私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ホンジュラスの憲法(続)

2009-07-15 10:00:10 | 日記・エッセイ・コラム
 憲法の専門家でもなく、原語でホンジュラス憲法を読む力もない私には、今回のクーデター事件を合憲違憲の観点から決定的に判断することは出来ず、またそれを試みているのでもありません。私の関心の重点は、ホンジュラスという國の小ささに反して、おそらく世界史的な重要さを持つと思われる今回の事件について、アメリカの代表的マスメディアから、信頼できる情報が得られるか否か、提供される情報自体が政治的操作の一部ではないか、という点にあります。そして、これはマスメディア論の根幹にかかわる一般的問題ですから、日本のアカデミックな専門学者の方々の分析と判断を是非お聞きしたいと願っています。オーウェルの『1984年』的状況は、ソ連政府の崩壊で消滅したのではなく、アメリカ合州国政府において、ますます不気味で陰惨なものに成りつつあるのですから。
 ホンジュラスのクーデターについては、7月9日付けで、アメリカの37名のラテン・アメリカの専門学者やエキスパートが名を連ねてヒラリー・クリントン国務長官宛に送った書簡が公開されました。(主要メディアはあまり取り上げていないようです。)まず、公開書簡の全文を訳出します。
■ 国務長官クリントン様
 以下に署名した我々は、ホンジュラスにおける違法かつ反民主主義的なクーデターによって起こされた危機の解決法として、ワシントンの外交政策サークルの関係者から、早期選挙を推進する提案がなされていることを危惧しています。セラヤ大統領の緊急の復位以外の何ものもホンジュラス人民の意志を侵害することとなりましょう。セラヤの即刻無条件な復位を要求する国連総会と米州機構の決議にしたがって、アメリカ合州国はクーデター政権に対して強力な経済制裁を行うことによって、セラヤのすみやかな復位を確実にしなければなりません。
 違法なクーデター政権が一日でも長く今のままに留まれば、それだけ更に、ホンジュラスが11月に自由で公正な総選挙を享受する可能性が危うくなります。ましてや、それより早い時期など,以てのほかです。このままでは、市民の自由を奪ったクーデター政権の下で、自由選挙のための条件が存在しない状況で選挙が行われることになります。そのような選挙は国際的な合法性を持たないでしょう。合法的な選挙が行われるには、まず民主主義が回復されなければなりません。クーデター政府に如何なる譲歩も行わないことも重要です。もし譲歩すれば、反民主主義的な心情の権力亡者たちに、彼等の政治的意図を進めるために軍事的クーデターを実行するのはうまい手だと思わせるひどい前例を示すことになります。
 銃を突きつけて大統領を誘拐し、コスタ・リカ行きの飛行機に乗せて、不法に大統領府を占領して以来、クーデター政権は思想言論の自由を奪い、ホンジュラス人民を敵のように取り扱っています。彼等は報道管制を敷いて新聞の自由を奪い、ジャーナリストを襲い、拘束し、抗議行動を取り締まり、セラヤ大統領の支持者数百人を拘留し、デモ隊に発砲して少なくとも二人を殺しました。
 クーデター政権は、任期を延長しようとしたセラヤ大統領の憲法違反の動きを阻止するためにクーデターを行ったと主張しています。しかし、事実を調査すると、この主張は民主的政治機構と法の支配に攻撃を加えるためのいかがわしい言い訳であることが分かります。セラヤ大統領が提案していた世論調査は、11月の総選挙の際に、憲法の討議集会を設立するかどうか-についての国民投票を一緒にやるかどうかを問う、結果がどう出ても拘束力のない投票であったのです。その質問の実際の文面は“2009年11月の総選挙中に、新しい政治機構を承認する可能性をもつ憲法制定国民集会を持つかどうかを決める四番目の投票を行うことに、あなたは同意しますか?”となっています。
 セラヤは11月に再選のために立候補しようとはしていませんでしたし、それが可能でもありませんでした。したがって、11月にはセラヤの後継者が選出され、1月には大統領になるように、立候補者が既に予定されていました。セラヤは、6月28日以前に、彼は再選を望んでいないと言明もしていました。再選の可能性は、軍がクーデターを実行した理由ではなかったのです。彼等はセラヤの諸政策に反対であったのであり、時として、クーデターの真の理由について正直でした。クーデターの直後に、ホンジュラス軍の最高指導者ヘルベルト・バヤルド・イネストローサ大佐は“我々がうけた訓練からして、左翼政権とうまくやって行くことは困難だ。いや、不可能だ”と説明しました。
 ホンジュラスの現在の危機に対する唯一の合法的で、公正で、民主的な解決法は、セラヤ大統領を速やかに復位させ、非合法な政権に対して貿易と援助の双方で経済制裁を加えることです。我々は、この成り行きが確実にもたらされるようにアメリカ合州国が率先して行動することを求めます。
敬白
(この後、37の名前が肩書きと所属と共に、続いています。)■
37名の中には、論説などを通して、私も知っている数人の人々が含まれています。
 幾つかの理由(私の、いわゆる、勘をふくめて)から、ここに述べられていることを事実であると判断し、提案されている解決法を正しいものと、私は考えます。その一方で、ホンジュラス問題について、私が特に注意して読んできた有力紙ワシントン・ポストの信憑性は、私にとっては、限りなくゼロに近づきつつあります。
 7月13日付けのワシントン・ポストにJackson Diehl という社説副編集長の筆になる『Double Standards on Latin America』と題する社説がでていますが、上掲の公開書簡と較べると、ひどくネオコン的な内容です。これを読むと、クリントン国務長官は公開書簡の要請に従わないどころか、逆に、陰に陽にクーデター政権を支持する方向に動くだろうと思われます。オバマ大統領は、世界中にスーパー・スター並みのスマイルを振りまきながら、実際の政策としては、ブッシュに劣らない時代逆行的路線を選ぶような気がしてなりません。
  ワシントン・ポストがオバマ政権に癒着していることを示す事件が、つい数日前に明るみに出ました。それは、私が信頼を置いている論客の一人であるBill Moyers によって報じられました。ワシントン・ポストの主で、ワシントン周辺の最有力者の一人であるKatharine Weymouth が、ホワイト・ハウス、内閣閣僚、国会から、そのトップの人たちを彼女の邸宅での晩餐会に招き、今、最重要の国内問題の一つである健康保険制度の改革を、非公式、非公開で、内密に討議することにし、その晩餐会にワシントン・ポストの編集者やリポーターの上層部も同席する計画をたてました。それだけではなく、保険会社の最高責任者たちも一人当たり2万5千ドル(230万円!)の会費で、出席出来るようになっていました。幸か不幸かそうした招待状の一枚が外にもれて、この晩餐会は流れてしまいましたが、保険会社が巨利をむさぼることで数千万人にのぼる低所得層の人々が塗炭の苦しみを嘗めているのに、実質的な政策決定がこのような腐敗した雰囲気のなかで行われようとしているのは、恐ろしいことです。ワシントン・ポストも、よくぞ、ここまで堕落したものです。
 ホンジュラスのクーデター政権を梃子にして、ラテン・アメリカでの民主化の波の巻き返しをオバマ政権は試みることでしょう。セラヤ大統領を骨抜きにすることあたりまでは成功するかもしれず、ラテン・アメリカの歴史の時計をしばらくは押しとどめることになるかもしれません。しかし、未来の歴史家は、2009年の夏、アメリカ合州国は、ホンジュラスで自らの墓穴を掘ったと記録することになると、私は思います。

藤永 茂 (2009年7月15日)