鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出 にほんブログ
28.馬で塩を運ぶ
慶長6年(1601)最上の将、志村伊豆守が東禅寺城主となり、
亀ヶ崎から清川対岸の荒興屋もで陸路を整備し、
荒興屋に船場を作った。
これは年貢塩を運ぶためと言われている。
最上義光の時代、川北浜通り塩窯28個、
慶長8年、年貢塩2斗入り95俵を運んでいる。
松の木を植える以前の風景。
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↓日々撮った写真を紹介します。
酒田市松原南 梅津氏の作品
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五十嵐豊作集160枚を日替わりにて掲載している絵は、
故五十嵐豊作先生の御遺族のご厚意により掲載して居ります。
尚、この絵の説明文は追憶の鵜渡川原画集より抜粋して、
忠実に掲載しており、歴史についての調査等は一切行っておりません。
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