
三嶋大社/静岡県三島市(Mishima Taisya,Mishima-shi,Shizuoka,Japan)
☆伊豆国一宮
2018年5月13日(日)、静岡県三島市にある三嶋大社(みしまたいしゃ)に参拝。市街地にある大きな神社。雨が降る。大型バスが5台駐車場に停まっている。人気がある。白い鳥居。石板参道。右に社号標、燈篭には「六角形」の中に「三」のマーク。石段を上がり、参道をゆく。サクラ並木。右に「たたり石」。「足立藤九郎盛長 警護の跡」板。両側に神池。水を抜いて清掃中。石橋を渡る。左に厳島神社。赤い欄干の橋、一本足の燈篭。参道をゆく。正面に総門。くぐると右に宝物館、左に大きな社務所。参道をゆく。右に大きな芸能殿、」伊豆魂神社、社殿は工事中。芭蕉句碑。参道に戻る。右に絵馬掛け。左に矢田部式部盛治大人銅像。大きな手水舎。参道をゆく。神門をくぐる。正面に青緑屋根の舞殿。右に天然記念物三嶋大社の金木犀。絵馬記入所。舞殿の右側を通り、正面に青緑屋根の立派な本殿。本殿内に1対のブロンズ製の獅子狛犬あり。本殿左側に若宮神社、見目神社。5つの神社の集合した社殿、大楠社、天神社、聖神社、第三社、幸神社。元神宮斎王お手植えの檜。境内はスギ、ヒノキ、サクラ、広葉樹などの巨木の林。
獅子狛犬は鳥居と総門の間に居た。阿吽像の配置は正常。奉納は昭和34年6月(1959年)。岡崎型。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒411-0035 静岡県三島市大宮町2-1-5
☆祭神
〇主祭神
・大山祇命(おおやまつみのみこと)
・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
2柱は「三嶋大神(みしまのおおかみ)」または「三嶋大明神(みしまだいみょうじん)」と総称される。
☆由緒
御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。
その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
☆地名の由来
・三島市: 三嶋大社に由来して「三島」と称される。
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☆伊豆国一宮
2018年5月13日(日)、静岡県三島市にある三嶋大社(みしまたいしゃ)に参拝。市街地にある大きな神社。雨が降る。大型バスが5台駐車場に停まっている。人気がある。白い鳥居。石板参道。右に社号標、燈篭には「六角形」の中に「三」のマーク。石段を上がり、参道をゆく。サクラ並木。右に「たたり石」。「足立藤九郎盛長 警護の跡」板。両側に神池。水を抜いて清掃中。石橋を渡る。左に厳島神社。赤い欄干の橋、一本足の燈篭。参道をゆく。正面に総門。くぐると右に宝物館、左に大きな社務所。参道をゆく。右に大きな芸能殿、」伊豆魂神社、社殿は工事中。芭蕉句碑。参道に戻る。右に絵馬掛け。左に矢田部式部盛治大人銅像。大きな手水舎。参道をゆく。神門をくぐる。正面に青緑屋根の舞殿。右に天然記念物三嶋大社の金木犀。絵馬記入所。舞殿の右側を通り、正面に青緑屋根の立派な本殿。本殿内に1対のブロンズ製の獅子狛犬あり。本殿左側に若宮神社、見目神社。5つの神社の集合した社殿、大楠社、天神社、聖神社、第三社、幸神社。元神宮斎王お手植えの檜。境内はスギ、ヒノキ、サクラ、広葉樹などの巨木の林。
獅子狛犬は鳥居と総門の間に居た。阿吽像の配置は正常。奉納は昭和34年6月(1959年)。岡崎型。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒411-0035 静岡県三島市大宮町2-1-5
☆祭神
〇主祭神
・大山祇命(おおやまつみのみこと)
・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
2柱は「三嶋大神(みしまのおおかみ)」または「三嶋大明神(みしまだいみょうじん)」と総称される。
☆由緒
御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。
その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
☆地名の由来
・三島市: 三嶋大社に由来して「三島」と称される。
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