私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

パトリス・ルムンバの暗殺(1)

2011-11-16 09:55:01 | 日記・エッセイ・コラム
1961年1月17日午後9時40分過ぎ、コンゴのカタンガの森の中でパトリス・ルムンバは、ベルギー軍憲兵たちによって、銃殺されました。35歳。今年は50年の記念の年に当ります。去る1月にはニューヨークタイムズやガーディアンなどにもパトリス・ルムンバ暗殺回顧の長い記事が出ました。
  この暗殺を“二十世紀で最も重要な暗殺”と呼ぶジャーナリストや学者がいます。二十世紀中には、ガンジー、ルクセンブルク、トロツキー、ケネディ、ルーサー・キング、などなど、実に枚挙にいとまのない無数の暗殺が行なわれましたから、二十世紀で最も重要な暗殺という措定は異常にも思え、注目に値します。理由を探らなければなりません。パトリス・ルムンバを殺した同じ力が同じ理由で、この記念の年の10月20日、リビアのカダフィを殺しました。この事実は、パトリス・ルムンバ暗殺の歴史的象徴的意義の重みを計る場合の有力なヒントになります。
  パトリス・ルムンバの暗殺に関する最も重要で決定的な書物は Ludo De Witte 著の『The Assassination of Lumumba』です。英訳版は2002年、原書は1999年にオランダ語で出版されました。この本の影響で、2002年2月、ベルギー政府はパトリス・ルムンバの暗殺について正式にコンゴの人たちに謝罪の声明を発表しました。アメリカ政府は謝罪していません。これからもしないでしょう。
  拙著『「闇の奥」の奥』(2006年)の210頁から232頁にわたって、パトリス・ルムンバ暗殺とそれをめぐる問題について私なりに書いてみました。それから5年経ちます。5年前に書いた内容で、いま訂正の必要を感じる個所がないのは幸せですが、私が参考にした文献の殆どすべてが、非黒人系の学者やジャーナリストの手になるものでした。黒人学者ならば信頼が置けると考える程愚かではないつもりですが、この5年間に痛烈に感得したことの一つに、アフリカ問題についての権威者とされている白人たちの多くが如何に見事に米欧の新植民地主義、帝国主義的政策の走狗として奉仕しているかについての実感があります。Paul Collier はその一人の実例です。私のこのブログを続けて読んで下さっている読者にPaul Collierの崇拝者はいないでしょうが。
  今回から数回にわたって訳出するルムンバ暗殺回顧の論考の著者Horace Campbell はシラキュース大学の教授でアメリカ内でも国際的にも著名な学者であり、社会活動家ですが、いわゆる“主流”には明らかに属していないことは、この論考:
50 years after Lumumba: The burden of history, Iterations of assassination in Africa.
(ルムンバから50年:歴史の重荷、アフリカにおける暗殺の繰り返し)
の内容からもよく窺えます。はじめ2011年1月20日付けで、汎アフリカ主義を掲げる週刊ニューズレター・サイト Pambazuka News に出ました。
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  DRC(コンゴ民主共和国)の、そしてまた、アフリカの経験では、繰り返される暗殺はアフリカの人々の真正な自己自決を圧殺するためのものであった。これらの犯罪の中でも、パトリス・ルムンバの殺害とその隠蔽は今もアフリカ全土にわたって響きわたり、集団大虐殺的な政治と経済状況の繰り返しのパターンからの脱却を求める叫びとなっている。
  パトリス・ルムンバは民主的に選出されたコンゴの最初の首相であった。コンゴ民主共和国は1960年6月に独立を獲得したが、ベルギーの植民主義者たちが望んだのは独立後の状態が植民時代の状態から変わらないことであった。
  ベルギーは、ヨーロッパでは内部分裂した社会を抱える小国だが、コンゴでは、独立以前からコンゴを支配する大君主のような地位に立つことを成し遂げたつもりであった。そのベルギー人たちの目から見て、パトリス・ルムンバの犯した許し難い罪は、1960年6月の独立記念式典でベルギー国王の行なったスピーチに反論したことであった。[訳者注:国王のスピーチは植民地時代の所業に対する一片の謝罪もなく、むしろ、ベルギーはコンゴに文明をもたらしたと、過去を恩着せがましく正当化する厚顔無恥の内容だった。それに対するコンゴ人たちの当然の反発を反映して、コンゴの大統領カサブブは既に用意していた祝辞原稿から前宗主国ベルギーに対する儀礼的な感謝の言葉を含む部分を大きく削除し、また、祝賀式典のプログラムにはなかった首相ルムンバの発言が急遽追加されたのだった。] ルムンバはベルギーの使命がコンゴ人たちを文明化し近代化することであったという主張を受容することを拒否したのであった。
  パトリス・ルムンバは独立から2ヶ月もたたない内に首相の座から追われ、自宅に監禁された。彼は脱走したが捕えられ、殴打され、拷問にさらされ、挙句の果てに惨殺された。この暴行、拷問、殺害のパターンは今日まで、パトリス・ルムンバの暗殺から50年後の今に至るまで続いている。[訳者注:この論考はカダフィ惨殺の10ヶ月前に発表された。]
  ルムンバの暗殺の時以来、真の独立の道を辿ろうとしたアフリカ人指導者のほとんど誰もが暗殺された:Eduardo Mondlane, Amilcar Cabral, Herbert Chitepo, Samora Machel, Thomas Sankara, Felix Moumie, Chris Hani, Steve Biko.  指導者たちに対する暴力は、アフリカ人の抑圧とアフリカの資源の略奪に反対の声を挙げたジャーナリスト、学生、野党指導者、社会勢力に対する脅迫と暗殺行為を同時に伴った。
  大量虐殺的な思考、大量虐殺的な経済、大量虐殺的な政治、という入れ子式の閉回路は、1960年以来、コンゴにおいて十一の戦乱を生み出し、これらの戦乱のすべては、大量虐殺、軍事主義、独裁制、経済的略奪、それに解放の父権社会的モデルに関連して、アフリカの殆どすべての地域に影響を及ぼしてきた。
  コンゴの尊厳、アフリカの尊厳を再構成し、回復する仕事はアフリカ人を非人間化する思考様式、組織、政治的経済的慣行からの決定的で革命的な脱却を必要とするチャレンジである。アフリカの若者たちは至る所で彼らの人間性の構築を求め、生命の軽視に抗議している。北はチュニジアやエジプトから、南は南アフリカやジンバブエに至るまで、若者たちは過去数世紀にわたる抑圧を振り切ることの出来る新しい組織と思考様式を求めている。
  ルムンバへの称賛は、過去の傷からの癒しと再建の精神に伴われなければならず、パトリス・ルムンバの不屈の決意から勇気を受けて真の解放と団結の闘争の継続に向けてのアフリカ諸民族への呼びかけが伴っていなければならない。(続く)
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これから先、ホレース・キャンベルの議論はその主題に入って行きます。それは米欧の知識人たち(一部のいわゆる進歩的分子を含めて)とアメリカ/ヨーロッパ帝国主義的勢力との癒着です。この事実もまた今回のリビア侵略制覇において我々の眼前で露呈されることになりました。

藤永 茂      (2011年11月16日)


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4 コメント

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ルムンバ暗殺から早くも50年経ったのですね、そ... (おにうちぎ)
2011-11-17 10:48:02
ルムンバ暗殺から早くも50年経ったのですね、その当時「コンゴ動乱」という言葉があったことを思いだします。動乱、この語もその地の実態をぼかすためのマスコミ用語だったのでしょうか。
すこし史料を読むと、チェ・ゲバラ、ダグ・ハマーショルド、ツォンベ、モブツ など聞いた覚えのある名前がたびたび登場します。
コンゴ「独立」は決して成りませんでした。しかし形式的には(再度)独立した1965年までに、やはり(?)おびただしい殺戮と暴行が繰り返されました。
その当時のベルギーとアメリカ側の介入のおぞましさは明らかでしょうが、国連やソ連側の動きの真相までは、簡単記述史料では明らかにしてくれません。
ルムンバ暗殺後の内戦の有り様とその報道ぶり、差新の分析を、藤永先生が整理して書いてくださるのを楽しみに待ちます。


週刊金曜日の11月11日号にこの欄に時々コメン... (山椒魚)
2011-11-17 15:37:35
週刊金曜日の11月11日号にこの欄に時々コメントを寄せられている桜井元様の寄稿が掲載されていました。藤永先生のリビア問題に関するこのブログの紹介と桜井様のご意見が記述されています。ネット上だけでなく紙媒体で、大手メディアの偏った見方が幾分でも修正されるのではないかと期待しています。
山椒魚さん (桜井元)
2011-11-19 09:54:26
山椒魚さん

ありがとうございました。

限られた字数でしたので、藤永先生の膨大な論説のごくごく一部しか伝わりませんでしたが、投稿した原稿はそのまま掲載してもらえましたので何よりでした。

カダフィやカストロの体制を反民主的な独裁と批判する側には本当の「民主主義」はあるのでしょうか。民主主義、すなわち民が自己決定する際の前提条件としては判断材料となる情報が必要になるのですが、主流メディアが垂れ流す情報には民主主義を支えるための必要不可欠な情報があまりにも欠落しています。このことは山椒魚さんがコメントくださったまさにそのとおりの状況だと私も思います。

また、「①衣食住・教育・医療・福祉」を保障することが最優先の価値であって、「②精神的自由や財産権・経済的自由」はその後でしょう。「②が足りず①が足りている国」か「①が足りず②が足りている国」か、その中間のバリエーションも含めて国柄には様々ありますが、一方の国が他方の国を「独裁」と糾弾し武力で反政府派に肩入れし、政権リーダーの暗殺を謀ったり政権転覆を図ったりするとは傲岸不遜・言語道断の所業だと思います。

この傲岸不遜・言語道断の歴史的源流が藤永先生いわく「ヨーロピアン・マインンド」でありそれを継承増殖させた「アメリカン・マインド」なのでしょう。
藤永 茂 先生 (緒方 正嗣)
2011-12-13 13:04:31
藤永 茂 先生

緒方@佐賀大学です。

突然、失礼します。内容に関するコメントではないのですが、投稿の欄を借りて、お礼とご挨拶をさせて下さい。小生は、現在、63歳で、昭和42年、九州大学工学部電気系工学科へ入学、教養部で先生の基礎物理や初等力学の講義を聴きました。その後、まもなく、カナダに移られましたが、ご尊名とお姿は、ありありと記憶しています。先生のお名前でwebを検索しましたら、刊行された書物やご活躍の様子が分かり、40数年前が思い出されて感動を覚えました。小生は、昭和42年の夏休み、病気で1ケ月ほど九州大学病院に入院しましたが、休み明けの前期の試験勉強をしているとき、教科書の演習問題が解けなかったので、外出許可をもらって、先生の六本松の研究室を訪ねて教えて頂いた記憶があります。小生は、九州大学卒業後、三菱重工に勤務、定年退職後、3年前から、郷里の佐賀大学のキャリア教育担当の教員を拝命して、郷里の後輩のキャリアセンター(人生の設計)のお手伝いをしています。九州大学の六本松キャンパスも、新しい前原の新キャンパスに移転、跡地は、すっかり更地になっています。小生の在学時は、大学紛争最盛期でしたので、エンタープライズ寄港反対等で大もめしていましたが、道沿いの新棟や、旧制福岡高校時代の木造教室なども、すっかりなくなっていまして、往時茫々の思いでした。このコメント、お目に触れるかどうか分かりませんが、投稿してみます。向寒の折、お身体、大切になさいますよう。  当方アドレスを再掲します。

mogata23@cc.saga-u.ac.jp

                      緒方 拝

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