日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

バスの歌について。

2006年12月04日 | 五行歌な日々
では、稲田のバスの歌の作品について。

出発は26歳の頃の奈良の大学院からの帰りの時、
近鉄線の学園前駅まで、
バスに揺られていたのがきっかけ。

夕日を見ながら、バスの中で信号待ちをしていたら、
そのバスの振動が
(※当時はアイドリングストップとか、心がけられていなかった)、
犬が餌を前に「待て」をしているような、
グッと我慢しているような、
からだの震えのように思え。

あの夕日を追いかけてみたいと、
ひょっとしてこのバスは思っているんじゃないだろうか、
と思ったのだ。

だけど私がいるばっかりに(お客は私一人だったので)、
いけないと思っているんだろうか。
いやいや、ふたつ先の停留所に、
いつものおばあちゃんが待っているから(※フィクションね)、
はみだせていけないのか。

とにかく、想像力を刺激する信号待ちのひとときで。

「学園前行き」と額(?)に書きながら、
大回りして、蛇行して、
いるかいないかわからない人を迎えに行き続けるバス。

その頃は、五行歌と巡り合っていなかったので、
終点の学園前の駅で降り、
電車に乗る前に、
ミスドに入って、詩を書いた。

それから約2年後に五行歌と出会って、
3回目の大阪歌会へ行ったときに、


     夕陽を追いかけたくても
     バスは
     乗客も
     赤信号も
     無視できなくて     (98年1月:大阪歌会)


と、いう歌を書いたのだが、
点数が低いのは、まぁいいんだけれど(笑)、
「バスが夕日を追いかけてみたい気持ちになる」という、
擬人化への飛躍をしてもらえなくて、
ちょっと悔しかった(笑)

で、さらに、時は経ち。

この前の歌誌『五行歌』の中の山本宏さんの、
巻頭歌作品に巡り合う。


       乗客はいないが
       定刻になったので
       仕方なく
       出てゆく
       島のバス


刺激を受けちゃった(笑)
もう一回、バスの歌を書きたいな、と思っちゃった。
で、大阪歌会のとき、
どんな風に書いたのかは、あえて見ずに、
「バスを生き物のように思ったことが、
ナチュラルに読み手に染みていく」ことをノルマにして、
歌にしてみたのだけれど。

とりあえず、何かがまだ足りないんだけれど、
ノルマは達成して、ちょっと嬉しかった(笑)

新幹線とか、飛行機とかと違って、
バスって、
人間くさいというか、生き物っぽいというか、
なにかこう……気持ちを重ねてしまう。

またいつか、なんらかの刺激を受けて、
歌にしようと思うのだろうか、私は。

その頃には、アイドリングストップは、もはや常識で、
アイドリングをしていた頃を、
人々は忘れ去ってしまって、
「信号 バスの振動 夕陽」の三点セットでは、
イメージを膨らませてはもらえなくなるのだろうか。

その歌の中に込めている一番大切なものだけを取り出して、
私はまた、歌に命を吹き込もうとするのだろうか。

ま、今考えても仕方ない。

未来のことは、未来の自分に任せよう。

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2 コメント

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こんばんは (Kazz)
2006-12-04 20:40:24
稲田様

さすがです!!

尊敬します

お会いした事も無い方に失礼でしょうか…
返信する
ありがとうございます。 (いなだっち)
2006-12-05 08:04:40
単にひつこい、とも言いますが(笑)

はっと思うことは、一瞬で、
あっちこっちにありふれます。

でもそれを、
何も一瞬で、自分の言葉にできなくても、
いいとも思っています。

その一瞬に追いつくように、
年を重ねて生きたいものです。
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