昨日里山を歩いてみました。天気もよくて、緑が目にまぶしいくらいでとても気持ちがいいですね。
シダが一面生い茂っています。まるでじゅうたんのようですが、その緑色がとても素敵ですね。
道をずっと登っていくと、紫陽花が咲き始めていました。土質の関係で色の違う花が咲くようです。
その後どんどん山道を登っていきました、ふと道端に変なものが留っています。なんだろうかと地被いてみたら大きな蛾です。しかも緑色。ちょっと気持ち悪いですが、写真に撮りました。
鶯やヒヨドリの声がします。カメラを向けますが、ヒヨドリは動きが激しく、なかなか写真が取れません。鶯は声がすれど姿は見えません。田舎ですが、小鳥の声を聞きながら散歩するのも、いいものです。
昨晩テレビでテレサテンさんのドラマを見ました。彼女は台湾の美空ひばりといわれていたそうですが、スケールの大きい人だったと思います。台湾・日本・香港を舞台に活躍されましたが、最後はタイのチェンマイで喘息が悪化しなくなられたようです。
実は私は1980年から1986年まで香港に住んでいました。このドラマの中であちこち香港の風景が出てきたので、家内と”あそこはどこだっけ、あそこは知ってる”など懐かしく香港を思い出しました。当時のテレサさんの人気はすごかったですね。あの澄んだ歌声が香港の夜のムードとあいまって最高でしたね。
当時私は香港の駐在員で人生で一番輝いていました。毎日が楽しくて、仕事が面白い。しかもはじめての外地で張り切っていました。当時テレサさんはマレーシアの砂糖王と言われ、シャングリラホテルのオーナーだったロバート・コックという大富豪の息子さんと恋仲でした。結局うまくいきませんでしたね。テレビではその息子さんは優男風でしたが、実物はあごひげを蓄えたハンサムな人でしたね。この破局がテレサさんの運命を変えたようです。
香港には結局5年半住んでいました。当時は植民地時代を漂わすコロニアルあるスタイルの建物が残っていて、本当にエキゾッチックな街でした。慕情という映画の舞台となったホテルも残っていました。
人生の一時期香港で生活できたのは幸せでしたね。もう一度香港を訪れようと家内と話し合いました。住んでみないと、そのよさはわかりませんね。
この秋セブに旅行を考えています。ということでこれからタガログ語の勉強をと思っていますが、歳をとると外国語の勉強は大変です。特に独学の場合は。年金生活者なんで無駄使いは許されません。
まず図書館でタガログ語関係の本を借りてきて、日常会話の例文をパソコンで打ち込み、簡単会話集を作ります。それを時々見ながらゆっくり勉強しようと思います。
セブはこの2月行きましたが、マニラと違ってのんびりしています。やはり海のある風景はいいですね。日本の寒い時期にあったかいセブで1-2週間、のんびり過ごす。すてきですねー。物価も日本の半分以下だと思います。
がんばってタガログ語の勉強をしましょう。
昨晩録画していた”母と娘”という映画を観ました。フィリピン映画は初めてです。香港に出稼ぎで家政婦として働いていた母は夫が頼りなくて、一家の柱として出稼ぎに行ったようです。(フィリピンは女性がしっかりしてますね)。母国に帰ってみると、長女が母に愛着を感じなくなっていました。
その理由は夫の葬式にも顔を出さなかった母を責めて反抗していたのです。ところがです!母は帰国したかったのですが、香港の雇い主がそれを許さなかった。家族のため苦しくても我慢した、母を誤解していたのです。
母の言葉”自分の娘を愛さない母はいない”。母の恩は海よりも深し。それにしても母は強いですね。(苦笑)。それにフィリピンの女性は明るくて、たくましくて、頑張り屋さん。このドラマを見ていてフィリピン人の人の家族愛が強いのを感じました。日本では核家族化でだんだん家族愛が希薄化しています。貧しいからやさしいのか?
この映画でいろいろ考えてしまいました。この映画の終わりに流れる”ANAK"(子供)という歌は哀切を感じますね。私もこの歌は始めての駐在地の香港で20数年前に初めて知りました。母親が遠く離れた子供を思って歌う歌です。フィリピンの国内の賃金があまりにも低いので、海外に職を求めるようですね。フィリピンの抱える問題をこの映画で再認識しました。
一方この映画を観たとたん、心はフィリピンではありませんが、フィリピンに行ってみたくなりました。