日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

司馬遼太郎を読んで、官能歌の話を思い出す②

2006年12月19日 | 五行歌な日々
ひたひたと、
慌しくなってまいりました……。

いざ、座っても、心落ち着かず。

が、ここで続きを書かないと、
今年は暮れねぇぜ。ってことで、
司馬遼太郎氏の文章の引用を。

     ★

司馬さんの文章を、
省いたり、少し言い回しを書き換えたりしながら、
引用します。

九州の精神風土は、
鎌倉以降、
京都の公家を中心とした中央文化から離れ、
違った発展をしてきた。

大ざっぱに言って、
東のほう、関東以北は父系社会で、
例えば、名前にしても、
父親の一字をとって、子どもが縦に継承していくほど、
厳然たる父系色が強かった。

関東、東北のほうでは、
『源氏物語』にあるような、
性風俗は、北方父系社会では考えられない。

対して、
西日本社会の基本的文化、習俗として、
若衆制(若衆宿・若者宿)があり、
西日本の沿岸のどこにもあったと考えられる。
(※性風俗のことだけのシステムではないことも、
ちゃんと書かれていましたが、ここではカット)

若衆宿で、もしも、
父親のわからない赤ちゃんができても、
娘さんに父親の指名権があり(母系社会だから)、
村落の、共同体の子であるという気分があり、
こうして村落の結束力はかえって強くなっていった。

この若衆制は、
ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアなど、
太平洋諸島全円に広く存在している。
若衆制文化に関する限り、
日本は太平洋諸島の文化に属している。
九州もむろん属している。

ただ、若衆制は、昔から、
農村漁村の村落レベルに限られていた。
が、薩摩藩だけは違っていた。

侍社会に若衆宿を制度化してしまった。

「郷中(ごうちゅう)」と呼ばれる制度で、
漁村に多い猥雑さを省いて、
いいところだけを残した。
(※つまり、上から下へ礼儀から、しきたりから、
年上のものが年下のものを教育していったってことですね)

例えば、西郷隆盛は、
鹿児島市のある町の郷中頭を、
長々とつとめていた。
この頃のこの町の郷中を率いて、
西郷は明治維新をおこしたことになる。


     ★

西郷隆盛のところまでは、
関係あるかどうかわからないので、
余分な引用かなぁと思いつつ(笑)

でも、わかってもらえるだろうか、
この一致感。

若衆制が西日本方面への広がりだったということを
知ったとき、
私は胸をなでおろすような気持ちになった。

自分の偏った絵空事は、
そんなに大風呂敷でもなかったかもしれないと、
ほっとしたのだ。

あと、私の好きな劇団の主宰者の、
舞台を打ちながらの実感、手ごたえは、
そんなに偏った主観ではないということ。
そして、東南アジアのほうまで、
思いを馳せたことに対しても、
合致することも。

これは、どういうことを示すかというと、
若衆制などは、当時の政府により、
大正時代には完全になくなっているけれど、
現代でも、なんらかの因子が、
そんなに表立ってはいないだろうけど、
息づいているものがあるのではないかということ。

つまり、現代の五行歌の官能歌の輩出が、
九州の(女性の)人々に多い(多かった)ということの
起因を、
風土・気質に結びつけるのは、
そんなに無理な話ではないということです。

ただ、ここで、
薩摩藩の
若衆制に関する
特殊性も取り上げたけど、
その「郷中」という制度と、
男尊女卑などの関係などは、
ここでは、書かれていないし、
サラサラっと読んだ上での飛躍は、
なされないことを願います。

     ★

司馬さんの文章を読んだ上で、
当時の官能歌のことについて
言ったことを振り返り、
また、深く見つめていくと、

優れた官能歌を輩出するのが、
九州の女性に多い、というより、
ひょっとしたら、
それを受け入れてくれる人、
共感・共有してくれる人を、
身近に見つけられる環境が、
そういう歌人さんたちを、
心強く支えたのではないか、
というような気がします。

私も沢山の人と話をしたわけではないけれど、
当時やっぱりその話が出ると、
「書いてほしくない、とは言わないけれど……」
どうして、そこまで、
このジャンルが着目されるのか、というところに、
ちょっと嫌気が差している女性もいたりした
(関東の人で、その嫌そうな感じが印象に残っている人がいる)。

私は、アカデミックに考えていたので、
最初はなんでもなかったんだけど、
男性が熱狂していくのを見て、
「ズレてる。なんかズレてる。
イヤラシイ熱狂の仕方ではないのに、
だんだん、腹が立ってくる
自分で考えろ、と言いたくなる」
という感じで、短時間で嫌になりましたが。

きっと、そういう目や空気って、伝わるし、
心の中に内在化されていくはずだ。

九州の気質を考慮したって、
そういう目や空気が、多少はあるだろう。

ないということは、まずないだろう。

それでも、九州の歌人さん達が、
こつこつと官能歌を書き続けれたのは、
他の地域よりは、
そこが厳しくなかったからではないか。

すべての人ではないにせよ、
心強く、
共感・共有を示す人がいたからではないか。

あと、他にも、
例えば、官能歌を読んだ人(読み手側ね)が、
「それ、旦那さんのこと?」とかって、
作者に聞くような、
具体的なことの入り口の扉扱いになって、
ゴシップ系の芽になれば、
こつこつと歌い続け、かつ、お披露目をすることは、
はばかれていくだろう。

「高尚」とまでは言わないけど、
完成度の高い官能歌を、
ちゃんと「歌(作品)」として読む素地が、
九州の人々の内側に、
なんらかのDNAで備わっていることが、
あるような気がします。
他の地域の人たちに比べて。

官能歌を書くまでの(読むまでの)
自分の中の「照れ」に勝ちやすかったりする素地。

もちろん、九州の人々の中でも、
そういうDNAが
目覚めない人もいるでしょう。

また、
福岡や、熊本や、鹿児島や、長崎とか、
九州とひとくくりにするには、
実は、もっと細かく区別できる気質もあるのでしょうけれど
(そこらへんも、司馬さんの文章に書いてました)。

     ★

忘れるのが、もったいないので、
こんな風に書きました。

が、
あくまで、私の知的好奇心を、
人に読みやすい形に整理して書いて、
何か調べたいときに、調べやすくなるという、
便宜的な意味も込めて残しました。

議論を挑まれてきても、あるいは、
「これはどうなの?あれはどうなの?」と聞かれても、
胃に穴が開くように、変に気を使うから、
絶対やめてください。

こんな、公に読めるところに書いておいて、
言うのも、なんなんですが。

無邪気な好奇心で、遊ばせて。
無邪気な好奇心で、読み捨ててください。

     【引用文献】
     司馬遼太郎全講演[5](朝日文庫)
     「九州の東京志向の原型」から、一部抜粋。

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