私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アフリンのクルド人民防衛隊を讃える

2018-03-19 23:26:06 | 日記・エッセイ・コラム
 昨夜はいささか眠りを失いました。寝る直前にトルコのエルドアン大統領が「トルコ軍がアフリン市街を制圧した」と宣言したことを知ったからです。この10日ほどの間、私はアフリンに関してのブログ記事を書きあぐねていました。タイトルも『アフリンでの惨劇を回避すべし』にするか『アフリンをペール・ラシェーズ墓地にするな』にするか迷っていましたが、アフリンの一般市民をできるだけ巻き込まないような形の戦いを続ける決断を下したことを、今朝、確認して、クルド人民防衛隊を讃える言葉を綴ることに心を決めました。
 2011年のシリア擾乱の発生の初期に、クルド人がロジャバと呼ぶシリア北部のアフリン、コバネ、ジャジールの三つのカントンでは、ロジャバ革命を目指す人々によってシリア政府の地方行政機構が乗っ取られましたが、シリア中央政府はその動きに強い抵抗を示さず撤退し、従って、この三つのカントンでは、この7年間ほどの間、オジャランの革命思想(ロジャバ革命)に基づいたコミュナリズムの社会形態が順調に発展し根付いて 行ったのです。特にアフリン地域全体はシリアの他の地域に比較して平穏であったので、戦乱地域からの国内難民が大量に流入して、この人たちもロジャバ革命の理念に従ったコミュナルな自治組織の中に組み入れられて生活をしていたのです。アフリン市街の元々の人口は4万弱、最近では、それからさらに数万膨れ上がっていたと思われます。侵攻作戦開始から58日をかけて、トルコ軍とその傭兵勢力(もとISの兵士たちが多数含まれていると思われます)がほぼ包囲を終わった時点にアフリン市街内にいたクルド人民防衛隊(YPG,YPJ)兵員数はおそらく数千人であったと推測されます。
 咋3月18日、アフリン・カントンの自治政府はクルド人民防衛隊とともに記者会見を行って、一般市民を戦火から守るために市街からの避難を奨励し実行することを宣言しました:

https://anfenglish.com/features/afrin-administration-the-war-has-moved-to-another-stage-25570

避難はアフリン市の南側に残っていたシリア政府支配下の狭い地帯を主に使っているものと思われます。では、アフリンの市街地に残っているのは誰なのか? 詳細は不明です。トルコ軍とその傭兵勢力が抵抗を受けることなくアフリンの市街に入り、行政施設を占領したことは確かですが、市内に残った一般市民とクルド人民防衛隊の兵士たちの様子は、現時点では、全くわかりません。ただ、はっきりしていることは、アフリンでは、アレッポの惨劇、グータの惨劇は回避されたということです。一般市民を盾に利用した防戦が回避されたということです。この決断は、いかにもクルド人民防衛隊の名にふさわしい、賞賛に値するものと私は考えます。
 しかし、クルド人民防衛隊(YPG,YPJ)は降伏の宣言をしたのではありません。そうではなく、「これは戦闘方式の転換だ。今後は、ゲリラ戦を展開する」とはっきり宣言しているのです:

https://anfenglish.com/features/saleh-moslem-guerrilla-warfare-begins-in-afrin-25573

トルコはYPG,YPJをクルド労働者党(PKK)の下部組織と見做してテロリスト呼ばわりし、壊滅したいと考えていますが、PKKはトルコ国内で、1984年以来、ゲリラ戦法で抗争を続け、弱体化する気配はありません。クルド人民防衛隊(YPG,YPJ)のゲリラ戦開始の宣言の背後にある歴史の重みを我々は理解しなければなりません。このクルド人たちの長い苦闘の歴史の中から、オジャランのコミューン思想が立ち上がってきたことを我々は認識しなければなりません。

藤永茂(2018年3月19日)

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