◇天才の言論術◇
☆天性の才能を磨く
フランクリンが持って生まれた財産といったら、文才くらいのものだろう。物心ついたときから読み書きができ、8歳で最初に入ったラテン語学校では、すぐ首席になっている。
印刷所に勤めてからは、必然的に正しい文法が身についたし、暇を見ては気に入った文章を書き出し、後で原文と比べて間違いを訂正したりした。もちろん、読書はおおいに役立っただろう。詩を書くのも、語彙を増やすためだった。
決して天性だけではない。不断の訓練あればこそ、天性の文才も花開き、20歳そこそこにして、教養人顔負けのしっかりした文章が書けるようになったのだ。この文章力がなければ、フランクリンは決してこれほどの成功を収められなかっただろう。
まず、どんな環境であれ、自分の才能を磨き上げること。それが一切の基盤になる。
☆「Yes,bad」の話術を用いる
フランクリンは、断定的に自説の正当を主張したり、逆に相手の意見に反対するようなことは、一切しなかったという。それはたとえ自分が正しくても、相手との間に感情的なしこりを残し、議論には勝っても望ましい結果を得られないことが多いからだ。
もともと彼はディベートに長けていて、相手が正しいと思われるときでさえ、自説を納得させることが得意だったが、後にそれも改め、「私はこう考える」といったように、やんわりと自説を提案し、判断を相手に委ねるという手法を用いた。いわば、話しながら相手を教導するのだった。
こうしたやり方では、相手は最終的に自分の考えで判断するので、満足してフランクリンに賛同することができる。実際、この方法を用いるようになってから、彼の計画はますます順調に実現された。フランクリンは、この話術を繰り返し人々に勧めている。
☆メディアで世論を喚起する
フランクリンは、もともと兄のもとで新聞発行を手伝っていた経験もあったのだが、まだ印刷事業が軌道に乗らないうちから、地元の新聞『ペンシルベニア・ガセット』を買収している。いち早く「自前のメディア」獲得に成功したことこそ、フランクリンの影響力の源だった。
彼は寄付を募る場合、あらかじめ新聞でその必要性を論じ、世論を喚起するのを常としていた。特に、ペンシルベニアの新聞はほぼフランクリンの独占状態だったので、その影響力は計り知れなかった。また、しばしば自分の考えを公にできたのも、自前のメディアがあればこそだった。
ただしそれも、説得力ある文章を書けることが前提になる。そして、必ず公共の利益につながる内容であることにも注目していただきたい。メディアの活用はあくまで手段であって、フランクリンの目的は、どこまでも公益を図ることだった。
☆非難中傷に加担しない
フランクリンは、バッシングの類の記事は一切新聞に掲載しなかった。そうした記事が持ち込まれると、彼は決まってこう答えたという。
「お望みなら、いくらでも刷ってあげよう。あなたはそれを自分で配ればいい。私は、読者に関係ない個人的な争いを掲載するわけにはいかない」
そして彼自身も、新聞を政治的な攻撃のために用いることはなかった。もし、彼がその影響力を個人的に活用したなら、合衆国の独裁者となることも可能だったろう。しかし、彼はどこまでも温和なまとめ役に徹し、最後まで人々の賢明な召使であり続けたのだった。
◇天才の思想◇
☆来世と因果応報を信じる
フランクリンは教条的な説教を嫌い、公の礼拝にはほとんど出席しなかったが、篤い信仰心の持ち主だった。自ら祈祷文を作成し、私的な祈りを怠らなかった。
彼は、「善にせよ悪にせよ、人に与えたものは今世ないし来世に還ってくる」という法則が、あらゆる宗教の本質だと信じて疑わなかった。こうした思想はキリスト教にはやや希薄で、むしろ仏経と一致する。どの宗派にもそれなりの良さがあると考え、寄付を拒むことはなかった。
こうした思想があったからこそ、彼は、生涯を通じて熱心に「より大きな善を為す」ことに尽力したのだった。ここが分からないと、フランクリンがどうして公益のために人生を捧げたのか、決して理解できないだろう。
☆身につけたい徳を、一度にではなく、ひとつずつ習慣化する
そして、これは非常に有名だが、フランクリンは道徳的に完成された人間を目指し、独自に13の戒律を作成した。それは次のような徳目だった。
①節制 暴飲暴食を避ける。健康の極意
②沈黙 余計な一言が失敗を招く
③規律 ルール・法律を守る。感情に流されない
④決断 為すべきことを速やかに実行する。成功の極意
⑤節約 無駄遣いを戒める
⑥勤勉 よく働き、よく学ぶ
⑦誠実 偽りやごまかしを避ける。信用を築く極意
⑧正義 他人の利益を損なわない。社会生活の鉄則
⑨中庸 全てバランス。調和は成功。極端は破滅
⑩清潔 病気を防ぐ極意
⑪平静 重大な場面ほど、平常心が必要
⑫純潔 過度の欲求に溺れない。自分も周りも破滅する
⑬謙譲 イエスやソクラテスに倣う。模範人物を真似る
もちろん、これらの徳はひとつひとつが計り知れないほどの深い意味を持つ。本当はひとつずつ詳しく触れたいが、ここではとりあえず、「たった二文字の題目に全てが込められている」とだけ述べておこう。
フランクリンが独特なのは、これを一度にではなく、
「まずひとつの徳目に的を絞って自分に刷り込み、これを習慣化してから、次の徳を身につけるようにする」
というやり方にある。僕はこの手法を、仮に「習慣革命法」と呼んでいる。
人間は、一度にいろいろなことを覚えられないものである。そして、人間は習慣の奴隷である。こうした人間の欠点を逆用し、無理なく人間革命してしまおうというメソッドなのだ。
この方法は、人格形成に限らず、健康管理、ビジネス、スポーツなど、あらゆる分野における向上のステップとして極めて有効だろう。カーネギーやフォードも、大きな問題は細分化して解決するように勧めているが、例えば「成績を上げる」という目標がある場合、まずはひとつの教科に的を絞る。成績が良いのも悪いのも、習慣であり、癖なのだ。
そして、これは重要なポイントだが、「一番困難なところから手をつける」ことが大切。仮に数学が苦手だとしたら、数学の基礎を固め直し、地力をつけることに集中する。苦手というのは、実は一番飛躍の可能性が大きいことの裏返しでもある。
そして、最大の苦手さえ克服できれば、他は比較的スムーズに改善できる。結果として、最も早く劇的な成果を上げることができる。このやり方は、僕が家庭教師として受験指導で成功してきた裏付けがあるので、間違いない。
整理すると、こうなる。
①自分の習慣や癖を、できるだけ多く書き出す
②より「ひどい」順番に並べる
③まず、一番の悪習を集中的に改善する
④それがある程度改善されたら、次に悪い習慣を集中的に改善する
⑤それを繰り返していく
⑥全体の改善度を定期的にチェックする
フランクリンは最初から、この習慣革命法を自ら実践するのみならず、刊行して世間一般に広めることを考えていた(後に自伝で公開される)。だからあえて、特定の宗派に近すぎるような徳目は取り除き、極限まで厳選された普遍の徳目のみが残された。
それというのも、こうした古き善き徳が来世のみならず、現世にさえ計り知れない報いをもたらす事実を、彼は自分自身の人生で体験したからに他ならない。事実、フランクリンの人生は、習慣革命法を実践し始めた時期から好転している。
そして、これらの徳を人々が保つことで初めて、資本主義社会は健全に繁栄すると、フランクリンは固く信じていた。実際、人々はたとえば「節制」の徳に欠けているばかりに寿命を縮め、「節約」の徳がないばかりに借金を重ねている。
独裁主義でも封建主義でも資本主義でも社会主義でも、社会にとって最大の悲劇は、モラルのない人物が影響力を握ることにある。つまり、「正義」の欠如である。某将軍様や、某プレジデントを見ればお分かりだろう。制度を問わず、モラルがないことは、リーダーにとって無能であること以上の欠陥なのだ。
自由経済の元では、誰もが大富豪になるチャンスを秘めている。だが、彼がその富を公益のために用いることを、システムは保証してくれない。ビンラディンは、その有り余る富を、無差別テロのために用いた。
資本主義の育ての親として名高いフランクリンだが、その彼が、万人の習慣革命を資本主義の前提条件と考えていた事実を、今改めて認識すべきではないだろうか。
私は、この人生を繰り返すことに少しの異存もない
ベンジャミン・フランクリン
★フランクリン関連書★
☆天性の才能を磨く
フランクリンが持って生まれた財産といったら、文才くらいのものだろう。物心ついたときから読み書きができ、8歳で最初に入ったラテン語学校では、すぐ首席になっている。
印刷所に勤めてからは、必然的に正しい文法が身についたし、暇を見ては気に入った文章を書き出し、後で原文と比べて間違いを訂正したりした。もちろん、読書はおおいに役立っただろう。詩を書くのも、語彙を増やすためだった。
決して天性だけではない。不断の訓練あればこそ、天性の文才も花開き、20歳そこそこにして、教養人顔負けのしっかりした文章が書けるようになったのだ。この文章力がなければ、フランクリンは決してこれほどの成功を収められなかっただろう。
まず、どんな環境であれ、自分の才能を磨き上げること。それが一切の基盤になる。
☆「Yes,bad」の話術を用いる
フランクリンは、断定的に自説の正当を主張したり、逆に相手の意見に反対するようなことは、一切しなかったという。それはたとえ自分が正しくても、相手との間に感情的なしこりを残し、議論には勝っても望ましい結果を得られないことが多いからだ。
もともと彼はディベートに長けていて、相手が正しいと思われるときでさえ、自説を納得させることが得意だったが、後にそれも改め、「私はこう考える」といったように、やんわりと自説を提案し、判断を相手に委ねるという手法を用いた。いわば、話しながら相手を教導するのだった。
こうしたやり方では、相手は最終的に自分の考えで判断するので、満足してフランクリンに賛同することができる。実際、この方法を用いるようになってから、彼の計画はますます順調に実現された。フランクリンは、この話術を繰り返し人々に勧めている。
☆メディアで世論を喚起する
フランクリンは、もともと兄のもとで新聞発行を手伝っていた経験もあったのだが、まだ印刷事業が軌道に乗らないうちから、地元の新聞『ペンシルベニア・ガセット』を買収している。いち早く「自前のメディア」獲得に成功したことこそ、フランクリンの影響力の源だった。
彼は寄付を募る場合、あらかじめ新聞でその必要性を論じ、世論を喚起するのを常としていた。特に、ペンシルベニアの新聞はほぼフランクリンの独占状態だったので、その影響力は計り知れなかった。また、しばしば自分の考えを公にできたのも、自前のメディアがあればこそだった。
ただしそれも、説得力ある文章を書けることが前提になる。そして、必ず公共の利益につながる内容であることにも注目していただきたい。メディアの活用はあくまで手段であって、フランクリンの目的は、どこまでも公益を図ることだった。
☆非難中傷に加担しない
フランクリンは、バッシングの類の記事は一切新聞に掲載しなかった。そうした記事が持ち込まれると、彼は決まってこう答えたという。
「お望みなら、いくらでも刷ってあげよう。あなたはそれを自分で配ればいい。私は、読者に関係ない個人的な争いを掲載するわけにはいかない」
そして彼自身も、新聞を政治的な攻撃のために用いることはなかった。もし、彼がその影響力を個人的に活用したなら、合衆国の独裁者となることも可能だったろう。しかし、彼はどこまでも温和なまとめ役に徹し、最後まで人々の賢明な召使であり続けたのだった。
◇天才の思想◇
☆来世と因果応報を信じる
フランクリンは教条的な説教を嫌い、公の礼拝にはほとんど出席しなかったが、篤い信仰心の持ち主だった。自ら祈祷文を作成し、私的な祈りを怠らなかった。
彼は、「善にせよ悪にせよ、人に与えたものは今世ないし来世に還ってくる」という法則が、あらゆる宗教の本質だと信じて疑わなかった。こうした思想はキリスト教にはやや希薄で、むしろ仏経と一致する。どの宗派にもそれなりの良さがあると考え、寄付を拒むことはなかった。
こうした思想があったからこそ、彼は、生涯を通じて熱心に「より大きな善を為す」ことに尽力したのだった。ここが分からないと、フランクリンがどうして公益のために人生を捧げたのか、決して理解できないだろう。
☆身につけたい徳を、一度にではなく、ひとつずつ習慣化する
そして、これは非常に有名だが、フランクリンは道徳的に完成された人間を目指し、独自に13の戒律を作成した。それは次のような徳目だった。
①節制 暴飲暴食を避ける。健康の極意
②沈黙 余計な一言が失敗を招く
③規律 ルール・法律を守る。感情に流されない
④決断 為すべきことを速やかに実行する。成功の極意
⑤節約 無駄遣いを戒める
⑥勤勉 よく働き、よく学ぶ
⑦誠実 偽りやごまかしを避ける。信用を築く極意
⑧正義 他人の利益を損なわない。社会生活の鉄則
⑨中庸 全てバランス。調和は成功。極端は破滅
⑩清潔 病気を防ぐ極意
⑪平静 重大な場面ほど、平常心が必要
⑫純潔 過度の欲求に溺れない。自分も周りも破滅する
⑬謙譲 イエスやソクラテスに倣う。模範人物を真似る
もちろん、これらの徳はひとつひとつが計り知れないほどの深い意味を持つ。本当はひとつずつ詳しく触れたいが、ここではとりあえず、「たった二文字の題目に全てが込められている」とだけ述べておこう。
フランクリンが独特なのは、これを一度にではなく、
「まずひとつの徳目に的を絞って自分に刷り込み、これを習慣化してから、次の徳を身につけるようにする」
というやり方にある。僕はこの手法を、仮に「習慣革命法」と呼んでいる。
人間は、一度にいろいろなことを覚えられないものである。そして、人間は習慣の奴隷である。こうした人間の欠点を逆用し、無理なく人間革命してしまおうというメソッドなのだ。
この方法は、人格形成に限らず、健康管理、ビジネス、スポーツなど、あらゆる分野における向上のステップとして極めて有効だろう。カーネギーやフォードも、大きな問題は細分化して解決するように勧めているが、例えば「成績を上げる」という目標がある場合、まずはひとつの教科に的を絞る。成績が良いのも悪いのも、習慣であり、癖なのだ。
そして、これは重要なポイントだが、「一番困難なところから手をつける」ことが大切。仮に数学が苦手だとしたら、数学の基礎を固め直し、地力をつけることに集中する。苦手というのは、実は一番飛躍の可能性が大きいことの裏返しでもある。
そして、最大の苦手さえ克服できれば、他は比較的スムーズに改善できる。結果として、最も早く劇的な成果を上げることができる。このやり方は、僕が家庭教師として受験指導で成功してきた裏付けがあるので、間違いない。
整理すると、こうなる。
①自分の習慣や癖を、できるだけ多く書き出す
②より「ひどい」順番に並べる
③まず、一番の悪習を集中的に改善する
④それがある程度改善されたら、次に悪い習慣を集中的に改善する
⑤それを繰り返していく
⑥全体の改善度を定期的にチェックする
フランクリンは最初から、この習慣革命法を自ら実践するのみならず、刊行して世間一般に広めることを考えていた(後に自伝で公開される)。だからあえて、特定の宗派に近すぎるような徳目は取り除き、極限まで厳選された普遍の徳目のみが残された。
それというのも、こうした古き善き徳が来世のみならず、現世にさえ計り知れない報いをもたらす事実を、彼は自分自身の人生で体験したからに他ならない。事実、フランクリンの人生は、習慣革命法を実践し始めた時期から好転している。
そして、これらの徳を人々が保つことで初めて、資本主義社会は健全に繁栄すると、フランクリンは固く信じていた。実際、人々はたとえば「節制」の徳に欠けているばかりに寿命を縮め、「節約」の徳がないばかりに借金を重ねている。
独裁主義でも封建主義でも資本主義でも社会主義でも、社会にとって最大の悲劇は、モラルのない人物が影響力を握ることにある。つまり、「正義」の欠如である。某将軍様や、某プレジデントを見ればお分かりだろう。制度を問わず、モラルがないことは、リーダーにとって無能であること以上の欠陥なのだ。
自由経済の元では、誰もが大富豪になるチャンスを秘めている。だが、彼がその富を公益のために用いることを、システムは保証してくれない。ビンラディンは、その有り余る富を、無差別テロのために用いた。
資本主義の育ての親として名高いフランクリンだが、その彼が、万人の習慣革命を資本主義の前提条件と考えていた事実を、今改めて認識すべきではないだろうか。
私は、この人生を繰り返すことに少しの異存もない
ベンジャミン・フランクリン
★フランクリン関連書★