私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ものを考える一兵卒(a soldier of ideas)(2)

2011-05-04 10:40:24 | 日記・エッセイ・コラム
 学園紛争の最中の1968年、私はカナダに移住しましたが、その年カナダではモントリオール大学の法学部準教授であったピエール・トゥルードー(Pierre Trudeau)が政治の舞台に華々しく登場して時代の寵児となり、若者の間でトゥルードーマニアとよばれる社会現象が起りました。マニア現象として、勿論、オバママニアと相通じる馬鹿馬鹿しい面はありましたが、眼に見えて高度の知的能力を持つ政治家として、オバマにつきまとうコン・アーティストの影はトゥルードーには全くありませんでした。管首相が「不幸を最小にする」というモットーを掲げた時、私はすぐトゥルードーを思い出しました。トゥルードーが掲げた目標は「Just Society」の実現でした。大袈裟に「正義の社会」などと訳しては少し意味がずれます。「公平な社会」あるいは「まじめにやっている人間がひどい目にあわない社会」といった感じでしょう。「不幸を最小にする」ということからも遠くありません。実際、トゥルードーはこの線に沿う幾つもの法律を制定し政策を実行しました。マイケル・ムーアがオーバーに褒め上げたカナダの医療保険制度をカナダ全土にわたる制度として確立したのもトゥルードーです。
 1969年12月下旬、ジョン・レノンと奥さんのヨーコが彼らの『世界平和の旅』の道すがら、カナダの首都オタワにやってきて、トゥルードーと面会することになりました。はじめは10分ほどの予定だったのですが、結局ジョンとヨーコの二人は50分間も一国の元首トゥルードーと歓談したのでした。ジョン・レノンは“Trudeau is a beautiful person. If all politicians were like Pierre Trudeau, there would be world peace.”という言葉を残しました。
 1976年1月26日から3日間、トゥルードーはキューバを公式訪問しました。当時、世界は東と西の陣営に分かれ、カストロとトゥルードーは帰属を異にしていたのですが、最後の日、大群衆に囲まれた屋外のステージにカストロと並んで立ったトゥルードーは立派なスペイン語で "Long live Cuba and the Cuban people! Long live Prime Minister Fidel Castro! Long live Cuban-Canadian friendship!" と言い放ったのです。勇気のいる発言でした。(YouTubeの Viva Cuba: Fidel Castro and Pierre Trudeau で 視聴できます。)二人の間の,政治的でない、人間としての真の友情はこうして始まりました。政界から引退後、トゥルードーは何度もキューバを訪れました。2000年10月2日、モントリオールで行なわれたトゥルードーの葬儀では74歳のカストロは柩を肩でかつぐ運び手に加わりました。
 バーバラ・ウォーターズ(1929年生)といえば、アメリカのTVジャーナリズムの歴史的な大姐御といった存在で、インターヴューした世界の有名人のリストは目を見張るものがあります。1977年6月、彼女はキューバに行ってカストロに会いました。インターヴューの様子は,適当に編集されてABCテレビで放映されたのですが、編集する前の完全なテキストが『Seven Days』という月2回発行の雑誌に(1977年12月)掲載されました。前年1976年のカストロ/トゥルードーの組み合わせと同じくらいカストロ/ウォーターズの組み合わせは注目に値したものでしたし、実際に放映されたプログラムの印象は自由陣営の女性論客の代表が共産主義独裁政治家に鋭く迫るという印象を与えるように編集潤色されていたことを問題にした『Seven Days』の編集者Dave Dellinger (この名前も私の年代の人間にはとても懐かしいはずです)が、わざわざインターヴューの完全テキストを世に出したのでした。そこには、なんとも形容し難い魅力に満ちたカストロの声が鳴り響いていました。その魅力がタフなインターヴュアーであったはずのウォーターズを虜にしてしまった様子さえ読み取れる内容でした。事実、アメリカ国内ではウォーターズはカストロに丸め込まれたという非難が次第に浮上することになりました。この会見から25年後の2002年10月、彼女は再びカストロを訪れます。その時の様子はYouTube 上で見ることが出来ます。彼女はしきりにカストロの弱みに鋭く切り込む振りを見せますが、この二人の間に一種の親愛の情が飛び交っているのを感じるのは難しくありません。カストロというのはそんな不思議な人物なのでしょう。
 私の次のカストロ体験は田中三郎著『フィデル・カストロ「世界の無限の悲惨を背負う人」』という驚くべき本を読んだことでした。私が常々敬愛する一友人の勧めで読んだこの本については以前にも書いたことがあります。著者は3年3ヶ月(1996年11月末~2000年3月)キューバ大使を務め、その間、数十回、カストロと言葉を交わし、日本帰国後3年を費やして、この文字通りの聖人伝(hagiography)をしたためました。ハギアグラフィという言葉は,今はネガティブな意味で使われるのが普通です。伝記の対象をひたすら褒め上げる執筆行為の裏に卑しい打算が張りついていることがよくあるからです。しかし、田中三郎さんの場合、そうした計算の影は微塵もありません。末尾は
「キューバを離れた今も、フィデル・カストロをはじめとする心優しく、偉大なキューバの人々に接することのできた貴重なキューバの日々に対して、深い感謝の気持ちを抱いている。そして、フィデル・カストロは、ホセ・マルティについて「一粒の種がまかれて、大きな樹に育って日々に成長している」と語っているが、フィデル・カストロという一人の崇高な人のまいた種が日々成長し、その思想と毅い精神の流れが脈々と続いていくことを確信している。」
と結ばれています。これを甘過ぎと評することは容易です。アメリカ人ならば「He is smitten by Castro 」と笑うでしょう。しかし、カストロと出会ってすっかり参ってしまった人の数が多すぎるとは思いませんか? ミルズ、トゥルードー、ウォーターズ、田中三郎、・・・・。私はさらにイニャシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet)の名を加えたいと思います。ラモネはフランスのルモンド・ディプロマティック前総編集長で、私が信頼している論客の一人です。2年ほど前、どこかのテレビで彼とフィデル・カストロの対話を視聴しました。たぶんその内容だと思われる本が岩波書店から出ましたが、まだ手に取っていません。2007年のラモネの発言ですが、「カストロ議長をひぼうする立場の人々には悪いが、国際社会のパンテオン(偉人廟)には既にカストロ氏の席が用意されている。社会正義のために戦い、虐げられた人々と連帯した偉人だけがこのパンテオンに招かれる。」
 カストロとカストロのキューバを評価する場合に、見過ごすことの出来ない名前があります。キューバ生まれ、キューバ在住の35歳の女性ブロガー、ヨアニ・サンチェスです。キューバに本格的な関心のある人でこの名前を知らない人はまず居ないでしょう。世界中から膨大なアクセスを誇る彼女のブログ Generación Y (ヘネラシオン・イーグリエガ) は日本語で読めます。数えきれないほどの国際的賞も受賞しています。彼女のカストロ非難、キューバ非難はまことに激烈且つ執拗です。私もこの人とそのブログに興味を持ち続けていますが、2009年の暮れ、ちょっと気の毒なことが起きました。彼女がアメリカとキューバの関係に関する7つの質問をオバマ大統領に送ったところ、その一つ一つに丁寧に答えた大統領からの返書が届けられたのです。内容は彼女のブログで読むことが出来ます。オバマはサンチェスを讃える次のような言葉を贈りました。例のオバマ節が余りにも鼻について翻訳する気になれないので原文のまま掲げておきます。オバマに手放しで褒められたことで私の心の中のサンチェス株の値は急落してしまいました。:
# Your blog provides the world a unique window into the realities of daily life in Cuba. It is telling that the Internet has provided you and other courageous Cuban bloggers with an outlet to express yourself so freely, and I applaud your collective efforts to empower fellow Cubans to express themselves through the use of technology. The government and people of the United States join all of you in looking forward to the day all Cubans can freely express themselves in public without fear and without reprisals. #
さて、いまや世界的セレブとなって大得意のサンチェスさんと、ミルズやトゥルードーやラモネのような、決してナイーブな人間ではないのにカストロが好きになってしまった御仁たちのどちらに信を置くか。それは皆さんの判断に任せましょう。
 最後にまたトゥルードーに戻ります。私が未だに政治家というものの可能性に絶望してしまわないのは、カナダでトゥルードーのやることを至近距離でウォッチ出来たからです。彼はいわゆる「ケベック危機」の際、その去就を問われて、“Just watch me”とマスコミ報道者たちに答えたことで、その傲慢さをひどく叩かれましたが、たしかにウォッチするに値する希有の本物の政治家でした。清廉潔白、正義に徹した君子ではなかったのですが、絶えず真剣に政治家としての思索をつづけ、彼が最善のチョイスと信じるアイディアを実行しました。
 これからも、私の“カストロとのお付き合い”は続きます。私が死ぬまで続くでしょう。いまや「ものを考える一兵卒」となったフィデル・カストロの声に耳を傾け続けるということです。この声が無残な暗殺によって絶えることはもう無さそうですから。

藤永 茂 (2011年5月4日)


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