私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アンジェラ・デイヴィスとバラク・オバマ(1)

2010-11-03 13:09:57 | 日記・エッセイ・コラム
 アンジェラ・デイヴィス、憶えていますか? 豊かに盛り上がったアフロスタイルの黒髪の下の理知的で鋭く美しい面立ち、彼女のイメージは、1970年前後の激しかった黒人闘争についての私の記憶のアルバムにはっきりと貼付けられています。最近も彼女の著書『監獄ビジネス グローバリズムと産獄複合体』(上杉忍訳、岩波書店、2008年)が出ていますから彼女が何者かをお知りになった方もあるでしょう。
 1969年9月19日、当時カリフォルニア大学の哲学科の新進助教授に任命されたばかりの25歳のアンジェラ・デイヴィスは、時のカリフォルニア州知事ロナルド・レーガンの強圧によって大学から解雇されました。彼女が共産党の党員であり、1966年に発足した過激な黒人団体ブラック・パンサー(党)に関係しているというのが、一方的な解雇の理由でした。翌年1970年にFBIが白人判事殺害に使われた拳銃が彼女のものであったとして彼女を逮捕しようとしたため身を隠したものの、2ヶ月あまり後、ニューヨークで捕まりました。裁判は1972年に行なわれ、無罪判決を勝ち取りました。ジョン・レノンやミック・ジャガーはアンジェラ・デイヴィスを応援するソングをつくり、フランスの作家ジャン・ジュネはアンジェラ・デイヴィス逮捕の直後、「おまえたち(白人アメリカ)が過ぎ去った後に残るのはアンジェラ・デイヴィスとブラック・パンサーの思い出、思想と理想なのだ」(志紀島啓・訳)という発言をしています。稀代の黒人才女ラディカル、アンジェラ・デイヴィスは眩しいまでにカッコいい存在だったのです。あの頃アメリカではヘルベルト・マルクーゼというドイツ人哲学者の評判が高く、私もマルクーゼの本を読んで影響を受けたものでしたが、アンジェラ・デイヴィスはマルクーゼの愛弟子でした。
 DemocracyNow というサイトに、10月19日、アンジェラ・デイヴィスの長いインタービュー記事が出ました。見出しは:
“Angela Davis on the Prison Abolishment Movement, Frederick Douglass, the 40th Anniversary of Her Arrest and President Obama’s First Two Years. (アンジェラ・デイヴィスが、監獄廃止運動、フレデリック・ダグラス、彼女の逮捕40周年記念、オバマ大統領の始めの2年、について語る)”
です。彼女のこれまでの経歴から始まって読み応えのある内容です。フレデリック・ダグラスという元奴隷の奴隷制廃止運動家については、拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』の120頁以降を読んで下さい。このブログでは、オバマ大統領についてのアンジェラ・デイヴィスの評価の是非をよく検討してみたいと思います。私は、ここに、アメリカのアカデミック・リベラルの壊滅という悲劇を読み取ります。
このデモクラシー・ナウの記事は現代アメリカの貴重な女性ジャーナリストであるエイミー・グッドマンとアンジェラ・デイヴィスの間で交わされた長い会話の記録であり、そのほんの一部を引用して勝手にあげつらうのは大きな危険を伴います。それを十分承知の上で、私がどうしても看過できない発言を以下に取り上げさせてもらいます。:
■ ANGELA DAVIS: Well, of course, initially, few people believed that a figure like Barack Obama could ever be elected to the presidency of the United States, and because there were those who persisted, and, you know, largely young people, who helped to build this movement to elect Barack Obama, making use of all of the new technologies of communication. And so, on that day, November 4th, 2008, when Obama was elected, this was a world historical event. People celebrated literally all over the world?in Africa, in Europe, in Asia, in South America, in the Caribbean, in the US. I was in Oakland, and there was literally dancing in the street. I didn’t?I don’t remember any other moment that can compare to that collective euphoria that gripped people all over the world.
Now, here we are two years later, and many people are treating this as if it were business as usual. As a matter of fact, many people are dissatisfied with the Obama administration, because they fail to fulfill all of our dreams. And, you know, one of the points that I frequently make is that we have to beware of our tendency here in this country to look for messiahs and to project our own possible potential power on to others. What really disturbs me is that we have failed. Well, of course, I’m dissatisfied with many of the things that Obama has done. The war in Afghanistan needs to end right now. The healthcare bill could have been much stronger than it turned out to be. There are many issues about which we can be critical of Obama, but at the same time, I think we need to be critical of ourselves for not generating the kind of mass pressure to compel the Obama administration to move in a more progressive direction, remembering that the election was, in large part, primarily the result of just such a mass movement that was created by ordinary people all over the country. (ええ,勿論、はじめは、バラク・オバマのような人物が合衆国の大統領に選出されようなどと信じる人は殆どいなかったのに、あくまでそれを成し遂げようと頑張り通したした人々がいたからです、しかも、その大部分が若い人々だったわけで、新しいコミュニケーションの技術のすべてを動員して、バラク・オバマ選出の運動を盛り上げて行くのを援助した。というわけで、あの日、2008年11月4日、オバマが選出された時、これは世界史的事件だったのです。文字通り世界中の人々が祝賀に沸き上がった-アフリカで、ユーロッパで、アジアで、南アメリカで、カリブ海で、アメリカ合衆国で。私はオークランドにいましたが、みんな街頭で文字通り踊っていました。あれほど世界中の人々を強く捉えた集団的歓喜に比肩できる瞬間は、私の記憶には、他には無かった-他にはありません。
さて、あれから2年後というわけですが、多くの人々が、このことをまるで当たり前のことだったように扱っています。実際のところ、多くはオバマ政府に不満です、政府が我らのドリームの全部をかなえるのに失敗しているという理由で。ご存知のように、私がしばしば指摘していることの一つは、この国では救世主を探し求めて他人に我々自身の潜在的な力を投射するにとどまる傾向があることを意識していなければならないということです。私がひどく気になるのは我々が十分の努力をしなかったということです。もちろん、私はオバマがこれまでした事の多くについて不満です。アフガニスタンでの戦争は今すぐやめる必要があります。健康保険制度法案は実現したものよりも遥かに強力なものでありえたでしょう。多くの問題について我々はオバマに批判的になることは出来ますが、しかし、同時に、オバマ政府がもっと進歩的な方向に動くことを強いる大衆的圧力のようなものを盛り上げていない我々自身について批判的であるべきだと私は考えるのです。あの選挙は、大部分のところ、何よりも先ず、将にそうした大衆運動、国内全体の普通の人々によってつくり出された大衆運動の結果であったことを思い出せばなおさらです。)■
皆さんは、このアンジェラ・デイヴィスのオバマ論の語り口をどう受けとめられますか? 私の感想は、おそらく、皆さんの感想とは可成り違ったものだと思いますが、次回にそれを申し上げます。

藤永 茂 (2010年11月3日)


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 思わず「クーンの解体新書」に見とれた挙げ句、 (elan)
2010-11-05 20:10:12
 思わず「クーンの解体新書」に見とれた挙げ句、
再度の稚拙コメントまで差し上げてしまいましたが、
こちらの方も何とも不思議を感じましたので、簡潔に自分勝手な感慨を投稿させて戴きます。

アンジェラ・デイヴィスがマルクーゼの弟子とは全く知りませんでした。懐かしさの二乗です。
イヴァン・イリイチと青木やよひの関係のようなものかと一瞬考えました。

私はアンジェラの著作は知りませんが、アンジェラの開放を願って作ったジョン・レノンの唄は大好きでした。1971年頃ニューヨークでレノンが作った2枚組LP「Sometime In Newyork City」(ジャケット表紙は、
Newyork Timesの紙面表紙をパロッたものです)に
収録されて居た筈です。
ビートルズ解散後2枚のソロを出した後の「過激な時代」を彷彿とさせますが、結構評価は低いアルバムです。
レノンはニクソンから睨まれて居た上、エルヴィスがニクソンにレノンへのグリンカードなど出さないようにと自ら会いに行って具申した逸話もある頃です。
(貴重な会見写真もあります)

そのレノンはニューヨークに入った途端、共産党のアビー・ホフマンと懇意に成りますが、これは小野ヨーコの仲介があったようです。
因みにレノンは この『アンジェラ』と謂う唄の前にも、
無実の罪で収監されていた ジョン・シンクレアの開放を求める同名の唄も出し、数年後に釈放にこぎ着けていますが、この収監所にはその後 レノンを殺害したチャップマンが数年入っていた皮肉な事実も有名です。

アンジェラ・デイヴィスのインタビューの内容は、
残念ながら 時代を置き忘れた願望に基づいたものではないかと感じます。
それと同時に、当時のアメリカでの黒人女性に対する強烈な圧力と、アメリカ共産党とブラックパンサーとの関係の位置づけが良く分かりません。

ふと思い出したのが、1984年の大統領選挙の取材で使った候補者一覧表(ニューヨークの投票所2箇所で便利なので入手後記念に保存)を捜し出して観ましたら、しっかり記載されていました。

政党乃至所属団体は Aの民主党モンデールから
Bの共和党レーガンに始まり10組織程続きますが、
最期の、JのCommunistの欄にしっかり プレジデント候補に共産党委員長のガス・ホール、副大統領候補にアンジェラ・デイヴィスと記されています。

既に委員長はアビー・ホフマンからガス・ホール(なんともふざけた名前だなと思いましたが)に変わっていました。
私は安易な陰謀論には全く組する気はありませんが、かのラルフ・ネーダーが産業資本からの資金提供を受けていた事が後年暴露された事や、唐牛健太郎等 60年安保指導の全学連トップが田中正玄からの資金提供を受けていた事など哀しい事実から
目を背けるつもりはありませんでした。

ジョン・レノンは 丁度この頃、1991年にマジソン・スクウァ・ガーデンで 「On to On コンサート」なるものを開いて居ます。ニューヨーク市長のリンゼイもこの内のどれかの公演で最後のフィナーレで舞台に上がり、中核のヘルを被ったレノンとヨーコと一緒にパワー・トゥ・ザ・ピープルかなんか合唱して終わっている筈です。

別にアメリカ共産党が茶番だなどとは決して思いませんが、ブラック・パンサーの方が遥かに切迫感と実在感がありましたので、やや不審を抱きました。

飽き易い事で有名なレノンは その後、1975年を堺にハウスハズバンドに成ってしまい隠遁し1980年にプレスリーを模したかのような再起LPを出し、そのLPにサインを求めたチャップマンに射殺された訳けです。
レノンに再び社会的メッセージを出すつもりがあったかどうかは私には疑問ですが、数年掛かりで計画された暗殺である事は間違いありません。

音楽の話しに成ると 先生がグールドお好きだったと聞いた時の嬉しさが甦って来て 稚拙なコメントに及んで仕舞いました。









twitterで藤永先生の仕事を紹介しているサイトへの... (如意袢)
2010-11-07 15:36:26
twitterで藤永先生の仕事を紹介しているサイトへのリンクに出会いました。参考までに
http://satehate.exblog.jp/15342781/
elanさんの投稿を読んで感想を書きます。 (山椒魚)
2010-11-07 17:42:30
elanさんの投稿を読んで感想を書きます。
唐牛健太郎は私にとっての輝ける全学連委員長です。同時代人ではありませんが。
唐牛健太郎が三池闘争の応援に来るとき、金が無く切符を買わずに、国鉄に乗車してきたそうです。途中で、切符切りが来て、切符がないので名前を聞かれて、「唐牛健太郎です」と名乗ったところ、そのまま行かせてくれたそうです。
勿論、彼が右翼の田中清玄から金を貰ったことは裏切りといえば裏切りなのかもしれません。
しかし、それで、60年安保闘争の全体が否定されるわけではないと思います。
私は団塊世代で当時の学生運動に加わりました。
おかげで、奨学金を止められ、親からの仕送りを止められました。食費が無く、生協のコカコーラの瓶をかっぱらって酒屋に持ってゆき1本十円で換金して食費に充てたことも何度もあります。タバコは地面に落ちているのを拾って吸っていました。
自らが運動せずに、人のことを客観的に論評するのは簡単でしょう。
私も内ゲバで半殺しにされて自己批判されて転んでしまいました。しかし、当時の学生たちは「いちご白書をもう一度」の歌ではないけれど、、就職活動で髪を切って、全共闘運動の闘志が何の屈託もなく社会にとけ込んで行きました。
私はそんなことで、卒業後も就職が無く、職を転々としているときも、公安警察が何回も接触してきて、情報屋になるように誘惑してきました。
自らをぎりぎりのところに立たせず、他人の裏切りを云々擦るのは簡単でしょう。
我々の運動のなかでも頭のいい連中は、集会とかではかっこよく演説していても、結局、運動が厳しくなるといつの間にかいなくなっている。
私は、だからといって、彼らを攻める気はない。元々人間とはそういう者ではないかと思う。
自然科学も「beast]かもしれないが、それを生み出した人間こそが本物の「beast」ではないかと私は思う。人間は皆、金銭欲、支配欲、性欲等々の欲望をエンジンとして生きている。ほとんどの人は欲望のままに生きている。まさしく転ぶ転ばないの以前で生きている。昔、九州大学の理学部の建設途中の電子計算機センターに米軍のファントム戦闘機が墜落して、板付基地撤去闘争が一時盛り上がったけれど結局、教官は自分たちの研究に必要だということで、夜陰に紛れて機体を引き下ろして米軍に渡した。はっきり言って裏切り以前の問題だ。結局皆欲望の固まりだ。おまけに、反対した学生が卒業したときには、お前だけは卒業させるなと言う先生がいっぱいいる、等という捨てぜりふ学生課の職員にさせている。
イエスは「あなた方は、他人の目の中のチリをみて、どうして自分の目の中の梁を見ようとしないのか」と言っている。
elanさんは知性の高い人だとお見受けしましたが、私は命ぎりぎりのところで生きている人間の裏切りをせめ気にななりません。唐牛健太郎は私の心の中では英雄です。

elan 様 (藤永 茂)
2010-11-07 21:42:19
elan 様

貴重な昔話の数々を伺わせていただき、有難うございます。振り返って感無量です。老人の感傷をお許し下さい。この80年、いろいろの事がありました。
「暗殺」はアメリカの文化伝統の一つです。ブラック・パンサーたちは、痛々しい転向者も含めて、実によく闘いました。

藤永 茂
如意袢 様 (藤永 茂)
2010-11-07 21:47:49
如意袢 様

サイト http://satehate.exblog.jp/15342781/
を教えて頂き、感謝いたします。沢山の写真を付加して貰って、ほんとに有り難いことです。

藤永 茂
山椒魚 様 (藤永 茂)
2010-11-07 23:11:55
山椒魚 様

私にとっても、三池闘争、エンプラ事件、ファントム墜落事件は、深く記憶に食い込んだままの事件です。三池とエンプラの頃は、私は九大教養部の物理の教師でした。ある日、社会科学教室の川口という先生が「三池の闘争の現場を見においで」と言って大牟田に連れて行ってくれました。私はデモなどに参加したことの無い役立たずの人間でしたから、川口さんは私を炊き出し部隊のおばちゃん達のところに残して、闘争の現場に向かいました。女性たちは悲愴感の影も無く、まだ若かった私にエロチックなからかいの言葉を投げかけたりして、意気揚々、和気あいあいで戦士たちのおにぎりを準備していました。祝祭的な不思議な明るさを、いま思い出すと、胸が痛みます。別の日、河口先生は、今度は、北九州にある朝鮮人学校に用事が出来たから、一緒についてきて学校を参観してみないか、と誘ってくれましたので、またおともをしました。三池と同じことで、私は、授業参観者として、ひとり、教室に取り残され、黙って生徒さんたちの様子を観察しながら、川口さんの帰りを待ちました。その時の、生徒さんたちの礼儀の正しさ、教室の雰囲気の何ともいえないすがすがしさ-ああよい学校だなあ、と心の底から思ったのでした。その時の好印象が未だに胸にあるものですから、人々がどう言おうと、私には北朝鮮が悪い国だとはどうしても思えないのです。こんな子供騙しのようなことを言うと、あちこちから怒られるでしょうが、まあ、これが私の正直な胸の奥です。ここでもまた、たわいない老人の感傷、何とぞお許し下さい。

藤永 茂

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