私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

君はトーマス・クーンを知っているか?

2021-07-01 22:36:51 | 日記・エッセイ・コラム

 現在、日本の、いや、世界中の大学の学生さんでトーマス・クーンの名前を知っている人はごく僅かでしょう。しかし、ほんの四半世紀も遡れば、事情は全く別でした。2017年、私は『トーマス・クーン解体新書』という電子本を出版しましたので、この拙著の序章から少し引用します:

**********

 1962年にシカゴ大学から出版されたトーマス・クーン著『科学革命の構造』は、20世紀後半で最も広く読まれ、引用された学術書である。そのあたりの事情を述べた著者クーン自身の言葉が自著『The Road Since Structure』(2000年出版。今後、RSSと略記)の中にある。

「私はよく言ったものだが、自然科学か数学の分野で大学を卒業するのなら、『科学革命の構造』を読まないままで学士号を取得することもままあるだろう。が、そのほかの分野で大学を卒業するのであれば、如何なる分野でも、少なくとも一度はこの本を読むことになるだろう。」(RSS, 282-3)

この二百頁そこそこの書物は科学のイメージをすっかり変えてしまったと多くの人が言い、その影響は科学史や科学哲学の領域をはるかに越えて、哲学、社会学、教育学、経済学などの分野にも及んでいる。

 1991年、アメリカの高名な哲学者ドレイファス( Hubert Dreyfus) はクーンの 『The Structure of Scientific Revolutions』(今後、SSRと略記)が引き起こした自然科学のイメージのどんでん返しについて、次のように書いた。

 「文学理論家、社会科学者、フェミニストたちは、それぞれ自身の理由から、クーンに組みして、自然科学こそが客観的実在についての真理を我々に告げているのだという特権的主張に攻撃を仕掛けることになった。文学理論家は、自然科学の理論も、結局のところ、解釈の対象になるテキストに過ぎず、したがって、人文諸学の領域に入るのだということを示して、自然科学を出し抜こうとしている。同様に、社会科学者は、科学的真理は共同的な営みから生み出されるものであることを指摘して、自然科学を社会学や人類学の領域に編入しようとしている。フェミニストは、科学の権力組織が男性による支配体制の砦だと考えて、その権威を掘り崩したいと思っている。これらすべてのグループは、自然科学は単にもう一つの解釈的な営みに過ぎないのに、どういうわけか、それだけが実在にアクセスできるのだと人々が考えるように,今まで我々の文化を騙していたと信じたいのである。」(Dreyfus 1991, 25)

<文献の表記>{本書で引用される文献の主要なものは上記のRSSやSSRのような略号で表し、引用原文の場所は、(RSS, 282-3) のように、(略号、該当頁)で示される。主要文献一覧表は巻末にある。それ以外は(著者名、出版年、該当頁)で表す。例えば、引用文(Dreyfus 1991, 25) は巻末の「引用文献一覧表」を見れば『The Interpretive Turn』のp27 にあることが分かり、原文は巻末の「引用文原文」にある。}

 哲学者として、同じく高名でドレイファスの論敵でもあったローティ(Richard Rorty)は,2000年、クーンのSSRを次のように紹介している。

「(SSRは)第二次世界大戦後、英語で書かれた哲学書として、最も広く読まれ、最も大きい影響を与えた。この本に応答して何ダースもの本が書かれた。大学のほとんどあらゆる学科で、学部コースでも大学院コースでも、絶えず必読書として与えられて、哲学から社会科学まで、さらにはいわゆるハードな自然科学に及ぶ多くの学問分野の自己イメージを変えてしまった。」(Newton-Smith 2001, 204)              

 クーンが亡くなる5年前の1991年のMIT での講演の中で、自著SSR(The Structure of Scientific Revolutions)がもたらした科学のイメージの変容について、クーン自身も次のように語っている。

「皆さんの多くがご存じのように、学問世界の内部で通用している科学のイメージは、この四半世紀の間に、すっかり根本的に変革されてしまいました。外部ではそれほど完全にではありませんが。私自身、その変革に貢献した一人であり、変革はひどく必要だったと考えますし、これと言った後悔は殆ど致しておりません。この変化は、科学の営みとはどんなものか、どのように行われるのか、何が達成でき、何が達成できないのか、について、以前に出回っていたよりも遥かに現実的な理解をもたらし始めていると、私は考えます。」(RSS, 105)

*********(引用終わり)

 現在の大学の学生さん達は上に引いた三つの言明を読んで奇異な感じを持つでしょう。トーマス・クーンの名前の消え方が余りにも急激ですから。彼はハーバード大学で物理学者として学位を取りましたが、科学史と科学哲学の分野に転進してベストセラーSSR(『科学革命の構造』)を出版し、その結果、上述の通り、学問世界の超知名人になりました。この著書に起点を置いた新しい科学哲学が生まれたと人々は考えて「新科学哲学」という名称が与えられ、日本でも米国でも、これが科学哲学の主流のような形勢にすら見えました。

 ところがどうでしょう、「新科学哲学」の影はすっかり薄くなり、トーマス・クーンの名を知る人は殆ど居なくなってしまいました。その理由は『科学革命の構造』で主張されたことの多くが間違っていたからです。

 しかし、ここに大きな問題があります。科学哲学者達がクーンの何処がどのように間違っていたかを、自己反省の形で明確にしないままに、クーンを消してしまった事です。これは学問をする者として許されるべき行為ではありません。学問的な誤りははっきりと解明してから論議を進めるべきものです。クーンの誤りで最も中心的なのは、「自然科学の理論はどの様にして変化するか」という問題についての彼の過誤です。これはクーンの『科学革命の構造』の第一主題でもあります。タイトル自体が「理論変化」の本質解明を意味しているのです。

 1975年、物理学者渡辺慧さんは、当時、米国のIT産業に君臨していたIBMの中央研究所の主任研究員をしていましたが、大評判のクーンの「理論変化」の論議に異議を唱える明快な論文を発表して、私も興奮して読んだことを覚えています。日本では唐木田健一さんが夙にこの問題に関心を持ち、『理論の創造と創造の理論』(1995年)という著作で自然科学の理論変化の問題に決定的な解答を与えました。これについては、拙著『トーマス・クーン解体新書』の第四章に紹介をしました。残念な事に、唐木田さんの『理論の創造と創造の理論』は日本語で書かれているために、この重要な著作は海外ではあまり知られていない状況にあると思われます。幸いにも、去る6月22日付けの唐木田さんのブログ

https://blog.goo.ne.jp/kkarakida/e/81309cd0a79786479f7e1e25d97641e1

唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

に唐木田さんの「理論変化」の英語論文が掲載されましたので、何らかの意味で科学論、科学哲学に興味をお持ちの方々に是非読んでいただき、もし外国人の友人をお持ちであれば、一読を勧めていただきたいと思います。

 数多の著書を通じて唐木田健一さんをご存じと思います。ブログには「プロフィール」もあります。年齢は私の方が20年も上ですが、私の尊敬する學兄です。桂愛景のペンネームで『戯曲アインシュタインの秘密』という知る人ぞ知る名著の著者でもあります。

藤永茂(2021年7月1日)

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1 コメント

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自然法則の必然性に関連して (山椒魚)
2021-07-02 20:12:32
先生はトーマスクーンの「ヒュームの問題」のところで,自然法則は必然性の下にあると述べていられ,物理学の発展の過程も必然的あるというように述べられていたように思います。今,世間はSRAS-COV19の問題で大変になっていますが(?)
,この感染症に対するワクチンが遺伝子操作によって作成され使用されています。このように生命科学が人類の遺伝子を自由に操作できるようになった過程も必然的であるとしたら,この先新たな生命を科学が産生できるようになるとしたらどのような社会が訪れるのだろうかとおもいます。
 「必然性」ということについても,物理学の発展の過程は必然的であったとして,人間社会の社会制度のあり方はどう考えたらよいのでしょうか。文明社会はその発展帰結として,どのようなところに収斂してゆくのか,それは必然的なのか。
 人間同士が殺戮を重ねているこの状態は,必然的で変えることはできないのか,いつも考えていますが

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