私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『闇の奥』の女

2007-04-11 11:23:02 | 日記・エッセイ・コラム
 コンラッドの『闇の奥』には4人の白人女性と2人の黒人女性が出てきますが、一人として名前は付けて貰っていません。その中で、クルツのコンゴでの情人(現地妻)とベルギーの首都ブリュッセルでクルツの帰りを空しく待っていた婚約者(Intended, いつも大文字で始まる変な単語)の二人が重要人物です。
 2002年にポーランドで編集され、コロンビア大学出版から出された『CONRAD IN AFRICA:NEW ESSAYS ON “HEART OF DARKNESS”』という論文集があり、その第5部はCODA(結び)となっていて、その内容は、南アフリカのケープタウン大学のGeoffrey Harensnape という人の筆になる、一種のパロディというか、『闇の奥』をネタにした一つの戯文です。コンラッドの『闇の奥』がロンドンで出版されて間もない頃、一人のベルギー人男性が、コンゴ河上流のスタンレービルで、かつてのクルツの黒人情人と会って、クルツのこと、マーロウのこと、コンラッドのことなどに就いて、話を交わすというストーリーです。彼女の名前はサラ・モソンゴウィンド、彼女とクルツの間には息子が出来ていて、その名はルディンゴ。ベルギー人男性はたまたまコンラッドの『闇の奥』一冊を所持していて、それをサラに貸してベルギーに帰国します。小説を読んだサラはこの男性宛に彼女の読後感を綴った長い手紙を送ります。これが戯文の主な中身です。
 このコーダの内容についてはまた後で触れることにして、まずは、コンラッドの『闇の奥』でこの黒人女性サラがどのように描かれているかを見てみます。
「夕日に照らされた河の岸に沿って、野生に溢れた、華麗なまぼろしのような女が一人、右から左へと身を運んでいた。女は、縁飾りのついた縞柄の布をゆったりと身にまとい、しっかりした律動的な足取りで、誇りかに歩いていたのだ。粗野奔放な装身具がキラキラ光り、チリンチリンと鳴るのが微かに聞こえて来た。彼女は昂然と高く頭を掲げ、髪はヘルメットのような形に結い上げていた。膝まで真鍮のすね当てをして、肘まで真鍮線で出来た小手をはめ、黄褐色の頬には深紅の丸をつけ、ガラスのビーズのネックレスを何本も重ねて首に掛けている。体の回りにさげている、チャームや、呪術師からの贈り物などの奇怪な品々が、一歩ごとに揺れ動いてキラキラ輝いた。おそらく象牙何本分かの値打ちのものを身につけていたに違いない。彼女は野生に溢れて、しかも豪華、目は怒りに燃えて、しかも昂然、その落ち着き払った歩きぶりは、どことなく不吉でありながら、しかも荘厳そのものだった。そして、悲嘆にみちた辺り全体を突然すっぽりと包んだ静けさの中で、荒漠たる大自然、豊饒にして神秘的な生命の巨大な母体が、思いに沈みながら、この岸辺の女を見つめているかのように思われた。?まるで、それ自身の暗い情熱的な魂の申し子を凝視しているかのように。」(藤永訳p159)
 サラの描写はこの先も続きますが、読んで行くと、蠱惑にみちた大柄のゴージャスな女性のイメージがコンラッドの筆から立ち上がって来ます。一方、これと全く対照的なイメージが喪服をまとうクルツの婚約者には与えられます。マーロウは彼女を「水晶の絶壁のように純粋で清澄な魂」(藤永訳p185)と呼び、「美しい金髪、青白い顔面、清純な眉、その全体が蒼白な光輪に囲まれ、その中から黒み勝ちの瞳が僕を見ていた。その瞳はあどけなく誠実でしかも深遠、自らを恃みながらも信頼感に溢れていた。彼女は、まるでその悲しみを誇るかのように、あの人にふさわしい哀悼を捧げるすべを知っているのは私だけ?私だけですわ、とでも言いたげに、その悲しみに満ちた顔をもたげていた。しかし、われわれがまだ握手している間にも、見るに忍びないような悲しい寂寥の表情が彼女の顔にあらわれて来るのを見て、僕は、彼女が、「時」の慰みものにされない人間たちの中の一人であることを見て取ったのだった。彼女にとって、彼の死は、「時」を超えて、ほんの昨日のことだったのだ。」(藤永訳p194)と描写されています。もうクルツとは永久に逢えないという悲しみに打ちひしがれて、「彼女は、まるで遠ざかって行く人影を追うかのように両腕を差し出した。喪服の袖も黒々と、血の気のない指を握り合わせた両の腕を、狭い高窓の消え行く輝きを横切って差し伸べながら。永久に逢えないだって!僕には現にはっきりと彼がそこに見えていたのだ。僕は、生きている限り、この雄弁な幽霊を見ることだろうし、また、この女性も?痛ましい、どこか見覚えのあるこの「生霊」も、そうだ、これにそっくりの身振りで、効き目のないお護りでからだ中を飾って、あの地獄の河、闇黒の河面のきらめきの上に褐色のあらわな両腕を差し伸べていた、もう一人の悲しみの女も、僕は幻視し続けることだろう。」(藤永訳p200)。
 ここでマーロウは白人、黒人、二人の女性にクルツを求めて虚空に両のかいなを差し伸べる仕草を取らせます。『闇の奥』が出版された頃、このクルツの婚約者の清楚で美しい健気な貞淑さが、英国の一般読者の間で英国女性の鑑として人気を博したと、何処かで読んだことがあります。ところが、コンラッドは『闇の奥』でアフリカ黒人を人間以下のものとして扱ったと、1975年、アチェベが発言した後では、「いや、そんなことはない。クルツの黒い情人と白い婚約者の描写を較べてみよ。蒼白で血の気の薄い白人女性像にくらべて、黒人女性のほうが生命に溢れた遥かに魅力的な存在として描かれているではないか」などと言って、コンラッドの弁護に回った英文学者もいます。その気になれば、どうとでも言いくるめることが可能のようです。
 その黒人女性の描写の中で、「彼女は昂然と高く頭を掲げ、髪はヘルメットのような形に結い上げていた(She carried her head high; her hair was done in the shape of a helmet)。」とある、このヘルメットの形をした髪型というのが、訳していて、どうもピンと来なかったのですが、コンラッドのコンゴ--つまりレオポルドのコンゴ--をより良く知るために訪れた、ブリュッセル郊外のテルビューレンにある王立中央アフリカ博物館で、一枚の写真に出会って、納得することが出来ました。(この博物館については藤永訳『闇の奥』の279頁にも書きました。)館内の展示室の一つに、コンゴの黒人たちが昔作っていたと思われる編んだ籠や楽器などの民芸品的なものが展示されていて、その古い写真の一枚の中に、のびのびとした大柄の肢体を持つ美形の黒人女性の姿がありました。その髪型は、その昔、日本で二百三高地などとも呼ばれた庇(ひさし)髪に似ていて、マーロウが「ヘルメットの形」と言ったのはこれだな、と合点がゆきました。コンラッドも、おそらく、こうした豊かな髪型の黒人女性をコンゴで見かけたものと思われます。
 ところで、コンラッド自身の好みの女性のタイプはどんなものだったのでしょうか?私は今まで気を入れてこの点についての文献を漁ったことがなく、コンラッドの作品も僅かしか読んでいませんから、その解答の見当はつきませんが、ひどく青ざめたなよなよ美人よりも、生き生きとした豊かな体格の女性に心を惹かれたのではなかったかと推測します。まさにそうしたタイプの女性が彼の『フォーク(Falk)』という作品に出て来ますが、それについては次回にお話しすることにして、今は冒頭に紹介した戯文に戻ります。
 この作品の中で、作者は、クルツの現地妻であった黒人女性サラが自分の言語であるキコンゴ語の他にフランス語は何とか理解し喋れたこと、クルツはそのサラに、フランス語を手掛かりにして、英語も少し手ほどきしたこと、そのお蔭で、サラは英/仏辞典を片手に大いに苦労しながらも、『闇の奥』を通読できたことにしています。そうしないとこの戯作の話が成立たないわけですが、ここの所は、私がこのブログを始めた頃に、諸先生の向こうを張って、盲人蛇に怖じずで、主張したことにつながります。つまり、この戯文の作者も、私と同じ立場を取って、『闇の奥』に出てくる黒人たちが一応理解し、使用していたのは、ブロークン・イングリッシュではなくて、ブロークン・フレンチであったとしています。また、ベルギーの交易会社に雇われた白人たちの使用語もフランス語であったという立場です。したがって、クルツの「The horror! the horror!」という叫びも、黒人ボーイの「Mistah Kurtz ? he dead」も、人食い黒人が口にした「Catch 'im. Give 'im to us」もすべて片言のフランス語で発せられたと考えるのが自然だということになります。詳しくは初期のブログ「エリオットもアチェベも勘違いした(1)」と「エリオットもアチェベも勘違いした(2)」を参照して下さい。お断りするまでもありませんが、エリオットやアチェベの足を引っ張ってやったと愚かな自慢をしているのではありません。文学作品の over-interpretation ということに少しばかり異議を唱えたかっただけです。

藤永 茂 (2007年4月11日)