私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

片岡仁左衛門の富樫左衛門

2018-07-10 13:30:38 | 日記・エッセイ・コラム
 月刊誌「婦人画報」8月号にこのブログの紹介記事が出ました。この雑誌に相応しくないのでは、と躊躇しましたが、若い女性編集者の方に励まされて、『「じゃなかしゃば」を求めて』と題する文章も出させて頂きました。
 同じ8月号に、坂東玉三郎さんと片岡仁左衛門さんの記事が掲載されています。二人とも私の大好きな歌舞伎役者であり、興味深く読みました。2018年1月25日付のブログ『愛の讃歌』で、私は、越路吹雪/岩谷時子/坂東玉三郎の「愛の讃歌」とエディット・ピアフの「愛の讃歌」の比較論のようなものを書き、“今回の「愛の讃歌」の歌唱は、まだ一種の素人芸にとどまっているような気がしてなりません。私の知る限り、プロを含めて、すべての人々が坂東玉三郎さんの「愛の讃歌」を絶賛していますが、それでいいのでしょうか? 坂東玉三郎さんは稀代の大芸術家です。あくまで芸を広め、深めることをやめない偉大な芸術家です。彼の芸に対する率直正当な評価こそ坂東玉三郎さんが最も求めるところではありますまいか”と結びましたが、今度の婦人画報の記事を読んで、私の発言が浅薄な暴論であったことを悟りました。私には越路/岩谷/坂東玉三郎の「愛の讃歌」が聴き取れてなかったということです。婦人画報8月号の記事の中にある玉三郎さんの言葉を少し転載させてもらいます:
「飛行機事故で亡くなった恋人への思いが込められた歌で、だからこそピアフはあの絶唱となるのです」「あの激しい思いは現実に恋人を失ったピアフだけのもの。私がそのピアフになることはできないのです。そして越路さんにもなれない。だからそういう人がいましたよ、という詠嘆の中で、愛するものとずっと一緒にいたいという思いで歌っています。・・・」
 片岡仁左衛門さんについての記事は短いものですが、歌舞伎の演技について私のようなレベルの歌舞伎愛好者には大変ためになるコメントが含まれています。話題になっている公演は大阪松竹座「七月大歌舞伎」で、「勧進帳」では、弁慶を十代目松本幸四郎、富樫左衛門を片岡仁左衛門が演じます。この役について「お客様は意外に思われると思いますが、冨樫は弁慶に劣らずしんどいお役なんです。今回は襲名のお祝いの気持ちもこめて、頑張って勤めさせていただきます」と仁左衛門さんは言っています。しかし、私のような並の客筋も、何度か「勧進帳」を見るうちに、安宅の関の関守である富樫という役の大変さと重要さを結構しっかりと心得ていると思います。歌舞伎の台詞について仁左衛門さんは「私が心掛けているのは、台詞は言葉を伝えるのではなく、心を伝えるということなんです」と言い切ります。
 富樫を演じる役者にとっての一番肝心の見せ場は歌舞伎「勧進帳」の第12段にあります。渡辺保著『勧進帳』から、そこのところを写させてもらいます。
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第十二段——富樫の引込み
弁慶の最後の知恵は、富樫への提案であった。
弁慶の提案はこうである。
強力を荷物と一緒に預けて行く、どのようにも究明しろ。
そうでなければ、この場で撲殺する。
そういって弁慶は金剛杖を振り上げた。
富樫がそうかといえば、弁慶は本当に剛力を撲殺するだろう。その弁慶の姿を見た時に、富樫は弁慶という男に感動する。もっといえば弁慶にこよない親近感を持ったのである。ほおっておけば、弁慶は強力を殺して自分も死ぬだろう。主人を殺す罪を背負って自分も死ぬ。それを覚悟した男に富樫は感動した。強力はまさしく義経その人に違いない。感動がそのことを確信させた。
・・・・・・
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しかし、弁慶という人間に惚れて本物の義経を通してしまえば、頼朝の鎌倉という組織に反逆した者として、富樫も自分の死を覚悟しなければなりません。ここで、富樫は人と人の間の連帯感情-友情-を何にも増して尊いものとする決断を下すのです。富樫を演ずる役者は、この思いの全般を僅かな台詞と所作で観客に伝えなければなりません。大阪松竹座での7月公演で片岡仁左衛門さんはこの大役を見事に演じていることでしょう。数年前までは、妻と一緒に大阪松竹座の歌舞伎公演を観るために、何度も博多からの新幹線で一泊旅行に出かけたものでした。
 渡辺保著の『勧進帳——日本人論の現像』(ちくま新書)は名著だと思います。この著者が歌舞伎について書く所、語る所に接するたびに、本当に羨ましくなります。私なんかの千倍万倍も歌舞伎を楽しんでおいでのようだからです。この本の最終章には、黒澤明による「勧進帳」の映画化「虎の尾を踏む男達」が論じてあって、そこにも引用してお目にかけたい文章があります:
「弁慶と富樫の間に流れる、この純粋な男の友情こそ、この映画一編の主題である。それはどこにも言葉では語られていないが、観客にはつよく感じられるだろう。一筋の純粋な思い。それは言葉であらわされぬという点ではハラ芸に通い、タテマエとは違うホンネだという意味で、二重性をもっている。ホンネは理屈ではない。ただ信じるだけ。自分を理解する相手がいて、その相手のためにはすべてを犠牲にして他を省みない。この一筋の、ひそかな感情こそ、困難な時代のなかに生きる人間の生きる意味であり、人間の生きがいであろう。・・・・・・・・ ハラ芸やタテマエとホンネというきわめて日本人的なかたちを通してそこに現れた感情は、運命を感受する共通の友情であった。それこそが絶望的な状況のなかで、人間が生きていくための、ひそかな魂のよりどころであった。」
 この文章を読みながら、私は、ついこの頃読んだ、ガザ地区の反イスラエル抗議デモに命を賭して参加した米国人若者の話を思い出していました。その若者は、初めは数日ガザの地に旅行して現地の様子を自分の目で見るつもりだったのですが、パレスチナの若者たちと接して強い連帯感を抱くようになり、身の危険を顧みず、デモに参加しました。その理由を問われた彼は、ただ一言、FRENDSHIP! と答えていました。こうした感情は日本人に限られるものではありますまい。
 ウィキペディアによると、富樫左衛門のモデルとして知られる富樫泰家(とがし やすいえ)なる人物がいて、義経一行を通過させたことで頼朝の怒りを買い、関守の職を剥奪されましたが、その後出家して法名を仏誓とし、奥州平泉まで足を伸ばして義経たちと再会を果たした、とあります。もしそれが確かな史実であるならば、富樫が弁慶と交わした酒杯はどんなにか心温まるものであったことでしょう。

藤永茂(2018年7月10日)
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1 コメント

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玉三郎の (千早)
2018-07-29 20:08:11
「愛の讃歌」は聴いたことがありませんが、
私は 大昔からファンで、
ご本人と何度もお話したこともある
長谷川きよしさんが和訳して歌っているヴァージョンが
最高だ!!と思っています。

長谷川きよし - 「愛の讃歌」
https://www.youtube.com/watch?v=zroanRVwg8c

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