やっと……、やっと……、やっと……、正岡子規「歌よみに与ふる書」を読了した。
数年前、
三好茂弘さんが講師をやっていたNHK講座で、
少し興味を持っていたこと、
思ったより薄い本だったことから購入して、
それっきりになっていた。
何度読むのが、嫌になったか(笑)
思わず、寄り道して、五行歌の歌集を読み始めたりして、
そっちのほうが、先、読了してしまうし。
★
古文調な文章なので、
どこまで、正確に理解したかは、自信がないけれど、
一回読んで、本を見ずに思い出せること。
○古今・新古今がすごく、キライ。
根拠は、
「ほんまかいな、それ。見たとおり書いたとしたら、
それ、嘘っぽいで。不自然やろ。
縁語とかで、言葉遊びすな!」
○万葉集は好き。
根拠は、
「見たまんま、素直に書いている。だけれども、
意識的に技巧に走っている奴も、途中からおるけどな」
○賀茂真淵がキライ。
根拠は、
「万葉集に着目したのはええとしても、その理解が足りひんわ。
あほちゃう。
その弟子の田安宗武(『天降言』あもりごと)のほうが、
わかってるやん。
よかったわぁ。源実朝(『金塊和歌集』)以来、ええと思える人見つけれて」
○橘曙覧に注目。
根拠は、
「万葉集の素朴でいいなぁと思うところの作風がこの人にはあり、
だが、回帰しているわけじゃなく、今にあった言葉で詠っている。
最近の和歌は『古今』『新古今』にある、言葉そのものを、まねているが、
曙覧は、言葉は自分の言葉だが、万葉集が持つ特性のようなものを、
かもし出している。そこらへんやねん、そこらへん!」
○俳句は空間的なものを盛り込めるが、時間的なものは盛り込めない。
短歌は、時間的なものは盛り込めるが、間違えて説明やあらすじを入れてしまう。
「俳句は、例えば「~や」と言えば、それですむ。
(例えば『閑かさや』とかね)
俳句を短歌バーションにして試しに書いてみようとすると、ようわかるわ。
その点、短歌は、例えば31文字の中に、荒くれた波が、静まり返るまでの、
時間的スパンが入れられるねん。の、かわり、つい、説明になりやすいねん。
あれが、あかん。説明なんか、いらんっちゅーに」
こんな感じかなぁ……。
(多少、本の名前や人の名前の漢字を確認するために見ました)
★
読む前、私はてっきり、
リルケの「若き詩人への手紙」のようなものかと思っていた。
なんていうんだろう……、入門書?見たいなの。
が、実際は、
自分が書いている政治色が濃い雑誌(『日本』だったかな)の、
編集長をはじめとする人たちの、
俳句・短歌などの理解が、自分と違ってて、
いろいろ胸に葛藤を持ちながらも、
その誌面で、投書を貰ったものに対して、
はっきり、きっぱり言い返すという内容っぽかった。
(違うかな……そう思ったんだけれどな)
いくら私が古文チンプンカンプンでも、
ある特定の人に向かって書いていて、
ある暗黙の認識があって、攻撃的に書いている、
というのは途中からわかった。
その攻撃色が、どうも、
面食らってしまい、疲れた。
もちろん、これだけ長く読み継がれたものである。
普遍的なことは書いてあるんだけれど。
★
この時代のバイブルは、
「万葉集」ではなく「古今」「新古今」
だったんだな。
だから、子規が「万葉集」に着目したのは、
画期的だったのだろう。
で、草壁先生は、
今のバイブルの、
「万葉集」ではなく、「古代歌謡」と
言ってるんだよな。
なんとなく、構図としては、
似ているような気がする。
柔軟になれば、そんなに突拍子なことを、
言っているわけじゃないんだよな。
……というぐらいの理解です。
もうすこし、この本と私の、
距離を埋めたい気もするけれど、
さて、次は何を読もうかな。
数年前、
三好茂弘さんが講師をやっていたNHK講座で、
少し興味を持っていたこと、
思ったより薄い本だったことから購入して、
それっきりになっていた。
何度読むのが、嫌になったか(笑)
思わず、寄り道して、五行歌の歌集を読み始めたりして、
そっちのほうが、先、読了してしまうし。
★
古文調な文章なので、
どこまで、正確に理解したかは、自信がないけれど、
一回読んで、本を見ずに思い出せること。
○古今・新古今がすごく、キライ。
根拠は、
「ほんまかいな、それ。見たとおり書いたとしたら、
それ、嘘っぽいで。不自然やろ。
縁語とかで、言葉遊びすな!」
○万葉集は好き。
根拠は、
「見たまんま、素直に書いている。だけれども、
意識的に技巧に走っている奴も、途中からおるけどな」
○賀茂真淵がキライ。
根拠は、
「万葉集に着目したのはええとしても、その理解が足りひんわ。
あほちゃう。
その弟子の田安宗武(『天降言』あもりごと)のほうが、
わかってるやん。
よかったわぁ。源実朝(『金塊和歌集』)以来、ええと思える人見つけれて」
○橘曙覧に注目。
根拠は、
「万葉集の素朴でいいなぁと思うところの作風がこの人にはあり、
だが、回帰しているわけじゃなく、今にあった言葉で詠っている。
最近の和歌は『古今』『新古今』にある、言葉そのものを、まねているが、
曙覧は、言葉は自分の言葉だが、万葉集が持つ特性のようなものを、
かもし出している。そこらへんやねん、そこらへん!」
○俳句は空間的なものを盛り込めるが、時間的なものは盛り込めない。
短歌は、時間的なものは盛り込めるが、間違えて説明やあらすじを入れてしまう。
「俳句は、例えば「~や」と言えば、それですむ。
(例えば『閑かさや』とかね)
俳句を短歌バーションにして試しに書いてみようとすると、ようわかるわ。
その点、短歌は、例えば31文字の中に、荒くれた波が、静まり返るまでの、
時間的スパンが入れられるねん。の、かわり、つい、説明になりやすいねん。
あれが、あかん。説明なんか、いらんっちゅーに」
こんな感じかなぁ……。
(多少、本の名前や人の名前の漢字を確認するために見ました)
★
読む前、私はてっきり、
リルケの「若き詩人への手紙」のようなものかと思っていた。
なんていうんだろう……、入門書?見たいなの。
が、実際は、
自分が書いている政治色が濃い雑誌(『日本』だったかな)の、
編集長をはじめとする人たちの、
俳句・短歌などの理解が、自分と違ってて、
いろいろ胸に葛藤を持ちながらも、
その誌面で、投書を貰ったものに対して、
はっきり、きっぱり言い返すという内容っぽかった。
(違うかな……そう思ったんだけれどな)
いくら私が古文チンプンカンプンでも、
ある特定の人に向かって書いていて、
ある暗黙の認識があって、攻撃的に書いている、
というのは途中からわかった。
その攻撃色が、どうも、
面食らってしまい、疲れた。
もちろん、これだけ長く読み継がれたものである。
普遍的なことは書いてあるんだけれど。
★
この時代のバイブルは、
「万葉集」ではなく「古今」「新古今」
だったんだな。
だから、子規が「万葉集」に着目したのは、
画期的だったのだろう。
で、草壁先生は、
今のバイブルの、
「万葉集」ではなく、「古代歌謡」と
言ってるんだよな。
なんとなく、構図としては、
似ているような気がする。
柔軟になれば、そんなに突拍子なことを、
言っているわけじゃないんだよな。
……というぐらいの理解です。
もうすこし、この本と私の、
距離を埋めたい気もするけれど、
さて、次は何を読もうかな。
子規が言っているんですけどね。えへへ。(笑)
短歌が説明的……。
水野さんは、短歌は説明的と言うのは、
単なる特性として、そう思う、ということですか?
それとも、子規のように、否定的な感じですか?
私も書いていた頃を思い出すと、
そんなところ(説明的になること)で
悩んだかなぁと、
漠然と思い出したりしました。
つまり、
書き手として考えた場合、
子規の言うように、
短歌に対して、
多少否定的なニュアンスになります。
ただ、短歌を鑑賞する場合、
説明と説明じゃない境界線の
見分けって、難しいなぁと思ったりしました。
和歌の古文調なのもそうだけれど、
現代短歌でも。
果たして、子規のように、
きっぱりと批評的に言えるんだろうか、
と思います。
短歌は、どこが説明的か、
読んでてわかりにくいです。
読み込みが足りないせいかもしれないけれど(笑)
子規や誰かが指摘してたら、
「そ、そうなんですかねぇ」とうなづくばかり(笑)
五行歌は、わかりやすいですよ。
韻文(詩歌)なんだけれど、
短歌や俳句より、
詩、あるいは文章に、
限りなく近くかけますから、
リズム(呼吸)が乱れているかどうか、など、
チェックポイントが明確です。
でも、だからといって、
子規のようには、批判的には、言えないでしょうけれどね。
すっかり、「人の作品に手は触れない」ってのに、
慣れてますし、
説明的で、かつ、詩歌としての余韻を、
十分含有している歌もありますので、
一概に、説明的というのを否定的には、
五行歌に関しては、
いいにくいところがあるなぁと思っています。
★
私の拙い読解力なので、自信はないですが、
子規にとって、いいという短歌は、
強い感じで言っている歌だとか、
決まり文句を使わない、
客観的に景色を映した叙景歌だとかを、
挙げていますから、
確かに説明的な短歌になると、
勢いはそがれるし、
叙景歌だって、主観的になってしまうので、
子規の言いたいことは、
スジが通っていると思うんですけれどね。
割合の問題かな、と思ってしまう。
五行歌は、バラエティだから、
「まあ、説明的なのも、完成度が高ければ、
ありだよな」って思えるのかもしれないです。
が、
あまりにも、子規が登場するまで、
いや、登場した後も、
説明的な短歌が、
きっといらいらするほど、
多いんでしょうね。きっと。
その原因は、果たして、
あの字数だけのせいなんでしょうかね。
多分ね、説明的だけれど、いい短歌、っていうのも、
あると思うんですけれどね。
★
は。
すいません。
深みにはまって、沢山書いてしまいました。
驚かれないことを切に願います。