日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

外国語について②

2008年01月31日 | 言葉や思いをめぐらす日々
大分前になるのだけれど、
尾崎放哉の俳句を、
フランス語に翻訳された方の本を読んだことがある。

読んだことがある……厳密には途中で挫折したんだけど(笑)

放哉の生涯を紹介したところと、
俳句の部分しかじっくり読んでいなくて、
おそらく、作者が、
一番読んで欲しかったであろう、
翻訳の部分の話は、
眠くなってしまって、まともに読めなかった(笑)

だが、ひとつだけ、
印象に残った部分がある。

 咳をしてもひとり

この句を翻訳した時の、
迷い話だ。

咳をしてもひとりの「」。

あなたなら、どう訳す?

     ★

うろ覚えだけれど、
翻訳の際、いくつか候補があって、

「咳をしたところでひとり」

というニュアンスなのか、

「咳をしたらもっとひとり(になった)」

というニュアンスなのか、

もうひとつ、候補があったような気がするけれど、
そういう風にいくつかの解釈の可能性があって、
でも、フランス語では、
それらすべてのニュアンスを含ませて翻訳するのは、
難しく、
どのラインを選択するのか悩んだという、
苦労話が書かれていた(多分)。

そのたったひとつの「も」のラインを決めるのに、
放哉の生涯や、他の作品や、時代背景や、
自分自身がこの句から受け取った印象、
フランス人の気質、
あらゆることを調べて、決めなければならないという翻訳。

全部読んだわけでもないのに、
「翻訳って、すごい日本語を見つめなくっちゃいけないんだな」
って理解しただけでも、
あの本を読んでよかったな、と思っている。
タイトルも何もかも忘れてるけど。

日本語を見つめることは、
自分の思いを見つめることにも通じるんだと
理解しただけでも。

     ★

あと、吉本ばなな(現よしもとばなな)さんの、
『N・P』という小説を読んだのも、
翻訳という世界の深さに関心をもつきっかけとなった。
(放哉の翻訳家の本よりさらに前に読んでいるけど)

さっき、
「自分の思いを見つめることにも通じるんだ」と、
書いたけど、
この小説は、
自分の思いを見つめすぎた(つまり翻訳をしようと必死になった)結果、
恋人が自殺したという過去を持つ、
主人公と、
その翻訳し切れなかった小説を書いた
作家の子供達が織り成す、
人間模様なんだけど。

多分、ばななさんの本の中では、
一番好きだと思う。『N・P』。

翻訳の話は、
この小説の中では、伏線に過ぎないけれど、
とっても惹かれたんだよなぁ。

……って、あら?何か横道逸れてます?
何が言いたかったんだっけ?

     ★

収拾がつかなくなってきましたけれど、
ようするに、
外国語にまつわるものの中で、
興味があるとすれば、
社交的なほうへは行かず、
むしろ内向きのほうだなぁと、
思う今日この頃な訳です。

一晩寝たら、どういうオチにしたかったのか、
すっかり忘れてしまいましたので、
これにて、消えます。えへへへへ。

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