私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ものを考える一兵卒(a soldier of ideas)(1)

2011-04-27 10:47:25 | 日記・エッセイ・コラム
 フィデル・カストロとは長い付き合いです。と言っても全く私の心の中だけのことですが。カストロは1926年8月13日生まれ、私の誕生日は同年5月23日、私の方がちょっぴり年上です。
 この4月20日の「産経ニュース」から、『カストロ前議長が政界から完全引退』という記事を転載させてもらいます。:
 キューバの首都ハバナで13年半ぶりに開かれていたキューバ共産党の第6回党大会は19日、国家元首である国家評議会議長のラウル・カストロ氏(79)が、実兄のフィデル・カストロ前議長(84)の後を継いで、党トップの第1書記に第2書記から昇格することを決め、4日間の日程を終えた。
 19日には病気のため2008年に議長を退いたフィデル氏も出席し、スタッフに支えられながら歩いて入場した。会場からの大きな拍手に迎えられたが、発言はなく、体力の衰えが目立った。これで政界から正式に“完全引退”したことになるとはいえ、今後もキューバ革命の英雄として、影響力を維持するとみられる。
 大会では革命以来の「平等主義」から脱却し、市場経済原理を部分的に導入する方針が確認されたが、ラウル氏は演説で、「社会主義を守り、より完全なものにするのが第1書記の使命だ。決して資本主義への後戻りは許さない」と述べた。第2書記には、マチャド第1副議長(80)が指名された。(ニューヨーク支局) 

 カストロのキューバ革命が成就したのは1959年1月、アメリカ合州国は直ちにカストロ政権を承認します。今も昔も変わらぬ狡猾な偽善性です。カストロが倒した米国一辺倒のバチスタ政権は腐敗の極をきわめた独裁政権でした。今の中東情勢を想起させます。ところが、カストロが米国系私企業の国営化などの政策に着手すると、1959年12月には、早くもカストロを殺してその政権を転覆することを目指す「ブルータス作戦」を立ちあげ、1961年4月にはCIAの傭兵部隊がキューバに侵攻上陸しました。豚湾(Bay of Pigs)事件です。これは侵略軍の大惨敗、時のケネディ政府の大誤算に終ります。直後の5月1日のメーデー演説でカストロはキューバ革命が社会主義革命であることを宣言し、アメリカと訣別することになりました。
 ですから,今年の党大会はその50周年記念にあたる特別な意味があり、4月16日午前にはハバナで記念のパレードが行なわれ、その午後には4日にわたる党大会が始まりました。しかし2006~7年の大病の後は、さすがの彼も昔のように長時間パレードを謁見し、会議で延々と演説を続けるような元気はなくしてしまいました。4月16日付けの彼の“回想(Reflections of Fidel)”で、彼自身そのことを書いています。公的な場所に出て、以前のような役割を果たせないことを国民に詫び、「I promised you that I would be a soldier of ideas, and I can still fulfill that duty.」と結んでいます。大病のあとカストロは実際の政務から身を引き、もっぱら国の内外の政治的問題についての活発な発言を続けていて、この私のブログでも彼の発言の幾つかを取り上げてきました。英語版が次のサイトにありますのでご覧下さい。:

http://www.granma.cu/ingles/reflections-i/reflections-i.html

 私の胸裏にも一つのカストロ論が無くはありませんが、今日は、むしろ、彼との“長い付き合い”の思い出を印象的にざっと辿ってみたいと思います。私がシカゴ大学の物理学教室の共同研究員として初めてアメリカ生活を経験したのは,1959年から1961年にかけての2年間で、これはカストロのキューバ革命の動乱とまさに重なります。1961年4月のCIA主導の豚湾侵攻の失敗に腹を立てた大統領ジョン・エフ・ケネディは同年11月CIA 長官アレン・ダレスを解任し、CIAそのものの解体まで宣言しました。しかし、1963年3月11日ケネディが暗殺されたのでCIAは消滅の運命を免れました。CIAを抹殺しようとしたことが暗殺された理由の一つだったという根強い説があります。消滅が実現していたら世界のためにどんなに良かったか、それを思うと残念でなりません。CIA長官アレン・ダレス、この人物はアフリカ大陸の希望の星だったコンゴの初代首相パトリス・ルムンバの事実上の暗殺者でもあります。コンゴは1960年6月30日に独立をはたしましたが、早くも1960年7月22日、アレン・ダレスはアイゼンハウアー大統領の下のアメリカのNSC(国家安全保障会議)で“ルムンバはカストロと同じか、それより悪い”と証言しました。ルムンバが惨殺されたのは1961年1月17日のことでした。その事情は,例えば、
 Ludo De Witte: The Assassination of Lumumba (Verso, 2002)
に詳しく出ています。
 カストロとケネディは、豚湾事件やいわゆるキューバ・ミサイル危機で、世間の眼には犬猿の間柄あるいは不倶戴天の敵と映っていたので、ケネディが暗殺された時、カストロにも嫌疑がかかりました。これに対してカストロは「私はケネディを暗殺しようと思ったことはない。私はアメリカというシステムと闘っているのだ」と答えました。見事です。誰が(CIA?)数えたのか知りませんが、これまでカストロ暗殺の企ては六百回を超えるというのがもっぱらの通説です。ただの「ものを考える一兵卒」になってしまったカストロ老人を殺そうとする刺客が差し向けられることは、もはやありますまい。運の強い男です。
著書『パワー・エリート』で有名なアメリカの社会学者ライト・ミルズ(1916年~1962年)は、1960年8月8日から24日まで独立して間もないキューバに滞在し、フィデル・カストロやチェ・ゲバラやその他多くのキューバ人に会い、それに基づいて、『よく聞け、ヤンキー:キューバ革命( Listen, Yankee: The Revolution in Cuba)』を同年11月に出版、日本では鶴見俊輔の翻訳で『キューバの声』(みすず書房,1961年)として出版されました。いま読んでも、不思議な爽やかさが各頁から立ちのぼってきます。よい意味で50年後の今のキューバと呼応するところがある不思議な本です。この本を出したすぐ後の1962年3月20日、ミルズは自宅で心臓発作に見舞われて世を去りました。
 1968年,私はカナダの大学に職を得て移住しましたが、それからもカストロとの“つきあい”は断続的に続き、日本に帰ってきた現在までも、こうした雑文を書くかたちで続いています。また次回に。

藤永 茂 (2011年4月27日)



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4 コメント

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 いつもいつも楽しみに拝読しております。マスコ... (櫻井元)
2011-04-28 00:32:15
 いつもいつも楽しみに拝読しております。マスコミを通しては得られない事実がこんなにも多いことにただただ驚きと怒りを感じるばかりです。
 例えばリビアの報道もひどいものですね。NHKでは、通常のニュースでも、解説委員の解説番組でも、「カダフィが市民を虐殺し、多国籍軍が人道的に軍事介入」という構図でしか報じていません。藤永先生のブログをとおして、ことはそう単純ではないということがわかりましたが、人の生き死にに関わる事象についての報道なのだから、事実に裏打ちされていない今のようなマスコミ報道は犯罪的です。
 先生のブログをとおして、読者である私たちは、人間社会の巨大な矛盾を具体的な事実に基づいて認識できるのですが(遠い世界のことも古い過去のことも想像力をもって)、もうひとつありがたいことがあります。それは、多くの優れた本との出会いが広がる点です。先生がブログの中で引用される本の中で、これは読んでみたいなと思うものが多々あります。今回のライト=ミルズもそうでした。私は学生時代の勉学に挫折してしまいましたが、卒業後に自分のペースで関心のある本を読み続けています。池本・下山・布留川『近代世界と奴隷制』(人文書院)、フランツ・ファノンの各著作(みすず書房)なども購読しました。ファノンは翻訳調で理解しづらい文章でしたが、原文はきっとわかりやすいのでしょうね。外国語ができればなあとつくづく感じます。ミルズという学者も面白そうな人ですね。魅力的なテーマとタイトルの本ばかりです。今の私たちにも学ぶべき点がきっと多いことでしょう。
 先生、勝手なお願いで恐縮ですが、これだけはぜひ読んでほしいと思われる先生ならではの推薦本リストを読者に伝えていただけないでしょうか。世の中、いろいろな方が「私のおすすめ本」といったものを出されていますが、藤永先生の推薦本(和書・洋書・刊行中・絶版を問わず)をこそぜひ伺いたいです。
 勉強は一生続けるべきものだと思いますが、これからも私たち読者にその道しるべとなるブログをご提供くださいますようお願いいたします。どうぞお元気でいらしてください。
 
信念と道理、そして人々への愛。が、藤本先生のカ... (池辺幸惠)
2011-05-02 09:01:28
信念と道理、そして人々への愛。が、藤本先生のカストロの話から感じられました。
なんら恥ずるところのないカストロそしてチェ・ゲバラたち。国を自分たちの手で作り育ててゆく、そのさわやかな気概と熱意が感じられます。

とても今の日本の政治にはみあたらない。
このたび政府の委員会を脱退した小佐古さんが、子供たちに20ミリシーベルトの場所でOKとは耐えがたいと涙ながらに訴えた。
それは、只今でもチェルノブイリの立ち入り禁止区域である指定管理区域内、そこでで暮らして学校に行けというのと同じこと。

これまでのアメリカの恥ずべき殺人・策謀集団のCIAとどうように、日本の原発推進に向けてやっきになっている人たちは、同じ殺人集団といえよう。10年後20年後の過失致死罪にあたる。
ひ先日もボランティアのリーダーたちの乗った飛行機がケニアで墜落していましたが、それさえ何か不審なものが感じられる。

いのちを守り助け合う、それが原点。だったら、何も食べるな、動物実験をするな・・・野菜もいのちだ・・にまでなってしまう。しかし、
そのいのちを頂かなければ、生きておれないこの身の原罪を背負って、見える命みえない命をむやみに奪わない、そして助けれるいのちにはできるだけの手をさしのべて助け合って共に生きてゆく。

赤ちゃん殺しの異名を持つ、原発を推進することはいのちから遠くなるばかり。
その原発が事故をおこして広く放射能をまき散らしているのに、国民のいのちを守るより、自分たちの権益をまもることの方が大事とばかりに、その危険性を隠して国民をだまし続けている。
なさけない日本の政治です。今、なんとかせねば、子供たちの未来は危うい。
池辺さんのコメントにあった「小佐古」という学者... (櫻井元)
2011-05-02 22:59:29
池辺さんのコメントにあった「小佐古」という学者、どうも怪しい人物のようです。

『週刊金曜日』(4月29日号)の記事「原発を推進した『御用学者たち』」のリストに載っている人物です。数々の原発推進団体の委員をつとめたほか、いくつかの原爆症認定訴訟で国側の証人をつとめたりしています。

「kojitakenの日記」というブログにとても興味深い洞察が書かれていました。以下にその一部を紹介します。http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110430/1304147154


今回の小佐古の政府批判に対して、「これで小佐古氏は『原子力村』を追われることになるのではないか」と心配している人たちもいるが、そんなことにはならないと私は思う。エネルギー政策に関して、旧「原子力村」はいくつかに分かれると思うが、反原発論を含めてもっとも世間の支持を得るのは、おそらく「『安全な原発推進』村」だろうと彼らは予想しているのだ。そして、その入村資格を得ようと彼らは必死になっている。


 かつての自分を悔い改め態度を変えたうえでの涙ながらの辞任会見だったのか、それとも「kojitakenの日記」の見方のように「新しい原子力村への入村資格」を得るための保身のパフォーマンス(猿芝居)なのか。「良心的な学者の涙ながらの抗議」とそう単純に見ることはできないようです。

池辺さんの情熱的なコメントはいつも楽しく読ませて頂いています。高い問題意識と旺盛な行動力も尊敬しています。「小佐古」評がちょっと気になっただけです。水を差すようでごめんなさい。



櫻井さん、ありがとうござます。分かっていますよ。^^ (池辺幸惠)
2011-05-03 06:06:49
櫻井さん、ありがとうござます。分かっていますよ。^^

 そんな御用学者さんでも、これ以上の過失致死罪の共犯になりたくなかったのでしょう。

 今はやっている武田って人もですが。向こう側にいた人ですから、返っていろいろデータも欠点もよく分かるのでしょう。
 
 しかしつぎなる「安全な原発村」への入村許可のための空涙だとしたら、かなしきピエロですね。

 こういう御用学者とひよりみさんたちがもいまさらに良心がうずき始めているとしたら、ある意味よかったとも思います。どんどんひよってほしいです。
 ひよりみさんが徐々にこちらになびきだしたら、平和と反原発への一大転換へと重心が動き始めているのだと思ってうれしいです。

 どんどんひよってください。そして、子や孫のためにも恥ずかしい政治を、汚れた自然をのこさないよう、じじばば全力投球せねばと思っています。

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