日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

外国語について①

2008年01月30日 | 言葉や思いをめぐらす日々
また戻って、
関西新年合同歌会のお話。

遅刻せずに行けたおかげで、
三年ぶりに、
草壁主宰の講演を最初から最後まで聞けた(笑)

印象に残ったのは、
「英語で表現しようと思ったら、比喩を使うしかなくなる」
みたいなお話。

不意に、
中3で、関係代名詞について、
勉強したときのことを思い出した。

……ってね、
「関係代名詞ってなんだったけ?」
って思った人は、自分で調べてね。

私に説明は求めないでね(笑)

     ★

後にも先にも、
学校の授業より先に、
英語で勉強したのは、
関係代名詞の項目だけだったと思う。

確か、「進○ゼミ」なる通信モノを、
流行りモノを追うように、
始めた時の、
最初の最初に触れたものだったから。

まぁ、すぐに、やる気は、どんどん下降線を、
辿っていったのだが(笑)、

幸いなのか、なんなのか、
まだやる気がフレッシュだった頃、
この関係代名詞と巡り合ったのだ。

学校で習ったことの復習ではなく、
自分でゼロから、本を読んで、
手探り状態で、
「なんや、この、whichとかwhatとか」と、
接していった。

その時、
言葉にして、
明確に思ったわけではないけれど、
初めて、
『文章』というものの枠について、
うっすらと何かを思った記憶(っていうか痕跡)がある。

うーん……。文章の成り立ちについて、初めて意識をしたというか。

     ★

私は、
会話にしても、
五行歌を書くにしても、
比喩表現を使いたがる体質だと思う。

ただね、詩歌の場合って、
隠喩(例えば「君は薔薇だ!!)のほうが、かっこいいと思うんだけど、
他の人と比べたら、
直喩(例えば「君は薔薇のようやねぇ~」)にするのが、
結構多いような気がする。

それって、もしかしたら、
あの頃、関係代名詞の勉強をしていて、
「へぇ~、英語の文章って、こんな風になっているんだ」と、
ちょっと一歩引いた感じで、
関心を持った感動が、
かつ、やる気を持って、勉強したのが、
自分の文章形成の要素のひとつに、
なったのかもなぁと、
話を聞きながら、思ったりしたのだ。

     ★

思うのだけど、
隠喩より、直喩を使うと、
抽象的な歌になりにくい気がする。

「~のように」を用いると、
ちょっと高次へ気持ちが遊離したとしても、
着地地点は、
現実的な事象になりがちな気がする。

だから私の歌は、
地に足のついた歌が多いのかも。

抽象的なものに多い「飛躍な感じ」はない気がする。しても低空。

比喩を使っても、
日常そのものか、
平面的な日常に、奥行きをつけるか、
陰影をつけるか、
そういう歌の作りになっている気がする。

「飛ぶ」感じは乏しい。

関係代名詞に力を入れて、
勉強した経験だけが、
すべての要素を形成しているとまでは言えないが、
要素のひとつとして、考えられるような気がする。

英語を(真面目に必死で)翻訳したことが、
自分の日本語での思い方に、
少なからず影響を及ぼしているんじゃないか、と、
主宰の話からはなれて、自分の文章ルーツに思いを馳せていた。

     ★

私はあまり、
外国語で、人と会話が出来たらなぁ~と、
思ったりしていない。

それは単純に、
必要性に駆られない環境にいるから。

ただですら、
誰とも幅広く社交的に会話するなんて、好きじゃないのに、
そこまで人と会話する為のアイテムなんて、
本当に必要がなくって。

これからもそうかと聞かれると、
それはわからないけど。

男女を問わず、
よほどシンパシーのあう外国の人と巡り合えば、
ナントカしようと努力し、
「あ~!じれったい!!」と、
それまでの英語力のなさを、
後悔する日が来るかもしれないけれど(来て欲しくないけど・笑)。

ただ、
外国語の文章を、
書き言葉を、
翻訳できるぐらいの、
理解力があればなぁと思ったりすることはある。

それは、外国に興味があるからでなく、
むしろ日本語に興味があるためだ。

日本語というものの成り立ちを、
今よりももっと深く、意識できるのになぁという
気持ちからだ。

……というところで、お時間となりました。

つづく。

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