日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

『これで古典がよくわかる』(橋本治 ちくま文庫)

2006年01月30日 | 五行歌以外の文学な日々
時々、「この人って、なんで余計な一言を書くんだろう……くどい」と思いつつも、面白かったです。

人によっては、この余計な一言が、
切っ先をやらわらげ、
親しみや安心感・安堵感を与えるのでしょう。

きっと人の好みなので、
私の言ってることは、まぁ気にしないで。

     ★

すごく根本的なところから、
古典をわかりやすく説明しています。

どういうところから、
「カタカナ」は生まれ
(漢文の読み下しの記号からなんですね)
「ひらがな」が生まれたのか
(「和歌」や「物語」を書くために生まれたんですね)
それぞれ違う目的で生まれたっていうところとかを、
受験生が興味を持てるように(笑)、
わかりやすく説明しています。
(もち、最初の最初は万葉仮名のことから書いてます)

だから、
「漢文+カタカナ」の書き方で、
男性が書き始め、
「インテリは『漢文+カタカナ』で書くもの」
という流れが出来上がり、
ひらがなを差別していたとか、

「漢字+ひらがな」(和漢混混文)は、
鎌倉時代(兼好法師の『徒然草』以降)
にならないと出てこないだとか。

だから、『源氏物語』や『枕草子』がわからなくったって
当たり前なんだとか(笑)、

言われて見れば、
「そうだわ」ということが、
とても丁寧に親しみやすい文章で書かれています。

     ★

あと、和歌のお話の箇所では、
正岡子規同様(いや、正岡子規の影響か)、
源実朝が特筆されていました。

実朝って、なんだか、苛酷な環境化の尾崎豊って感じ……(ちょっと違うか……)

確かに、わかりやすい歌を書いているし
(有名な歌しかまだ読んでませんが……)、
本歌取り花盛りの時代の中で、
唯一「想い」をちゃんと書いている人らしいし。
(っていうか環境上それしか気持ちのやり場がないっていうか……)

またぐっと近い存在になりました。実朝。

     ★

こういう風に、
たとえ古典でも、
本を読んで、ダブって登場する人物って、
興味をそそられる。

知識が塗り重ねられて、興味深くなっていく。

「古典」と思うと、
難しそうで敬遠したくなるんだけれど、
「昔の人物」と思うと、知りたくなってくるし、
古典が好きだ、という人の、
「好きになってほしい光線」を発しながらの文章から入ると、
内容がつかみやすい。

「古典の原文を読む」という観点からいくと、
遠回りだし、
変な偏りをつける怖さもあるけれど、
原文を読んで、
きょとんとするよりは、
足がかりが出来ていい気がしてきた。

偏りは、
同じキーワード(例えば「実朝」とか)を元に、
いろんな人の文章に触れることで、
ある程度緩和される気がする。

そして、満を持して、原文を読む。

本当に古典は、読書量が勝負かもしれない。

     ★

橋本治氏の本にもどります。

橋本氏はまた、
「漢字+カタカナ」「漢字+ひらがな」は
前者は書き言葉、後者は話し言葉のルーツになっている、
ということにも触れています。

「自分達は、公式文書を漢文で書く。
でも自分達は、
ひらがなで書いたような日本語をしゃべる」
という矛盾が、
「漢文」をどんどん「漢字+ひらがな」にして、
「今の日本語」を作っていった。

つまり「おしゃべり(話し言葉)」を取り込んで、
自分達の文章を作ってきたということです。

で、ある時点から、
「書き言葉の文章」が、どこかで壁にぶつかった。
それで「活字離れ」が始まった。

この壁にぶつかった「書き言葉の文章」を
もう一度再生するためには、
「硬直化した書き言葉の中に、
生きている話し言葉をぶちこむ」しかないと、
橋本氏は言います。

この本の出版は、97年。約9年前です。
メールが(特にケータイのメール)が、
爆発的に広がる前の文章です。

ケータイのメールの言葉なんて、
基本的に、
あまりかしこまっていませんよね。

「おはよう!起きた?」
「おきたおきた」なんて話し言葉を、
メールを使って書き言葉にして、
会話したことなんてありませんか?

こういうのなんて、まさに、
『生きている話し言葉をぶちこむ』の
実現なんじゃないのかしら、と思うのです。

結果、ケータイ小説など、
今まででは考えられない媒体から、
小説は息を吹き返してきている。

そして、ひいき目もありますが、
「五行歌」が
抵抗なく受け入れられやすい、
時代は整いつつあるとも、
いえる気がします。

橋本氏の言った言葉をもじれば、
硬直化した詩歌の世界に、
生きている話し言葉をぶち込んだ定型ですからね。

実朝のように、
硬直化した環境化に生きている人に、
ひとつの表現方法として、
届いたらいいのになぁと思ってしまう。

受験生の頃、読んでたら、
古典も毛嫌いせずに済んだかも……と思ったり、

いやいや、大学に受かるためにって考え方がある限り、
この教養的な本を読む余裕はないよ、
と思い直したりする本でした。

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2 コメント

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実朝ファン (素音)
2006-01-31 20:08:37
無条件に実朝がすきなので、コメントさせていただきます。



いなだのつぼねツアーのとこでも触れましたが

鎌倉に行きたい理由のひとつ、しかも大きなわけは、実朝です。



6歳の頃見た大河ドラマ「草燃える」は鎌倉幕府源氏3代と北条家のドラマでした。



実朝役の篠田三郎がとてもかっこいいのと(最近DVDで総集編見ました)百人一首の 世の中は 常にもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも に彼の人生が現れているからか、彼が暗殺された鶴岡八幡宮に行きたいのです。(7歳の時一度行っていますが)



鎌倉で大仏さんにさわりながら、いろんな歴史にふれたいです。



古典苦手ですが、正岡子規の話ゆっくり読ませてもらってます。
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しぶいっす! (いなだっち)
2006-02-01 08:07:03
そうか。そんなにも人気があったのか、実朝。



知ってます?

『五行歌』の12月号か

1月号に、

実朝にふれた歌を書いた方がいたということを(笑)

(「……われてさけてくだけてちるかも」の歌だったかな)



日本史・文学史的な意味合いで、

実朝は知っていましたが、

こんなに愛されている歌人とは知りませんでした。



鶴岡八幡宮、全国歌会の時行きました。



あの時は、大仏のあるお寺(名前忘れた~)、

長谷寺、鶴岡八幡宮と行きました。



暗殺されたイチョウの木が、

とても大きかったのを覚えています。



あぁ~、ホント、いい季節の時に、

いなだのつぼねツアー、行きたいですね(笑)
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