私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

米国知識層の堕落(FALL)(2)

2018-11-16 00:17:33 | 日記・エッセイ・コラム
 2014年10月27日、カナダのCBC(日本のNHKに相当)は、CBC切っての人気キャスター、ジアン・ゴメシを突然解雇し、その理由を「最近CBCに寄せられた情報に基づいた決断」と発表しました。ゴメシ側は、恋愛沙汰でゴメシに振られた元ガールフレンドと彼女と組んだフリーランス作家のでっち上げた偽のセクハラ糾弾だと反論し、彼の荒っぽい性行為は合意に基づいていたと主張しましたが、その数時間後に、有力新聞トロント・スターが「合意に基づいていなかった」とする女性側の主張を取り上げました。10月29日には、CBCの報道番組で「10年前にゴメシから同様のひどい仕打ちを受けた」と匿名の一女性が証言したことを報じ、トロント・スターは8人の女性がジアン・ゴメシの暴力を糾弾する声をあげていることを報じました。31日には、二人の女性の告訴に基づいてトロント警察署が犯罪捜査に踏み切り、これに対して、ゴメシは刑事事件弁護士としての有能さで知られるMarie Heneinを弁護人に選びました。このエジプト人女性はこの事件で重要な役を担います。2016年2月1日、オンタリオ州の裁判所で裁判が始まり、8日間続きましたが、2016年3月24日、証拠不十分として、ジアン・ゴメシに対する告訴の全てについて無罪の判決が下されました。
 ジアン・ゴメシのセクハラ事件の経過、特に裁判の詳細は、カナダの代表的女性誌シャトレーヌに出ています:
https://www.chatelaine.com/news/the-jian-ghomeshi-trial/
ここには、男性の性的暴行の犠牲者としての女性の立場からの、ジアン・ゴメシという人物に対する声高の非難の声が満ち満ちていて、それは無罪判決を下した法廷(裁判官)と、ゴメシの弁護人にも及び、マリー・ヘネンは「女性でありながら、女性を裏切った」と攻撃されています。
 ジアン・ゴメシの「Reflections from a Hashtag」が掲載されたNYRB(2018年10月11日-24日号)の編集長はイアン・ブルマですが、次の号(10月25日-11月7日号)は編集長代理Michael Shaeとあり、ブルマの名はもうありません。この号の Letters to the Editor 欄は、ゴメシに関する37の投書で独占されています。そのうち34がゴメシと彼の文章を掲載したブルマに対する声高の非難の内容です。しかも、これが投書の全てではなく、代表的なサンプルだとしてあります。このほか囲みの中にNYRBの常連寄稿者107名が連名でブルマの解雇に対する遺憾の気持ちを表明する文章が記載され、それに対するNYRB側の弁明を読むことができます。詳しく検討なさりたい方は、以下をご覧ください:

https://www.nybooks.com/articles/2018/10/11/reflections-hashtag/
https://www.nybooks.com/articles/2018/10/25/responses-to-reflections-from-a-hashtag/
https://www.nybooks.com/articles/2018/10/25/letter-from-contributors/

 ジアン・ゴメシの3400語のエッセーを掲載したイアン・ブルマの編集者としての考えは、次のインタビューで知ることができます:
https://slate.com/news-and-politics/2018/09/jian-ghomeshi-new-york-review-of-books-essay.html
これまで私はイアン・ブルマの書いた文章を数多く読んできました。特別この人のファンではありませんが、上のインタビューで示されている彼の考えを私は一つの真っ当な考えだと思います。強姦は厳しく断罪されなければなりません。しかし、ゴメシは強姦者として処罰されたのではありません。人と人との性的関係という問題は複雑なものです。ゴメシ事件の場合、強姦と暴力行為の刑事告発については無罪となりましたが、ゴメシのセクハラ行為に対する処罰は、社会的に、十分に行われたように思われます。ゴメシの弁護を担当して、無罪判決をもたらしたマリー・ヘネンは、裁判の締めくくりに、「I have never had a client be the subject of such an unrelenting public scrutiny and focus.(私は、今まで、世間からのこれほどまでの容赦ない詮索と集中的関心の的になった依頼人を持ったことはありませんでした)」と発言し、さらに、カナダ人一般がこの事件を乗り越えて、カナダにとって同じように重要な事柄に関心を向けるべきだと呼びかけました。私はこのマリー・ヘネンという女性の言葉に賛同します。家庭内暴力を始めとして、男性が恣意的に女性に加える暴力は許すべからざる行為です。しかし、ジアン・ゴメシの事件をこれほどまでに騒ぎ立てるカナダや米国のマスコミの姿勢と現在進行中の「#MeToo」運動の傾向に、私は危惧を抱きます。筋金入りのフェミニストとして知られていたマリー・ヘネンは、ゴメシを無罪にしたことで、女性全体を裏切ったと非難されていますが、これは間違っています。ヘネン弁護士は女性の原告の証言が信憑性に欠けることを立証しました。男性の暴力の犠牲者に強いられる心理的苦悩の理解と、事実を事実として認識することとは区別しなければなりません。「フェミニストとしての私に何の変化もない」とマリー・ヘネンは言い切っています。
 この騒ぎを契機として、私の関心は、むしろ、NYRBそのものの変貌、その背景としての米国知識層の堕落に向けられます。それはまた米国の大学が支配権力機構の中にしっかりと組み入れられ、大学教育現場の環境も腐敗堕落してしまったと私は感じています。今のNYRBの所有者はRea Hedermanで、1984年に5百万ドルで買い取ったとされています。この人はミシシッピー州の保守的新聞チェーンを経営していた家族の出身で、興味深い経歴の持ち主ですが、今は取り上げません。NYRBを買い取った時に抱いていた初心を、支配権力からの締め上げに直面して、ヘダーマンが次第に失いつつあるというのが現状でしょう。私はシリア情勢に強い関心を持っていますが、2016年12月から今日までにNYRBに掲載されたシリア関係のいくつかの記事のどれもがひどく偏向した、虚偽報道的な内容です。特に最近の記事、「Why Assad and Russia Target the White Helmets」:
https://www.nybooks.com/daily/2018/10/16/why-assad-and-russia-target-the-white-helmets/
は劣悪なもので、本来ならば、ジアン・ゴメシのメア・クルパにも増して、NYRBの編集部として、掲載の可否について真剣な議論が戦わされるべきであった内容ですが、こちらはフリーパスです。
 幸い、この悪質の記事に対する詳細な批判がRick Sterlingというサンフランシスコ在住のジャーナリストによって発表されました:
https://syria360.wordpress.com/2018/10/24/western-media-attacks-critics-of-the-white-helmets/
「Western Media Attacks Critics of the White Helmets」というタイトルですが、その理由は、NYRBのホワイトヘルメット擁護賞賛の記事が、ホワイトヘルメット神話の虚偽性を明らかにしたジャーナリストやアサド政府を支持する側にあると思われる人々を、名指しで非難していることにあります。非難の矛先はVanessa BeeleyやEva Bartlettといった人々だけでなく、私が信頼するJohn PilgerやRobert Fiskにも向けられています。Rick Sterlingが指摘する通り、NYRBのホワイトヘルメット記事はひどく杜撰なものです。こうした品質品格の記事がNYRBに掲載される実際のプロセスを知りたいものです。同様の事情、類似の状況が、他の出版記事(日本の新聞、雑誌を含めて)の採用不採用の決定にも存在するのでしょう。どのような圧力が、どのような形でかかってくるのか?
 ブルマがヘダーマンから解雇された直後、オランダの雑誌のインタビューで語ったこととして次のようなことが伝えられています:
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The day after his departure, a Dutch magazine published an interview with Buruma that had taken place in the uneasy purgatory between a difficult conversation with Hederman and his formal resignation. Buruma spoke with detached fatalism of how he’d been “convicted on Twitter,” a victim of the Review’s “capitulation to social media and university presses.” He said Hederman had told him university press publishers, driven by campus politics, were threatening a boycott.
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ブルマは、ツイッター上で吊し上げられて世論から有罪判決を受け、NYRBがソーシャルメディアと諸大学の出版局に降伏したことの犠牲者となったと語っているわけです。ヘダーマンは、諸大学の出版局の人たちが、大学内の政治に駆り立てられて、NYRB誌に広告を出さないかも、と脅しをかけてきている、つまり、 MeToo運動の最中にゴメシの寄稿を採用するような編集長を留めておけば、NYRB社の必須の財源である諸大学の出版局からの広告収入が途切れる恐れがあるとヘダーソンはブルマに話したということです。ここで、「driven by campus politics」という文句に注意しましょう。ここに、私がイアン・ブルマ/ジアン・ゴメシ事件を米国知識層のFALLとして捉える理由があります。MeToo 運動の隆盛さは、いわゆる、アイデンティティ・ポリティクスの範疇の現象です。アイデンティティ政治の問題は、学問的テーマとして、最高学府で大いに論議されるだけの重要性を持った問題です。そして、そこでの主張は、学問的に真摯でフェアな形でなされ、ポストモダン的な曖昧さ(obscurantism)で主張の内容の空虚さを隠すようなことがあってはなりません。ましてや、自分の主張に逆らう発言を、学内政治的に圧殺するようなことは論外であるべきです。ところが、米国の大学では、そうしたことが実際に起こっているのです。米国の大学で「男性と女性は生物としてはっきりした相違がある」と発言をすると、それだけで糾弾されるという話があります。
 米国知識層の堕落(FALL)については、私のもう一つのブログ『トーマス・クーン解体新書』でも論じています。MeToo運動に対する私の想いは、正直なところ、かなり批判的です。今の世の中の枠組みをそのままにして、男性が占めている地位に女性を据え、白人が占めている地位に黒人を据えても、この世は本当に良くはなりますまい。今の米国、今のルワンダを見ればわかります。
私のお気に入りのウェブサイトであるLibya360 に興味深い論考が出ていますので、覗いてみてください:

https://libya360.wordpress.com/2018/11/08/patriarchy/


藤永茂(2018年11月16日)

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2 コメント

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マイノリティ政治と暴力 (私は黙らない)
2018-11-16 04:42:29
大変興味深いお話、どうもありがとうございます。先生のもう一つのブログも読ませていただきました。
唐突な連想なのですが、学生が教授をつるし上げる事件、まるで文化大革命のようだと思いました。吊るし上げる学生も、何か大きな権力に操られているようにみえます。先生が言及されたバークレーでも、大統領選中暴力沙汰がありました。私としてはリベラルな校風で、時代をリードしてきたあのバークレーが、とても残念に思いました。そこに健全な精神、寛容といったものはなく、60年代の学生の闘争とは決定的に何かが違うと思いす。
MeTooも大変不健康です。女性の私から見ても、集団ヒステリー以外の何物でもないように思います。本当に女性のためになっているのでしょうか?女性自身を傷つけ、マスの力に頼る以外、自己の存在を主張できないところに、女性自身を貶めているということはないのでしょうか?
マイノリティ政治は、道具にすぎないと思っています。異なる意見を封殺するための道具なのではないでしょうか?
Unknown (a_chiba)
2018-11-16 15:53:42
すみません。ここに投稿するのは適切ではないかも知れませんが、以下、例の"We came, we saw, he died, ha ha ha ha!"に関する証言です。
https://www.youtube.com/watch?v=LdGZZuYfS0s

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