芦屋歌会でした。……でもその前に。
WBC、勝ててよかったですね。
歌会の人たちとも気にしあってて、
二次会の居酒屋さんのところで、
試合結果を知らない従業員の人に、
「誰か、知ってる人いないか、聞いて、結果教えて!」
と三好茂弘さんがわがままを言ってくれたおかげで(ありがたや!)
知りえました(笑)
私は、とりたてて野球が好きというわけではありませんが、
とても嬉しかったです。
でも、韓国もよかった。
韓国の人たちには、全勝し続けたんだから、
矛盾もあるとは思うんだけど、
これは、
アテネオリンピックで
かなり似たことを、
日本も味わったことだし。
今回は許してね、という気持ち。
日本の選手も韓国の選手も、
無性に讃えたい気持ちになった。
どちらの選手も拍手です。
(もちろん、勝てなければこういう気持ちになれなかったと思うんだけどね)
キューバ戦も頑張ってください。
……はい。というわけで、歌会の歌の話をはじめます。
★
稲田の歌、お披露目。
お米を研ぐ
枯山水を
作っては
心静かに
見つめてく
お米を研ぐと、無心になりません?
簡単に言うと、そんな無心な感じが出ればいいな、
ぐらいな感じだったのですが、う~ん。
「枯山水」というと、
京都の竜安寺の庭園を
思い出してもらわないと、
まず難しいかもしれません。
しかし、私が目に浮かべていたのは、
竹ほうきか何かで作った、
玉砂利の風紋のような模様。
それが、「お米を研ぐ」ことの、
ビジュアルにつながったわけだけど、
「枯山水」というのは、
庭園全体の総称だから、
玉砂利だけではなく、
そこに置かれた、石だとか、
庭全体を思い浮かべられると、
ちょっとズレちゃうかなぁ……という感じ。
でも、それよりも、
「あぁ、そうだな」と納得したのは、
お米を研ぐ時より、
洗い物をする時のほうが、
この境地になると、歌会の人々が言ったこと。
お米を研ぐ時は、
慌しいから、
「あれしなきゃ、これしなきゃ」と
思っているので、
こういう気持ちにはなれないとのこと。
あぁ、そうかぁ~と、思っちゃいました。
多分、今ののんきな生活じゃなければ、
もしかしたら、私も、
洗い物で、そういう境地になっちゃうかもな。
と、自分で思ったことなのに、
何故か、人の言ってることのほうに
納得していました(笑)
★
それにしても、最近、いけません。
歌と自分に距離感があります。
ピタッとこない。
だから読み手につーぅっと伝わっていかない。
頭で考えているわけじゃないんですけどね。
モチーフははっと自然に浮ぶんだけど、
ただの入れ物という感じ。
そのモチーフを媒体に、
何を伝えたいのかが、自分でつかめていない。
嬉しい。楽しい。やさしい。きもちいい。
かなしい。せつない。バカヤロー。
そのがっちりとした、
単純でまっすぐな太い気持ちが、
言葉より先に飛び出してくれない。
私はどちらかというと、
比喩表現を多用するほうだけれど、
比喩ばかりが浮ぶだけで、
それを書いたところで、
「だから何?」と自分に冷めてしまう。
これは、
ものすごく伝えたいことが、
ありすぎるか、
全くないのかの
どっちかだということだ。
また、
できれば、もう少し寝かせるべき
歌の種なのに、
その判断を見誤って、
見切り発車して、歌にして、
人に見せているようなところがある。
この判断力低下が、とにかくいけない。
ある意味、読み手に対して失礼なような気がする。
そういえば、去年も、
この冬から春の時期って、
昔のお披露目していない歌ばかりを
(私は密かに『大部屋五行歌』とその歌たちを読んでいる)、
人に見せて、
乗り切っていたような気がする。
でも、去年はまだ、
新鮮な歌はなくても、
歌の判断能力はあったんだよなぁ~。
おそらく、解決策は、
時間の経過というか、季節の変化、
環境の変化しか方法はなく、
そういう波だと思うしかない。
自分が歌について考えすぎて、
バタバタしたって
どうにもならないことだけは確か。
う~ん……。この感じ。
早く終わってほしいなぁ~。
WBC、勝ててよかったですね。
歌会の人たちとも気にしあってて、
二次会の居酒屋さんのところで、
試合結果を知らない従業員の人に、
「誰か、知ってる人いないか、聞いて、結果教えて!」
と三好茂弘さんがわがままを言ってくれたおかげで(ありがたや!)
知りえました(笑)
私は、とりたてて野球が好きというわけではありませんが、
とても嬉しかったです。
でも、韓国もよかった。
韓国の人たちには、全勝し続けたんだから、
矛盾もあるとは思うんだけど、
これは、
アテネオリンピックで
かなり似たことを、
日本も味わったことだし。
今回は許してね、という気持ち。
日本の選手も韓国の選手も、
無性に讃えたい気持ちになった。
どちらの選手も拍手です。
(もちろん、勝てなければこういう気持ちになれなかったと思うんだけどね)
キューバ戦も頑張ってください。
……はい。というわけで、歌会の歌の話をはじめます。
★
稲田の歌、お披露目。
お米を研ぐ
枯山水を
作っては
心静かに
見つめてく
お米を研ぐと、無心になりません?
簡単に言うと、そんな無心な感じが出ればいいな、
ぐらいな感じだったのですが、う~ん。
「枯山水」というと、
京都の竜安寺の庭園を
思い出してもらわないと、
まず難しいかもしれません。
しかし、私が目に浮かべていたのは、
竹ほうきか何かで作った、
玉砂利の風紋のような模様。
それが、「お米を研ぐ」ことの、
ビジュアルにつながったわけだけど、
「枯山水」というのは、
庭園全体の総称だから、
玉砂利だけではなく、
そこに置かれた、石だとか、
庭全体を思い浮かべられると、
ちょっとズレちゃうかなぁ……という感じ。
でも、それよりも、
「あぁ、そうだな」と納得したのは、
お米を研ぐ時より、
洗い物をする時のほうが、
この境地になると、歌会の人々が言ったこと。
お米を研ぐ時は、
慌しいから、
「あれしなきゃ、これしなきゃ」と
思っているので、
こういう気持ちにはなれないとのこと。
あぁ、そうかぁ~と、思っちゃいました。
多分、今ののんきな生活じゃなければ、
もしかしたら、私も、
洗い物で、そういう境地になっちゃうかもな。
と、自分で思ったことなのに、
何故か、人の言ってることのほうに
納得していました(笑)
★
それにしても、最近、いけません。
歌と自分に距離感があります。
ピタッとこない。
だから読み手につーぅっと伝わっていかない。
頭で考えているわけじゃないんですけどね。
モチーフははっと自然に浮ぶんだけど、
ただの入れ物という感じ。
そのモチーフを媒体に、
何を伝えたいのかが、自分でつかめていない。
嬉しい。楽しい。やさしい。きもちいい。
かなしい。せつない。バカヤロー。
そのがっちりとした、
単純でまっすぐな太い気持ちが、
言葉より先に飛び出してくれない。
私はどちらかというと、
比喩表現を多用するほうだけれど、
比喩ばかりが浮ぶだけで、
それを書いたところで、
「だから何?」と自分に冷めてしまう。
これは、
ものすごく伝えたいことが、
ありすぎるか、
全くないのかの
どっちかだということだ。
また、
できれば、もう少し寝かせるべき
歌の種なのに、
その判断を見誤って、
見切り発車して、歌にして、
人に見せているようなところがある。
この判断力低下が、とにかくいけない。
ある意味、読み手に対して失礼なような気がする。
そういえば、去年も、
この冬から春の時期って、
昔のお披露目していない歌ばかりを
(私は密かに『大部屋五行歌』とその歌たちを読んでいる)、
人に見せて、
乗り切っていたような気がする。
でも、去年はまだ、
新鮮な歌はなくても、
歌の判断能力はあったんだよなぁ~。
おそらく、解決策は、
時間の経過というか、季節の変化、
環境の変化しか方法はなく、
そういう波だと思うしかない。
自分が歌について考えすぎて、
バタバタしたって
どうにもならないことだけは確か。
う~ん……。この感じ。
早く終わってほしいなぁ~。
アップされたお時間見てると、五時前じゃないですか
これに懲りずに、またお暇な時にでも、
書いてくださいまし。
とりあえず、寝不足は美容の敵。
ゆっくりお休みくださいまし
無心と心静かにがぐるぐるまわってる感じです、歌会以来。洗い物をしている時は無心。歌会ではそう思ったりもしたけれど、無心になるのは料理をしている時かも。洗い物をしている時には考え事をしていることが多いと思う、私の場合は。水を流すと、思う・考えるにスイッチが入るように思います。お風呂掃除もそうだし、お洗濯も。洗濯機がしてくれるんだけど(笑)水が溜まるのを見ていたり、洗濯物が水の中でもまれるのをしばし見ていたり。思ったり考えたりしていることが、水を介在させることによって浄化作用を促し最終的に心を落ち着かせてくれると思うのです。そのせいか我が家の水道代は高いです。ごめんなさぁ~い。
稲ちゃんの歌については四・五行目から入っていったの。心静かに(心を)見つめていくというのは、私のなかでは、お米を研いで、白濁した水が澄んでいくのを目にした時のイメージだったのね。だからどんなに
少量でも水が必要不可欠!!なのに枯山水・・・!?
ああ、頭の中で空中分解~~。で、意識的に状況をつくりだしているのかなみたいな発言になったと思う。
言葉ってほんとうに難しいねぇ。
と、まあ、こんなふうだったと思います。
深いうなづきがあります。
この前、姫路に行ったときも思いましたが、
せせらぎの音とか、
ちょっと意識をトリップさせますよね。
水って。
私のこの歌の場合は、
自分で歌っていながら、
「本当にそう思ってる?」って疑いが、
最後の最後に自分にあって、
ちょっと歌にするには無理があったと思う。
歌に向かって、
自分を無理にあわせていったような感じがあって、
濁りました。
そこが、一番いけない。
意識的に状況を作り出した感ありです。
「雲が削られて雪になっている」と思って、
作りかけた歌も、同じ感じで、
どっちを出そうかなぁと迷ったのですが、
まぁ、須賀さんとかぶらなくてすんだので、
そういう意味では、こっちを出してよかったとは、
思っているのですが(笑)
(この言ってる意味がわからない人、ごめんなさいね)
書き起こしご苦労様でした。