学校の校名など一部で使われている。
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