日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

30年さんに取っ払われて、構築しなおす①

2008年05月25日 | お仕事な日々
ようやく書きます。

     ★

そのパンの店頭販売(?)は、
いつも2名で仕事をしていた。

この日に一緒に仕事をしたのは、
私と同じぐらいの経験を積んだマネキンさん。

しかし、人生経験は、私より沢山。

後に聞くと、営業を30年続けて、
定年になってからこの仕事を始めたのだとか。

……と、いう訳で、
便宜上、このマネキンさんのことを、
ここでは「30年さん」と呼ぶことにする。

     ★

前述したように、
以前ここでの仕事は、
マネキンが金銭授受をしていたが、
今回からは、そうではなくなっていた。

そして、その変更にお客さんがなかなか気づかなくて、
逃げられてしまうということも。

仕事を始めてからほどなくして、
私もそうだが、30年さんも、
そういう状況に、
歯がゆい思いでいっぱいになった。

が、しかし。

同じような思いをしても、
ここからの展開の仕方が、違う。

30年さんは、アクションを起こした。

「え~、もう1回レジに並ぶのぉ~?ならやめるわ」

というお客さんに対し、

「それなら奥さん、私がお代を預かって、
代わりに並んできて、買ってきますわ」

と、人情なのか、販売意欲なのかは、
わかりかねるけど(多分どっちの気持ちもあるんでしょう)、
レジに並んで買ってくることを請け負いだした。

私には、思いもよらないアクションで、
内心、かなり驚いた。

こういう人に出くわすと、
自分の中にある『枠組み』というものを、
いとも簡単に取り外される心地がして、
どうしようもなく、ふわっとする。

良くも悪くも、ふわっとする。

良い面では、
「それも、アリなんだ!」という学び。
発想の転換というか、工夫というか。

お客さんを第一に考えるということは、
こういうことなんだろうなって、
静かに感動していたりして。

悪い面では、
「それは、いつ何時でも、誰に対してもできるのか?」
という疑問。

Aさんというお客には、そういう対応が出来たけど、
Bさんというお客の時には、
ある状況から出来ないということだって、
あるんじゃないのか?

売る側には明確な違いがあって、
Aさんにはできて、Bさんにはできないわけだけど、
お客さんにはそういうの、わからない場合だって、
あるんじゃないのか?

Aさん満足。Bさん腹立つ。
ってなことも、
起きたりするんじゃないの?……などなど。

そういう、
「言われてからやる」ものではない
白紙からのアクションに対して、
ものさしで単純に平等感を測るクセが、
私にはあって(器が小さいよなぁ~・笑)、
とても葛藤してしまい、
結局、保守的なところに落ちがちになるのだが。

(ちなみに、「言われてからやる」ものを達成させるために、
工夫して、より良くやる、
ということには、頭を回転させます……回転させる努力をします・笑)

30年さんのアクションに、
いいとも、悪いとも思えず、
真似ることも、止めることもせず、
複雑な気持ちで、横で見ていた。

で、さらによくよく見ていくと。

     ★

例えば、
知り合いの奥さんにバッタリ会って、
立ち話とかが出来る状況のお客とか、
おじいちゃん、おばあちゃんとかは、
30年さんにレジに行って貰ったことに対して、
「ごめんね。悪いね。ありがとね」と、
感謝しているようだった。

しかし、
レジの列に並ぶ30年さんを待つために、
店頭のパンの売り場の片隅で、
行き交うお客さんの流れの中、
ひとりぽつんと立って待つ状況の
お客さんの中には、

私が店頭でひとりになって、
「お代はレジになります~!!お早めにお買い求めくださぁ~い」と、
声を張り上げているところを見たり、
「精算はレジになります」と明記した張り紙があることに気づいてしまい、

「お待たせしました」と、
レシートやパンなどを持って戻ってきた30年さんに対して、
「すいませんでした……」と、
本当に申し訳なさそうに言いながら、
小さくなって立ち去る人もいたりして。

「お客さんの為になるようなら、
(相手を選んで)私も真似るべきかもしれないが……」

と思い直したりもしはじめたけど、

しばらくすると、30年さん自身が、

「レジが少なかったら、全然平気なんだけど、
レジがすごく並んでて、何度も並んでいるとなんだか……」

と、善意のエネルギー切れっぽい話をし始めると、
なんだかなぁ~と、足踏み状態になった。

どうやら、私の中で、
ある種の『枠組み』は、
その彼女の行動で取っ払われたりしたけれど、

取っ払われただけでは、ものすごく不安定なので。

もう少し広がったところで、
必ず『枠』は作ろうと模索する感じがあって。

自分の中の『当たり前』や『常識』を、
柔らかくほぐすチャンスに出くわしているが、
だからといって、
100%30年さんにはなれそうにないことに、
戸惑ったりした。

ただ、ありがたかったのは、
同じようなアクションを
私にもしなさい、したほうがいいよ、と、
30年さんが求めなかったところだ。

普通に考えると、
善意のエネルギーが切れ掛かると、
協力しろと言いたくなるところのような気がするのだが、
それは全く言ってこなかった。

この忍耐に、30年さんの人生の経験を感じた。

……ってところで、時間切れ。つづく(つづくのかよ、おい……)。

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