日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

歌よみに与ふる書⑩

2006年01月21日 | 五行歌以外の文学な日々
十たび歌よみに与ふる書

     ★

先輩崇拝ということは、どの社会にもある。
それも年長者に対し元勲に対し
それ相応の礼をつくすの意ならば、
当然のことだけれども、
それと同時に、
なんだかわからないもので、
その力量技術を崇拝する至りは、
愚の至りでございます。

田舎の者などは
御歌所といえば
えらい歌人の集まり、
御歌所長といえば
天下第一の歌よみ様と考え、
従ってその人の歌と聞けば、
読まぬうちから
はや善きものと定めてしまうことなど、
よくあることで、
私も昔は
その仲間の一人であった。

今追想すれば、赤面するほどのことである。

御歌所だとしても、
偉い人が集まるはずもなく、
御歌所長だろうと
必ずしも第一流の人が座るとは限らないのである。

今日では
歌よみである人は皆無ではあるが、
それでも御歌所連より
上手な歌よみならば
民間にもいる。

田舎者が元勲を崇拝し、
大臣をえらい者に思い、
政治上の力量も識見も
元勲大臣が一番に位するものと
迷信した結果、
新聞記者などが
大臣を誹(そし)るのを見て、

「いくら新聞屋が法螺(ほら)を吹いたって、
大臣は新任官、新聞屋は素寒貧(すかんぴん)、
月とすっぽんほどの違いだ」

などと罵る。

少し眼識のある者ならば、
元勲が
どれ位無能力かということ、
大臣は
持ち回りだから、
新聞記者から大臣に
のぼった実例があることぐらいは、
知っておいたほうがいいよと
説明してみても、
田舎の先生は、
一向に無頓着だから、
あいかわらず
元勲崇拝なので、
腹立たしいのである。

あれほど民間で
やかましくいう政治でも、
同じとすれば、
今まで隠居していた
歌社会に
老人崇拝の田舎者が多いのも、
怪しむに足らないが、
この老人崇拝の弊害を
改めなければ、
歌は進歩することが出来ない。

歌は平等無差別で、
歌の上に
老少も貴賎もないのである。

歌を詠もうとする少年がいたら、
老人崇拝にこだわらず、
勝手に歌を詠むのがいいと
お伝えしていただきたい。

明治の漢詩壇が振るっているのは、
老人そっちのけにして
青年の詩人が出てきた故なのである。

俳句の見方が改まったのは、
月並連に構わず
思う通りを述べた結果に他ならない。

縁語を多く用いるのは
和歌の弊害になり、
縁語も場合によってはいいけれども、
普通には縁語、かけ合せなどあったら、
それがために
歌の趣が損するようになる。

あわよく言いおおせたとしても、
この種の美は
美の下等となる歌である。

むやみに縁語を入れたがる
歌よみは、
むやみに地口(語呂合わせの語句の意)駄洒落を
並べたがる半可通(知ったかぶりの意)と同じく、
ご当人は大得意になるけれど、
端より見れば、
品の悪いこと夥しい。
縁語をたくみに弄するよりは、
真率に言い流したほうが、
よほど上品に見られる。

歌というと
いつでも言葉の議論が出るのには、困る。

歌では「ぼたん」とは言わず、
「ふかみぐさ」と詠むのが正当だとか、
この詞(ことば)はこうは言わず、
必ず
こういうしきたりのものだ、などと
言い張る人がいるけれども、

それは根本的に、
すでに(私の)愚考と異なっている。

(私の)愚考は
古人の言った通りに言おうとするのでもなく、
しきたりに倣わんとするのでもなく、

ただ自己が美と感じる趣をなるべく善く分るように現すのが本来の主意でございます。

故に俗語を用いた方
その美感を現すに適していると思えば、
雅語を捨てて俗語を用いてもいいし、
また古来のしきたりの通りに詠むことも
あるだろうけど、
それはしきたりであるが故に
それを守ったわけではなくて、
その方が美感を現すのに適しているがために
それを用いたまでである。

古人のしきたりなどと言っても、
その古人が
(その時代に)自分が新たに用いたものが
結構多いと思われる。

牡丹と深見草との区別を言う前に、
私らには、
深見草というよりも、
牡丹というほうが
牡丹のイメージが
早く著しく現れていると言いたい。

かつ「ぼたん」という音の方が
強く、
実際の牡丹の花の
大きく凛としたところに善く副っていると言いたい。

故に客観的に牡丹の美を現さんとすれば、
牡丹と詠むのがいい場合が多いのである。

めずらしいことを詠めというと、
汽車、鉄道などという
いわゆる文明の器械を持ち出す人があるけれど、
大いに了見が間違っている。

文明の器械は多く
不風流なものなので
歌に入りにくいと思われるけれど、
もしこれを詠もうとするならば、
他に趣味あるものを配合するほかないのである。

それを何の配合もなく
「レールの上に風が吹く」などとやられては
殺風景のきわみである。
せめて
レールの傍らに
菫が咲いているとか、
または汽車が過ぎた後で
芥子が散るとか、
すすきがそよぐとかいうように、
他のものを配合すれば、
いくらか見栄えがよくなるだろう。

また殺風景な歌になったときは
遠方のほうを見渡すのがいいだろう。
菜の花の向こうに汽車が見えるとか、
夏草の野末を汽車が走るとかするのも、
殺風景を消す一手段かと考えられる。

いろいろ言いたいまま
取り集めて申し上げました。
なお他日
詳細に申し上げる機会もきっとあるでしょう。
以上。月日。

     ★

赤フォントで書いているのは、
本の中で、傍点があったのを現したかったからです。

ここに書いてあることも、
結構今に通じることがある。

歌は平等無差別で、
歌の上に老少も貴賎もないというところ。

歌をいうといつでも言葉の論が出るということ。
「牡丹」の例えはよくわかった。
(でも、気がついたら、
子規の例とは違うけれど、時々私もしているかもしれないなぁ)

ただ、新奇なるものを詠む場合、
他に、趣のある何かを配合する以外方法はない、
みたいなことを、書いているところは、
「ん?」と思った。

俳句なら、そうなのかもしれない。

なんていうんだろう。
俳句って、カメラが二台あるような書き方をするなぁ、
と思ってたので、
子規の言ってるのは、
「俳句的短歌の書き方のススメ」って感じがした。

     ★

俳句のカメラは、
内面に一台。外の世界に一台。そんな感じ。
別々の場所にある。

別々の場所にあるものを、
ひとつの句に並列に対等に並べて出来ている。
その並列に並べるものの、
素材の選択、距離感、そういうもののバランスが、
命なんじゃないかと思っている。

これに対して、
短歌は、どっちかっていうと、一台。

その一台を内面につけておいて、
近くを見てから、遠くの外の世界を串刺しにして見る、とか、

その一台を外の世界につけておいて、
串刺しのように、内面をも見据えてしまうとか、
そんな感じ。

この串刺しの意外性が、構造上の命なんじゃないか。

(もちろん、どっちも、
自分の中にあるもの思いに適合しているかどうか、
というのは大前提ですよ)

だから、
昔のことは、
昔の空気感を体感しなければ
本質的にはわからないけれど、

何百年もたって、
縁語、掛詞が、「お約束事」として、
歌に盛り込まれるのは、
歌を平面的にするから、
弊害となることは理解が出来る。

が、俳句的手法を、
短歌に取り入れるということで、
新奇なものを詠うたうというのは、
それはそれで、安易な発想かな、と思ったりもした。

ひとつの試みとしては、なるほど、とは思っている。

でも、
「歌が殺風景になるのは、風流じゃないのは、いけないことかな?」
と、根本的なところで、
私は子規とは意見を異にしているかもしれない。

思いを言い尽くした結果、
風流でなくなって、殺風景になって、
でもいい歌、というのは、
ありえないことはない気がするんですけれど、
と、
子規が歌会に出席したら、私は言っちゃうかもしれない。

     ★

調べてみると、
この『歌よみに与ふる書』を世に出して、
短歌の改革に着手する前に、
子規は、俳句での改革に成功しているらしい。
(例えば、『芭蕉雑談』)

そして、短歌改革に乗り出したのだが。
短歌の改革を、俳句の改革の図式に当てはめて、
しようとしたら、
「……そうとも限らないかな」と思い始めたぐらいで、
死んでしまったんじゃないだろうか。

だが、俳句の世界だけじゃなく、
短歌の世界にも、大きな波紋を描いたことは、
間違いない。

そこで、『歌よみに与ふる書』が書かれていた頃の、
時代背景や、
歌詠みとしての正岡子規について、
もう少し、調べてみようと思っています。

……終わるつもりでいたんですけど、もうちょっと(笑)
でも、一月中には終わります!

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