日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年全国大会in阿蘇④~自分の提出歌編~

2007年10月27日 | 五行歌な日々
ではでは早速。
稲田の歌のお披露目から。

       純粋な無欲では
       何も生み出さないのでは?
       無欲という名の
       『欲』に気づいて
       高度な矛盾に達しなければ


仕事先の休憩室のTVは、
『風林火山』の再放送をしていた。

多分、上杉謙信の初登場の回だった。

「はて。上杉謙信は、どうして天下を取らなかったんだろう?」

と、不意に疑問を持った。

TVでは、一心に念仏を唱えている上杉謙信。

「あぁ、純粋すぎたからか」

と、あっという間に腑に落ちて。

その生き方を別に否定する気は全くないが、
ドラマを見ていると、
その純粋すぎるが故に、
周囲の人たちがえらい苦労をしているなぁと、
思ったりして。

そういうのを見ていると、
なんだかだんだん、
上杉謙信にツッコミを入れたい気分になった。

「ねぇねぇ、謙信さん。
そういうのって、
悪かぁないんだけどさぁ、
でもそれじゃあ、何にも生まれてこないんじゃないの?」

って。

人が生きる上で生みだす工夫や知恵だとか。
男と女の欲望の先に宿る、新しい生命の可能性だとか。

それらって、純粋なだけで、
生まれてきたもんなんだろうか。

だからと言って、
不純でヨコシマでないと、っていうんじゃなくて。

純粋さに何か相容れないプラスアルファが、
必要だったんじゃないだろうか。

不純じゃないけど、
純粋さにプラスアルファ……っていうと、
言葉にすると、「矛盾」になるかな。

でも、純粋に無欲を目指したくなる前の「矛盾」と、
無欲を目指した果てに気づく「矛盾」の違いは、
言葉にするとどう表現できるだろう?

無欲をも、通過点にした先で見えてくる「矛盾」。

私はそれを「高度な矛盾」と名づけた。

無欲になることを最初から諦めて、
欲望に振り回されて縛られる矛盾と、
無欲もまた通過点なんだと気がついた先で
見えてくる「高度な矛盾」は、違う。

少なくとも、内面的には、違う。

抽象的な歌だけど、
これを詠ったことで、なんか、
ひとつの考えをコンパクトにまとめられたなぁと、
私の中ではすっきりした。

グループ歌会では、
二宮信子(しんこ)さんが、
一生懸命考えては発言してくださる姿が、
嬉しかった。

言葉を見つめながらも、
胸の中の何かに照らし合わせながら、
意を掴み取ろうとするお姿が、
もう、その姿だけで、
作者としては、胸いっぱいだった(笑)

草壁先生も、点数を入れてくださって、
当てる前に発言を下さったのが、
嬉しかったけど、
『あぁ、なんだかいろいろ言われてるんだなぁ。大変そうだなぁ』と、
先生の中の(私からは)見えない景色に思いを馳せたりして。

ウラ歌会でも水源純ちんから、
先生は「無欲もまた欲」みたいなことを
常日頃よく言っていると、
聞いたりした。

また、全体的な点数が少なかった割には、
ウラ歌会に参加された方の何人かは、
点数を入れてくださってて、嬉しかった。

「さすがに上杉謙信までは、わかんなかったけど」……そりゃそうだ(笑)

さて、そのウラ歌会。

……の話を書く前に、
やっぱりここで、一旦休憩をします。

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