私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

黒人ボーイの片言、再び

2006-07-12 08:54:40 | 日記・エッセイ・コラム
 前に『闇の奥』の中央出張所の支配人のペットの黒人ボーイが食堂の入り口で言った「Mistah Kurtz ? he dead」が片言のフランス語だったに違いないと書いた事があります。小説の中でのことですから、コンラッドに聞いてみない限り、決着はつきません。しかし、積極的に、これが片言の英語で語られたという事に特別の意味を読むとなれば、これは問題です。
 英語のことでコンラッドの相談役をつとめた友人フォードの書き残した文章を二つ引用します。始めの文章はコンラッドが彼の文学者仲間の一人W. E. ヘンリーに言ったことです。
“Look here. I write with such difficulty; my intimate, automatic, less expressed thoughts are in Polish; when I express myself with care I do it in French. When I write I think in French and then translate the words of my thoughts into English. This is an impossible process for one desiring to make a living by writing in the English language ……”
これを聞いたヘンリーは、フォードと一緒に仕事をすることをコンラッドに勧めたというのです。
 次は、コンラッドの力作『ノストロモ』の筆が巧く進まず、コンラッドとフォードが二人で手を焼いていた時に、コンラッドが言った苦しまぎれの言葉です。
“No, it’s no use. I’m going to France. I tell you I am going to set up as a French writer. French is a language; it is not a collection of grunted sounds.”
コンラッドは本気でなかったので、ベケットの先輩は生まれなかったというわけです。何はともあれ、『闇の奥』の中で英語が話された場合には何時もはっきりそう断ってあるのはたしかです。

藤永 茂 (2006年7月12日)