私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

日本人は騒ぎすぎる

2009-05-27 13:13:42 | 日記・エッセイ・コラム
 旅行さきのホテルの部屋に備え付けてあった『JAPAN NOW』という冊子に、南部陽一郎さんの談話が出ていました。『ノーベル賞、日本は騒ぎすぎ』という表題です。その始めのところを転載させていただきます。
■ ノーベル賞受賞の知らせは、驚いただけで、別にとくに感想はありません。毎年そうした話がありましたから「まさか」と思いました。家内も「詐欺ではないか」とか「冗談では」と最初は本気にしませんでした。
ここ、シカゴ大学は2010年に120周年を迎えますが、私も入れて82人のノーベル賞学者を出しているので、ノーベル賞だからといって、特別騒ぎ立てることはありません。当人も周囲も皆、受賞前も受賞後も、変わりなく過ごしています。物理学賞に限っても28人いますので、珍しくないのです。
日本のマスコミの騒ぎ方は尋常ではありません。受賞の通知のあった朝、大学で記者会見をすることになり、私が校内を歩いていくと、何十人も取り囲んでぞろぞろついてくる。このような人たちをパパラッチというのでしょうか、日常生活がすっかり乱されてしまい、いささか嫌気がさしています。
ノーベル賞授賞式も、家内が体調を崩してしまったこともあり、欠席することにしました。大学の同僚は「それはいい考えだ」と賛成してくれました。■
たしかに、日本のマスコミは、そんなに騒ぐこともないような事柄の報道に余りにも力を入れすぎ、世界中で起こっている多くの重要なニュースを無視しています。私は、主にNHKの一般放送テレビを見ていますが、中央のニュースで、地方ニュースで伝えれば十分のような火事などの報道に貴重な時間を無駄遣いしているとつくづく情けなくなります。昨今の新型インフルエンザについての騒ぎ方も余りにも度外れでしたし、世界的に膨大な量の「タミフル」備蓄の国際政治的背景についての一貫した沈黙も異様でした。
 シカゴ大学の物理教室には、私も、1959年から2年間、リサーチ・アソシエイトという身分で滞在したことがあります。そんなに多くのノーベル賞受賞者を出したとは、今まで知りませんでした。私を呼んでくれたローバート・マリケン教授も1966年にノーベル賞を受賞しました。南部さんとも何度かお話したことがあります。シカゴ大学はなかなかユニークな大学ですが、その理由の一つは1929年に30歳の若さでシカゴ大学総長になったRobert Maynard Hutchins にあります。彼は,総長、理事長として1951年まで大学の運営に強い影響を与えました。1939年には「大学は学問をする所だ。スポーツはいらない」といってフットボールなどのスポーツ部を廃止してしまい、その状態は20年ほども続きました。「スタッグ・フィールド」という名のフットボール・スタディアムも要らなくなり、その空いた空間を利用して、1942年、世界最初の原子炉が建設されました。
 南部陽一郎さんがパパラッチと呼んだ人々の存在はまことに嘆かわしいことです。南部さんにまとわりついたのは、日本のマスコミ各社がアメリカに駐在させている特派員的な人々だったのだろうと推測しますが、もしそうだとすると、特にNHKの場合には、しっかり反省していただきたいと思います。NHKは、基本的には、視聴者の払う料金と税金でまかなわれているのですから、無駄な出費は慎んでほしいものです。沖縄の那覇在住でカナダの事情に詳しい方から、カナダでNHKにあたるCBCのテレビのニュース番組がインターネットで容易に視聴できることを教えていただいて、その後は時々そのサイトを覗いています。CBCのニュース番組(ラジオとテレビ)の評判はアメリカ合州国でも大変高くて、そのファンが多数存在しますが、アメリカに駐在するCBCの特派員の数は大体二名ほどに限られます。世界的にみても、CBCの外国派遣駐在員の数は、(これは私の荒っぽい推量ではありますが、)NHKのそれにくらべて、十分の一か二十分の一でしょう。その代わり、その一人一人が一騎当千のつわ者(女性もいます)です。実によく勉強をしている、実によく考えをめぐらせている、といった感じです。おなじニュースを伝えるにしても、視点、視角というものがあります。報道の中立性という境界条件の下でも、物事の本質をとらえている記者による報道内容と,そうでない場合とでは、受け取るものへのインパクトが違います。重みが違います。
 もう何年も前のことになりますが、若くお元気な頃には、私どもの世代の者にとって掛け替えのない報道を世界のトラブル・スポットから伝えて下さったジャーナリストとお話する機会があった時、日本の大出版社が毎週世の中にどっさりと放出する週刊誌の記事の質について、私が「こうした出版社に入社してくる若い人たちも、始めは、ジャーナリストとしての高い志を胸に抱いて仕事をはじめたのでしょうにね」と言いますと、その古参ジャーナリストは、私のいささか浅薄な語り口を切って捨てるように、「この頃の若い人は高い志など始めから持っては居ませんよ」と答えました。
 しかし、そうであるかも知れないし、そうでないかも知れない、と私は思っています。今度の「北朝鮮の原爆テスト」の問題を例にして考えてみましょう。日本人のほぼ誰もが北朝鮮のやったことに憤りを持ったに違いありません。しかし、日本政府の反応、アメリカ政府の反応、国連内での反応を、この重大事件の重みにふさわしい形でニュース記事に仕立てる場合には、それが公式には表に出せない事柄であるにしても、それを十分意識しているか否かで、中立性を損なわない範囲でも、かなりの“あそび”の余地がある筈です。アメリカ政府当局者、各国の国連大使たちすべての胸につかえている厄介な事実が「イスラエルの原爆保有」の問題であることは、NHKでニュースを仕立てる関係者のすべてがご存知でしょう。それが口に出せないことも明々白々です。しかし、この条件のもとでも、まだやれることがあります。それは、“いま核兵器テストのテクノロジーはどこまで進歩しているか”という問題を取り上げることです。この事に就いては、2009年4月22日付けのブログ『オバマ大統領は本当に反核か?』で論じましたが、世界の核兵器保有国には、地下でドカンと核爆発をやる必要のない先進国と、ドカンとやらなければテストが出来ない後進国があるという事実を、一般の人々に解説することは「科学解説」として出来る筈です。それも、やっぱり、遠慮しておこう、というのがNHKの解説委員さんたちのお考えでしたら、私としては、もう何も言うことはありません。

藤永 茂 (2009年5月27日)



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