日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

芦屋プレプレ歌会③

2005年05月17日 | 五行歌な日々
自分の提出歌もお披露目しておきます。

     変わらずにいたいなら
     変わっていくものに連動すればいい
     変わりたければ
     むしろ立ち止まって
     すべてを眺めてみればいい

横に書くと長い歌は、
本当に歌って感じがしないなぁ~。

(きっとケータイだと、改行がむちゃくちゃなんだろうなぁ・笑)

     ★

ちょっと日が経っていて、
この歌がどういった背景で歌ったのかは、
思い出せない。

ただ、昔から、
変わらずにいるということは、
止まっている状態ではなくて、
むしろ、
常に動いているものに、
同じペースで、
動いているから、静止しているように見えるだけだ、
という考え方を持っていて。

逆に、変わらなければ、と思うのなら、
むしろ一旦立ち止まらないと、
どう動けばいいのかわからないよな、とも考えていた。

くっつけて歌にして、
置いていたんだ、と
ノートの中で「種」を見つけたとき、
逆にそう思った。

歌を出すとき、
「なんだか、シンプルさの欠けた禅問答みたい」
と思って出したのだが、

やはり歌会でも、「これは哲学ですな」と
仰られた方もいたし、

二次会でも、
「お茶の世界を思い出したのね」と仰る方もいらっしゃって、
ちかいちかい!!と思ったりした。
(※伝統的・歴史的な側面をイメージしてね)

ありがとうございます。うれしいです。

     ★

そうそう、二次会といえば、
奈良のM沢さんがしてくださった、
四行目の「むしろ」と「すべてを」を
取る事はできなかった?
というのは、
あぁ、歌を読んでくださっているんだなぁと
実感できる質問だった。

おそらく、歌の長さのバランスで、
後ろを短くすると、
なめらかさにかけると思ったんだと思います、
と、答えた。

多分間違えてないし、
実際、それが一番の理由だと思う。

だけど、おそらく、
「立ち止まること」「眺めること」を
読み手に対して、というよりも、
自分に言い聞かせるような気持ちが、
根底に作用したんだろうな、と
繰り返して読んでいるうちに、
思った。


わかっていても、
「立ち止まること」「眺めること」は、
そう簡単には、できない。
とても力技な事だ。

「むしろ」と「すべてを」には、
自分に対する応援の気持ちが混じっているのかもしれない。

「特に後ろの二行が好きだ」と
仰ってくださった方もいたので、
その応援の気持ちが響いたのかも。

でも、
一回読むだけでは、意味が頭に入ってこないと
仰る方もいらしたし、
読めば読むほど、ケムにまかれるような気持ちになると、
誰でもない私が思ったりして(笑)

この歌を読まれる方は、
二回以上繰り返し読んで、意味が入ってきたところで、
即、読むのをやめられることを、おすすめします(笑)

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