「普通に」という修飾語(?)が、
再び気になっていた。
昔の日記に、
チラッと書いていた時以上に。
読み直して、「まだまだ、わかってなかったな」と
痛感する。
いや、今でもわかってないんだけれど。
でも、あの時より、
その言葉への旅は進んだので、
記しておきます。
★
きっかけは、大分前に見た、TVの「あいのり」だった。
砂漠で、あるカップルが迷子になってた。
で、他のメンバーは、
下手に動くと、それもまた迷子になる可能性があるため、
車のところから、動かずにいたんだけれど。
日が暮れていく。帰ってこないふたり。
事態が深刻化する中、あるメンバーが言った。
「フツーに、暮れていってるんだけど~」
★
「暮れていくのに、普通もへったくれもあるかい!!」
と、夫に思わず訴えたけど、相手にされず。
それ以来、ふと、耳にすると、
「『フツーに』という日本語を、また違う日本語に翻訳すると、
なんて言葉になるんだろう……」と
なんとなく考えるクセがついていた。
で、またある時、
確か「いいとも(フジTVばっかだ……)」を
見ていた時だったと思うけど、
問題があって、人々が回答を書いているのを見て、
急に、限りなく腑に落ちる翻訳が出来た。
「フツーに」≠「嘘じゃなく」だ!
★
「いいとも」のコーナーを見ていると、
「そういえば、こういう回答って、
真面目に答えているようで、
実は間違った答えを
わざとウケ狙いで書いている場合があるよな。
昔はそれでも、純粋にアホな振りして、
そんなことバラさずに書いていたのに、
最近は、
時間のこと、話の流れなどを、
自分の中で計算しきれなくって、
自分で察して動けなくなって、
『フツーに正解書いていいですか?』
とか言って、
同意を求めてから、解答を書く、
若手芸人が
目に付くようになったよな。
また、そこを茶化して、
『空気読めよ』っていう言葉も、
よく耳にするようになったよな……」
と言葉にすると長いが(まだ続くけど、もうやめる)
こういう感じのアドレナリン(?)が、
ぐるぐるぐるっと、脳内を駆け巡って、
ピンときたのだ。
★
「フツーに」≠「嘘じゃなく」
「フツーに」という修飾語(?)は、
まっ平なものをイメージさせる。
「嘘じゃなく」という言葉は、
強調的な印象になる。
「フツーに」よりもとんがる。
「その部分だけは『嘘じゃなく』」。
この言葉のメタファーをあぶりだすと、
「その部分以外は『嘘』……」
という基本形が浮んでくる。
(※「……」は、状況によって、
嘘「かもしれない」とか、
嘘「であってほしい」とか、
嘘「です」とか、
語尾変化(?)を伴うので、一概には言えない。
強調されていない部分は、多様で曖昧です)
そういう
「嘘」というカドの立つ言葉を
連想させないために、
まっ平になる
「フツーに」という言葉を、
使うようになったんじゃないか。
それ以外は「嘘」……。
結構、驚異的。
自分にも、周囲にも。
だが、本当はみんなどこかでわかっている。
よくも悪くも、
ある種の虚構の中で、生きているんだと。
その虚構とは、
ある時は、思いやりに満ちた、
優しい世界であり、
またある時は、
「こいつらなんやねん」と思いながらも、
へらへらしている世界である。
一概に、虚構を悪くは言えない。
その良くも悪くも、
緻密に作り上げられた世界を
「嘘」という言葉を想起させて、
風穴を開けないために、
代用で、用いられ始めた、
「フツーに」。
★
昔の日記の時の用い方は、
感情を強調する表現方法としてだった。
「フツーに」嬉しい。「フツーに」悔しい。
それは、そんなに引っかからなかった。
「嘘じゃなく」嬉しい。「嘘じゃなく」悔しい。
オリンピックなどのインタビューだったので、
「インタビューしてきた人達の思惑に合わせた、
社交辞令の言葉ではないんですよ」というメタファー
を読み取ったからかもしれないけれど。
が、
「フツーに、暮れていってるんだけど~」
で、私が何故引っかかったのかというと、
それは、自分の感情表現じゃなくて、
「当たり前じゃん」のレベルまでも、
「嘘じゃなく」なんて言うなよ、っていう感情が
湧いたからなんじゃないかと思う。
もちろん、
「日が暮れてしまうと、あいつらが帰ってこれねーじゃん。
嘘でもいいから、暮れないでくれよ」
という願いは考慮しますけど。
あらゆる状況・場面で、
「フツーに」が多用されるほど、
「あなたの世界は、そんなに『嘘』の世界なの?
しかも、本当のものは『フツーに』という控えめな強調しか
出来ないほど、自分を抑えるしかない世界なの?
どこかで、ちゃんと、『王様の耳はロバの耳ー!』って言ってる?
どうしても許せない場面では『あれって、裸の王様じゃん!』って、
思い切って勇気を出して、言ってみたりすることないの?
ねえ、大丈夫?」
って、思わず心配になる(誰にやねん……)。
演じながら生きることを、否定はしないけど、
何が本当かわからなくなるほど、
本当のことを認められなくなるほど、
外に合わせすぎるの、よくないよ。
ウケると、気持ちいいのは、わかるけど、
それだけを基準にするの、よくないよ。
って、不安げに言いたくなる(だから誰に?)。
う~ん。見事に横道逸れた(笑)
★
そして、また頭に浮んだ言葉がある。
「リアルに」
「現実的に」ほど、
厳しくない、口当たりのいいニュアンス。
私もよく使うけど。
「フツーに」と類似しているけど、
やっぱり違う言葉だから、
微妙に違う思いを掬い上げているはず。
今日は考えないけれど。
言葉の向こうには、
複雑な思いや、心理が渦巻いている。
複雑な思いを集約して、表面化してくれる
言葉のありがたさ。
旅はつづくよ。
再び気になっていた。
昔の日記に、
チラッと書いていた時以上に。
読み直して、「まだまだ、わかってなかったな」と
痛感する。
いや、今でもわかってないんだけれど。
でも、あの時より、
その言葉への旅は進んだので、
記しておきます。
★
きっかけは、大分前に見た、TVの「あいのり」だった。
砂漠で、あるカップルが迷子になってた。
で、他のメンバーは、
下手に動くと、それもまた迷子になる可能性があるため、
車のところから、動かずにいたんだけれど。
日が暮れていく。帰ってこないふたり。
事態が深刻化する中、あるメンバーが言った。
「フツーに、暮れていってるんだけど~」
★
「暮れていくのに、普通もへったくれもあるかい!!」
と、夫に思わず訴えたけど、相手にされず。
それ以来、ふと、耳にすると、
「『フツーに』という日本語を、また違う日本語に翻訳すると、
なんて言葉になるんだろう……」と
なんとなく考えるクセがついていた。
で、またある時、
確か「いいとも(フジTVばっかだ……)」を
見ていた時だったと思うけど、
問題があって、人々が回答を書いているのを見て、
急に、限りなく腑に落ちる翻訳が出来た。
「フツーに」≠「嘘じゃなく」だ!
★
「いいとも」のコーナーを見ていると、
「そういえば、こういう回答って、
真面目に答えているようで、
実は間違った答えを
わざとウケ狙いで書いている場合があるよな。
昔はそれでも、純粋にアホな振りして、
そんなことバラさずに書いていたのに、
最近は、
時間のこと、話の流れなどを、
自分の中で計算しきれなくって、
自分で察して動けなくなって、
『フツーに正解書いていいですか?』
とか言って、
同意を求めてから、解答を書く、
若手芸人が
目に付くようになったよな。
また、そこを茶化して、
『空気読めよ』っていう言葉も、
よく耳にするようになったよな……」
と言葉にすると長いが(まだ続くけど、もうやめる)
こういう感じのアドレナリン(?)が、
ぐるぐるぐるっと、脳内を駆け巡って、
ピンときたのだ。
★
「フツーに」≠「嘘じゃなく」
「フツーに」という修飾語(?)は、
まっ平なものをイメージさせる。
「嘘じゃなく」という言葉は、
強調的な印象になる。
「フツーに」よりもとんがる。
「その部分だけは『嘘じゃなく』」。
この言葉のメタファーをあぶりだすと、
「その部分以外は『嘘』……」
という基本形が浮んでくる。
(※「……」は、状況によって、
嘘「かもしれない」とか、
嘘「であってほしい」とか、
嘘「です」とか、
語尾変化(?)を伴うので、一概には言えない。
強調されていない部分は、多様で曖昧です)
そういう
「嘘」というカドの立つ言葉を
連想させないために、
まっ平になる
「フツーに」という言葉を、
使うようになったんじゃないか。
それ以外は「嘘」……。
結構、驚異的。
自分にも、周囲にも。
だが、本当はみんなどこかでわかっている。
よくも悪くも、
ある種の虚構の中で、生きているんだと。
その虚構とは、
ある時は、思いやりに満ちた、
優しい世界であり、
またある時は、
「こいつらなんやねん」と思いながらも、
へらへらしている世界である。
一概に、虚構を悪くは言えない。
その良くも悪くも、
緻密に作り上げられた世界を
「嘘」という言葉を想起させて、
風穴を開けないために、
代用で、用いられ始めた、
「フツーに」。
★
昔の日記の時の用い方は、
感情を強調する表現方法としてだった。
「フツーに」嬉しい。「フツーに」悔しい。
それは、そんなに引っかからなかった。
「嘘じゃなく」嬉しい。「嘘じゃなく」悔しい。
オリンピックなどのインタビューだったので、
「インタビューしてきた人達の思惑に合わせた、
社交辞令の言葉ではないんですよ」というメタファー
を読み取ったからかもしれないけれど。
が、
「フツーに、暮れていってるんだけど~」
で、私が何故引っかかったのかというと、
それは、自分の感情表現じゃなくて、
「当たり前じゃん」のレベルまでも、
「嘘じゃなく」なんて言うなよ、っていう感情が
湧いたからなんじゃないかと思う。
もちろん、
「日が暮れてしまうと、あいつらが帰ってこれねーじゃん。
嘘でもいいから、暮れないでくれよ」
という願いは考慮しますけど。
あらゆる状況・場面で、
「フツーに」が多用されるほど、
「あなたの世界は、そんなに『嘘』の世界なの?
しかも、本当のものは『フツーに』という控えめな強調しか
出来ないほど、自分を抑えるしかない世界なの?
どこかで、ちゃんと、『王様の耳はロバの耳ー!』って言ってる?
どうしても許せない場面では『あれって、裸の王様じゃん!』って、
思い切って勇気を出して、言ってみたりすることないの?
ねえ、大丈夫?」
って、思わず心配になる(誰にやねん……)。
演じながら生きることを、否定はしないけど、
何が本当かわからなくなるほど、
本当のことを認められなくなるほど、
外に合わせすぎるの、よくないよ。
ウケると、気持ちいいのは、わかるけど、
それだけを基準にするの、よくないよ。
って、不安げに言いたくなる(だから誰に?)。
う~ん。見事に横道逸れた(笑)
★
そして、また頭に浮んだ言葉がある。
「リアルに」
「現実的に」ほど、
厳しくない、口当たりのいいニュアンス。
私もよく使うけど。
「フツーに」と類似しているけど、
やっぱり違う言葉だから、
微妙に違う思いを掬い上げているはず。
今日は考えないけれど。
言葉の向こうには、
複雑な思いや、心理が渦巻いている。
複雑な思いを集約して、表面化してくれる
言葉のありがたさ。
旅はつづくよ。