日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年10月の東大阪歌会②

2007年10月07日 | 五行歌な日々
ではでは、早速……。

     ★

       明るい夜空は
       水にとけた藍の色
       雲をまとって
       月が照る
       満月まであと二日


作者はほしかわなおさん

一行目と二行目の
「明るい夜空」と「水にとけた藍の色」
に、高い評価が。
の、反面、
五行目が説明的かな、と意見が分かれました。

作者にとって、
この歌の中で、
前半の表現(夜空をそう思ったこと)が
一番言いたかったことなのか。
それとも、
「満月まであと二日」状態である
「今」のワクワク感(?)が伝えたいことなのか。
読み手がちょっととりかねている感じでした。

ですが、最後のほうで、
「満月まであと二日っていうのは、
この日の月は、『中秋の名月』だったのでは?」
と、教えてくださる方がいて、

「え!?『中秋の名月』って、満月じゃないんですか!?」

と、無知をさらした私を笑うのは誰だ(笑)

そう思うと、五行目のおかげで、
一・二行目の月明かりの夜が、
よりリアルに。

私個人も、
五行目が「説明的」と受け取ったほうだけど、
そう思うと、歌的な相乗効果も感じられ。

でね、作者談なんだけど、あんまり覚えてないのね(ごめんちゃい××)

ほしかわさんへ。

もし、付け加えたければ、
コメント欄に書いてね。
言う必要なしというなら、それでもいいです(人まかせ~・笑)

       なんてきれいな
       毟りあと
       白身魚の半身が
       空に
       浮んでる


作者は須賀知子さん

実は、今回の歌会、
集計上の一位の人と、
点数とは関係なく、
歌会の中で一番注目を受け、
意見が飛び交ったと思われるものに、
『話題賞』をあげようと、
こっそり画策していた(笑)

そしてこの歌が、『話題賞』に。

歌会中には、時間の関係で出来なかったけど、
二次会で、横の人と雑談しながら、
考えてくださいねーと、
乾杯のお酒の味が残る口で言ったら、
いきなり、集計上1位の人
(後にわかるので今はナイショ)
が手を挙げて、
「須賀さんがいいです」と言い、
そこからいろいろ、他の方のお名前も出たけれど、
最終的には満場一致で。

おめでとうございます。須賀さん。
だけどね、須賀さん。

上手く、この歌の話をまとめられませんわ~!!

「毟る(むしる)」という字が話題になって、
「果たして、魚を『毟る』って言う?」
とか、
「毟りあとってことは毟られた(ほぐされた)『み』が、
空に浮かんでいるってこと?」とか、
「え?私は、骨をまん中に、上半分が毟られて、
骨と骨から向こうの『み』がついたまんまの状態の
魚の姿に似た雲が浮かんでいると思ったんですが……」
「は?『雲』?『月』じゃなくて?」
「っていうか、これ、尾頭付きじゃなくて、
切り身なのでは……」
「え?ひらめじゃないの??鰯?
鰯なら、鰯雲なのかしら??」

……とまぁ、セリフ調にまとめるとこんな感じで意見が飛び交って(笑)

作者談で、確実に覚えていて言えるのは、
「さわらの切り身」だったということと、
「『毟る』って、『毛が少ない』って書くんだと思って!!」
という話ぐらいで(笑)

まぁでも作者はともかく(笑)、
読み手が歌によって想起した映像が、
あまりにもバラバラで、
でも全然それがイヤじゃなく(多分作者もね・笑)
人の意見を聞けば聞くほど、
面白い歌だなぁ~と思えてきて。

まぁ、須賀さんも、
この説明で足りなければ(足りないでしょう……多分・笑)、
補足してください(笑)

       人の顔に
       一本の木が見える
       きみはよく笑うから
       枝の多い
       豊かな木だね


作者は北里英昭さん

この歌が、集計上の一位でした。
と、言っても、
「いい歌でした」というひとくくりの意見には、
収められませんでしたが。

あぁ、でも、十二首のうちで、
読後の余韻が一番よかったというのは、
全員一致してたかな。

大きく分けると、
リアルなフェイスを思い浮かべる人と、
表情が醸し出す抽象的なイメージを
思い浮かべる人に分かれた。

前者は、こんな感じ(笑)
       
こういう、子どもの絵本にありそうな、
木を擬人化したようなものを思い浮かべた人と、
そうじゃなくて、
笑っている人が醸し出す表情を見たときに
込み上げる感情に浸った人もいた。

作者は、長々と旅に出て、
いろんな人と話をしているうちに、
例えば、いい人なら、
顔から自然と天使が見えてくるような体験を
するようになったのだそうだ。

が、歌にするとき、
「天使」というのは使いたくなかったらしく。

その天使を感じた「感じ」を読み手に想起させることと、
自分の想いが込められるものとして、
「木」にしたらしいが。

読み手の何人かが、
「ではこの『きみ』というのは、
特定の誰かではないのですか?」と、
よく聞いていたが、
特定の誰かという人はいなかったらしい。

女性(恋人や奥さん)とか、味のある老人とか、子どもだとかを
想像させながら読んでいた人がほとんどだったので、
作者のコメントを聞いて、
ちょっと肩透かしを食らった人もいたりした(笑)

       炎天の舗道
       蝶へと羽化したように
       つぶれた蝉
       ああ
       華やかで無惨


作者は三好叙子さん。

実は私は、
FAXでこの歌だけを見た瞬間、
「これは2点だ」とすっと思ってしまった。
ゲストに対する贔屓目じゃなく。

ひょっとすると、この歌が一位かな、と、
思ってたら、
あけてびっくり私と楽人さんしか点数を入れていなかった。

で、他の方vs私と楽人さんという構図で、
意見が飛び交った。

簡単にまとめると、
一番に引っかかっているのが『華やか』という言葉のようだった。
「『華やかで無残』……『華やか』……う~ん」
といった感じ。

あともうひとつは、四行目の
『ああ』という嘆息。

それをありきたりな表現と思うか、
歌の構成上のクッションとして必要だと思うかどうか。

この『ああ』は、どういう『ああ』なのか。
五行目にかかる『ああ』なのか、
蝶かと思ったら蝉だったという「なぁ~んだ」ぐらいのものなのか。

作者によれば、
遠くから見ると「蝶が死んでる?」と思って、
その羽がプリズム(?)に光るところまで行くと、
実は蝉だった、というところから、
端を発した歌。

まだ未消化な感じで提出した感ありのようだった。

なので『華やか』も指摘どおり、
作者自身もしっくりいっていない様子だったし、
『ああ』もありきたりだな、と思いながらも、
でも、ここにはどうしても必要だと思ったのだそうだ。

トータルしてみると、
私や楽人さんが思い入れ過多になった歌なのかな、と思う。
ま、全然悪いと思っていないけど(笑)

だけど、笑ったのが、
三次会で、私、楽人さん、北里くん、ほしかわさんで、
さらにディープに歌会の歌について話していたとき、
楽人さんが、
「叙子さんの歌は、
もしかしたら、増田幸三さんの歌を、
歌会で繰り返し読むようになってたから、
好みのタイプの歌になったのかもしれない」
と言っていたこと。

私は逆で、
「うちの歌会ではなかなかお目見えしない空気感を持つ歌だな」
と、内心思っていたから。

同じ意見でも、様々。

また、翌日、
歌会参加のお礼のメールを、
PCをお持ちの方々に、とりあえず送ったら、
須賀さんが、
歌会散会後も、この歌についてずっと考えていらしたらしく、

「『美しくて無残』だったら寄り添えたかな」という、
考えに至ったと書いてくださっていました。

『美しくて』は動的静的なもの関係なく形容できるけど、
『華やか』だと生きているもの、
活動しているものを形容しているような……と。

作者の話を聞いた上で、この意見を聞くと、
一理あるかもな、と思いました。

叙子さん自身は、どう思うだろう。この意見。
ちょっと聞きたい気もします。

     ★

はぁ~疲れました。

どうしてこんなに細かく書こうとするんだろうなぁ~。
融通がきかんなぁ~。

一旦ここで、休憩します。

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4 コメント

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含みのある表現について考えました (ほしかわ)
2007-10-13 02:28:56
私の歌は、“今年の中秋の名月”のことだと、わかりにくかったですね。
今回はあえてそれを明言せずに、しかしその事実にこだわって書きました。
良し悪しの問題ではなく、こういう書き方をすると伝わりにくくなる場合もあるのだなと、実感するよい機会を得られたと思っています。
こういう経験を積むことが、書き手と読み手の距離感を感覚的につかむことにつながるように思います。

一番表現したかったのは空の色の美しさだったので、なぜその色が生じたのかという原因まで書こうとせず、叙景に徹してつくれば歌の寿命も長くなったのかなと考えたりもして。
反面、”含み”を理解できた場合にのみ、その歌の表情がより深く読み取れる歌があってもいいのかな、と個人的には思っています(それを解せないばかりに、浅い読み方しかできていない自分を歯がゆくも思うことも多々、なのですが)。

それって、どこか茶道と似ているかもしれません。
亭主は客をもてなすために趣向をこらすのですが、客にその趣向を理解できるだけの知識がなければ客にとっては意味をなさないのと同じように。
それは、とても高度な知的遊びだと思います(ただ、そういうことを五行歌という器を利用してすることに対しての私の考えは、まだまとまっていません)。

”勉強”という言葉には違和感を覚えるのですが、まさに日々は勉強だなと思います。それも楽しい勉強だなと。
この気持ち、好奇心が私を行動的にさせ、歌会に参加させるのかもしれません。知らないことが、また一つ減るのを期待して。

・・・な~んて、長文を失礼いたしました。続きはまた今度。お茶しながらおしゃべりするのを楽しみにしております♪
返信する
歌の後先 (須賀知子)
2007-10-13 04:40:42
話題賞、ありがとうございました!
『五行歌』誌にぴったりのブックカバー、早速、使わせていただいておりまするんるん

楽しかったぁ~。作者もチラホラ口を挟んだような気が・・(笑)
この歌は直感を詠った、それだけのもの。歌に繋がる深層心理はあるものの、小さな子が雲を見て「あっ、綿飴(綿菓子)」と言っているようなものです(笑)

「むしる」か「ほぐす」か。関西出身ながら関東住まいも長かったので、ちょっと迷いましたが、獲れ獲れの魚を食べてきた明石出身の夫が「むしる」に太鼓判を捺してくれました。

「なんてきれいな」はそのまま出た言葉だったので,
平仮名表記にしたかったんですよね。で、「むしる」の漢字を引いたの。その「毟る」に出会った感動毛が少ないと書いて「むしる」だなんてもうドンピシャ!!感激したものの、魚に「毟る」を使えば、読み手が違和感を持つことは想定内でした。まあ想定外の意見も色々出て、面白かったこと。

歌会後の火曜日、実家に行きました。で、母にも聞いてみました。やはり、魚を「毟る」とのことでした。
私の言語獲得源がちゃあんとあってホッとしました。
母は淡路島の出身なのですが、幼い頃「みしって、みしって」と言ってたそうです。四国出身の大西稚比子
さんが「みしる」と仰ってましたね。興味深いことです。九州ではなんて言うんでしょうね。

私、魚の食べ方の綺麗な人は、半身分を食べたところの残ってる姿で解るんじゃないかと思うのです。
子育て中は夫婦で食事のマナーにも厳しかったように思うのですが、二人になった食卓は、テレビを見ながらだったりでゆるゆる(笑)。魚を毟るにも集中力は欠けてくるしで反省しきりです。だから雲を見て綺麗な毟りあとだなぁ~なんてことに(笑)

余談ですが、明石の魚の棚の「鰆の味噌漬け」は、新鮮なうちに漬けるので、最高に美味しいですよ!!

返信する
ほしかわさま(^_^) (いなだっち)
2007-10-14 13:15:20
>こういう経験を積むことが、書き手と読み手の距離感を感覚的につかむことにつながるように思います。

上手い言い方だなぁ~と、
胸がすっとしました。

そうですね。
これが、ひとりで黙々と歌を磨いていくことと、
歌会に参加しながら歌を磨いていくことの、
違いですね。
(※磨くのはテクニックってことじゃないですよ)

誰に対してもあてはまる……とまでは、
言いがたいところはありますが、
少なくとも、私には、両輪です。

繰り返しになりますが、胸がすっとする一言でした。

>反面、”含み”を理解できた場合にのみ、その歌の表情がより深く読み取れる歌があってもいいのかな、と個人的には思っています(それを解せないばかりに、浅い読み方しかできていない自分を歯がゆくも思うことも多々、なのですが)。

“含み”と“思わせぶり”って、
違うと思うんですよ。

前者は、ちゃんと自分の中に、
言葉にしていなくても(出来ていなくても)、
言わんとしたい想いをちゃんと明確に把握していて、
後者は、実は自分でも、
よくはわかっていないもの、
突き詰めていないもの
(あるいは突き詰めが足りないもの)
を「シッタカ」に見せる小手先。

また、例え“含み”だと思えても、
読み手の歌に対する読み込みが、
作者の“含み”よりも深い場合だってある。

そこにあるキーワードには、
茶道のお話の中にあるような、
「知識」というのはあるでしょう
(それだけではない、とも思っていますが)。

ただ、ふと思ったのですが、
茶道の世界では、
「もてなす側のディテールをお客人が見抜く」という
構図だけなのでしょうか?

逆の構図は成立しないのでしょうか。

「もてなされるお客人のディテールを主人が見抜く」
とでもいうような。

先にも触れたように、
五行歌の場合は、
作者よりも奥深く、
読み手がその歌を媒体に、
世界を展開させて切り開く場合があります。

歌会に関しては、
決して一方通行になるとは限らないところが、
醍醐味かもしれないと思います。

だからこそ、
人に歌を読んでもらう時は、
過度に平身低頭でなくてもいいけど、
謙虚でなければならないと、思います。

と、いうところで、
続きはまた、お茶をしにいくときにでも
返信する
須賀さま(^_^) (いなだっち)
2007-10-14 13:44:30
>『五行歌』誌にぴったりのブックカバー

これ、楽人さんがとても喜ぶと思います
(詳しくは、裏話で書こうと思ってます

>この歌は直感を詠った、それだけのもの。

それ故に、広がったのでしょうね。

>「むしる」か「ほぐす」か。

とても、いろんな人に、
聞いてみたい衝動に駆られています(笑)

夫は「そぐ(削ぐ)」と答え、
「おぉ!!」っと思ってしまいました。

これって、地方の漁業の盛んなところで、
色とりどりの言葉(方言を含む)がある気がするし、
山のほうの、
保存の加工がなされた魚を食していた地域では、
まったくそれを指し示す言葉がないのでは?
と思ったり。

心は、民俗学的マーブル模様(笑)

でね、今の時代って、
魚より、肉を食べる傾向にあるじゃないですか。
そのディテールは、淘汰されていってるのかなぁと、
思いを馳せたり。

ちなみに、「そぐ」と答えた、
夫の箸の使い方は、ヘタです(見ててヤです

>余談ですが、明石の魚の棚の「鰆の味噌漬け」は、新鮮なうちに漬けるので、最高に美味しいですよ!!

食べたことはないけど、
売ってました!売ってました!!

実は実家の味付けは、
「味噌漬け」文化が根付いていませんでした
(ちなみに、夫の実家でも)。

なので、明石にいるときも、
根本的に反応が鈍く、
「いかなごの釘煮」や「明石焼」ほど、
注目しなかったのです。

オススメされると、無性に食べなかったことを、
せっかくだったのに、と、後悔してきました(笑)
返信する