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ホームレスが路上生活始める意外すぎる事情

2018年07月01日 | 政治社会問題
ホームレスが路上生活始める意外すぎる事情
7/1(日) 5:00配信 東洋経済オンライン
ホームレスが路上生活始める意外すぎる事情
和歌山県・白浜の三段壁(筆者撮影)
ホームレス。いわゆる路上生活をしている人たちを指す言葉だ。貧富の格差が広がる先進国において、最貧困層と言ってもいい。厚生労働省の調査によると日本のホームレスは年々減少傾向にあるものの、2017年1月時点で約5500人(うち女性は約200人)もいる。そんなホームレスたちがなぜ路上生活をするようになったのか。その胸の内とは何か。本連載はホームレスを長年取材してきた筆者がルポでその実態に迫る連載の第5回。

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■野宿生活者になる「引き金」

 先日、和歌山県は白浜の景勝地、三段壁に行ってきた。三段壁は高さ50~60メートルにも及ぶ断崖絶壁で知られている。

 平日の昼過ぎに訪れたのだが、かなりたくさんの観光客がいた。家族やカップルで来ている人は多いし、海外から来たとおぼしき外国人旅行者もたくさんいた。観光客向けの食堂も盛り上がっている。三段壁は恋人の聖地と呼ばれている。それにあやかったグッズなどを販売しているお店も多い。

 この崖のことは、大阪・西成で出会ったとある人から教えてもらった。三段壁は、彼が野宿生活者になるターニングポイントになった場所だったのだ。

 野宿生活者へのインタビューで最も定番な質問の1つが、

 「どういうキッカケでホームレスになったんですか?」

 というものである。

 「借金がかさみ、家賃を滞納して立ち退きさせられて……」というのが根底の原因である場合が多い。しかし借金まみれの生活をしていても結果的にほとんどの人は野宿生活者にはならない。「野宿生活者になる『引き金』はなんだったのか?」。これに対して最も多い答えは、

 「いつの間にかなっていた」

 というものだった。野宿生活者はもともと日雇いの肉体労働者だった人が多い。日雇い労働を受け付けているドヤ街などで仕事をえる。宿とメシがついた飯場仕事が見つかったときはもちろん仕事の合宿所で寝起きする。仕事がないときには、ドヤ(簡易宿泊所)を借りて生活する。仕事がないときもドヤを借りっぱなしにする人もいるし、長く離れるときはいったん退出する人もいる。

 冬場は屋根のあるところで寝ないと命にかかわるが、暖かい季節はそこらで寝てしまっても命には別状がない。特に酒を飲む人は酔っ払ったまま、そのまま路上や公園で寝てしまう。


ドヤで寝たり、外で寝たりを繰り返し、徐々に外で寝る回数が増えて、いつの間にか野宿生活者になってしまった。そう語る人が多かった。「こんなはずじゃなかったんだけどなー。おかしいなあ」なんて酒を飲みながら笑って言うお爺さんもいた。

 つまり「今日から野宿生活をするぞ!!」という感覚はなく、段階的に野宿暮らしの割合が濃くなっていった人が多いのだ。

 「財布を落としたからホームレスになったんだ」

 という人もいた。ちょっと信じられない回答だと思うかもしれないが、この答えを聞いたのは実は一度ではない。今までに、3人もこの回答をいただいた。改装される前の渋谷の宮下公園に住んでいたオジサンは、

 「知り合いがこの公園でホームレスをやってたんだ。で、大丈夫かな? と思って見舞いに来たの。お酒持って。で、2人で飲んで目が覚めたら財布がなくなってたんだ。あちゃーってなった」

 と語った。

 「あちゃー」ってなるのはわかるが、それで野宿生活者にならなくてもいいではないか? と思う。

 「財布には免許証が入っててね。俺トラックの運転手やってたから免許証なくしたら仕事にならねえんだ。会社に報告したらすごい渋い顔されてさ。手続きが大変だとか、なんだとか嫌味を言われて。『だったらめんどくさいから辞めてやらあ!!』ってケンカして辞めたんだ。それで行く場所もないからホームレスになったんだ」

 野宿生活を回避するチャンスはいくつもあったと思うのだが、彼は結果的に野宿生活者になった。もう1年以上公園で暮らしているという。先に野宿生活をしていた知り合いはどうされたんですか? と聞くと、

 「俺が見舞いに行ったすぐ後に、福祉を受けてアパートに住み始めたよ。今はちゃんと仕事もしてるみたい。たまに見舞いに来てくれるよ。俺と入れ替わりだな、わはははは!!」

 と笑う。笑いごとじゃない気がするが、本人はなぜかさほど苦にもしていないようだった。もともと仕事は辞めたかったからちょうど良かったんだ、とタバコを吸いながらつぶやいた。


■河川敷で野宿生活している夫婦

 もう1つ、たまにあるパターンは、

 「新居で犬を飼えないって言われたので」

 というものだ。

 多摩川河川敷で取材をしていると、夫婦で野宿生活をしている人がいた。まだ30歳そこそこという若さだった。奥さんの手にはロープが握られていて、ロープの先には芝犬がいた。そこそこの老犬で人懐っこい。

 「仕事で問題があって、家賃を払えなくなって、家を出て行かなくちゃならなくなって……。親戚に頼んだんだけど、どこも住まわせてくれなくて。生活保護を取れば家を借りられるって話になったんだけど、ペットは絶対飼えないって言われたんですよね」

 周りの人からは、保健所に持ち込むことを勧められたという。

 2013年の環境省動物愛護管理室調べによると、年間約3万7000頭近くが飼い主から保健所に持ち込まれる。収容されたほとんどのペットは殺処分される。

 「もう15年以上飼ってる犬だからね。家族だから、殺すなんてことは絶対できなくて。でも引取先も見つからないし、とりあえずアパートに住むのはあきらめて河川敷に住み始めたの……」

 そう言うと奥さんは芝犬を見た。芝犬はのんきにパタンパタンと尻尾を振った。それ以来もう半年も河川敷で生活しているという。家がないと就職先を見つけるのもとても難しくなる。人間としてはこの夫婦の判断は正しいのかもしれない。とても優しい判断だ。しかし優しいがゆえに困窮から抜け出せない。なんとも歯がゆく胸が痛くなった。

■三段壁がターニングポイント

 さて、冒頭の三段壁がターニングポイントになったオジサンに話を戻す。僕は何人もの野宿生活者に話を聞いてきたが、かなり珍しいケースだった。

 5年ほど前の冬、僕は大阪のドヤ街・西成を訪れた。センターと呼ばれる巨大施設の前の道路で布団にくるまり横になっているオジサンに話しかけた。歳の頃は60前後だろうか。七三分けにした髪型をしてまじめそうなメガネをかけていた。色も白く、西成の日雇い労働者っぽくはなかった。


「おお、ホームレスになったキッカケかい?  ちょっと長くなるから、布団に上がったら良いわ」

 と僕を布団の上に座らせてくれた。ウエルカムで話を聞かせてくれるのも珍しい。布団の上で正座して、じっくりと話を伺う。

 「もともとは四国のほうで運送業をしてたんや。奥さんと2人暮らしでな。まあ派手さはない生活やけど、幸せでしたわ」

 そんなある日、奥さんに病魔が襲った。脳梗塞で倒れたのだ。そして左半身が麻痺してしまった。

 「それから8年間介護しながら暮らした。正直生活はとても大変やったけど、それでも生きていてくれて本当に良かった」

 そして8年後、奥さんは先立ってしまった。

 「それが2年前やね。20年間連れ添った嫁がいなくなって、本当に寂しくなってしまってな。もうガックリ気力が削がれてしまった。何やっても寂しいしつまらない、味気ない。それでも頑張って2年間生きてきたけど、もういいやろ、と思って三段壁に行ったんや」

 そのとき、僕ははじめて三段壁の存在を知った。

 「福井の東尋坊と同じような場所やね。平たく言えば崖や。関西の人は三段壁に行って人生を締めくくるんやわ」

 オジサンは自殺をするために三段壁に向かったと語る。崖の景勝地は、自殺のスポットになりがちだ。三段壁は「恋人の聖地」と呼ばれてカップルや夫婦に人気だが、もともとは、1950年に心中したカップルが巨石に口紅で「白浜の海は、今日も荒れてゐる」と書き残したというエピソードが始まりだ。

 昔に比べて自殺する人は減少傾向にあるらしいが、それでもいまだに飛び降りる人はいるという。

■人がいなくなるのをジッと待っていたら…

 「もちろん本気で飛び降りようと思って行ったんよ。でも、結構な数の観光客がいたんや」

 たしかに僕が足を運んだ日にも平日にもかかわらずかなりたくさんの観光客がいた。恋人の聖地だからカップルや夫婦で記念写真を撮っている人もいた。

 「そんな人たちの前で飛び降りたら、悪いでしょ?  子どもなんか飛び降りの現場見たら心に傷が残るかもしれないし……」

 オジサンは備え付けのベンチに座って人がいなくなるのをジッと待ったという。すると2人組の男性に話しかけられた。

「自殺を止める運動をしてるボランティアの人やった。『自殺しようとしてませんか?』って問い詰められたわ。『自殺者は旅行客とは服装や荷物が違うし、何より顔つきが違うからすぐにわかるんだ』って言われた。自分では普通にしてたつもりやったんだけどね。やっぱり目が死んでたのかもわからんね」

 話しているうちに市役所の人もやって来て、半強制的にその場から自動車で移動することになった。そしてとある施設へ案内された。

 「自殺をしようとした人たちで共同生活する施設やった。30人くらいの男女が生活してたかな」

 流れ上、断ることもできず入居した。生きていくのに不自由はなかったが、自殺志願者が生活するのが前提だから生活にプライバシーがほとんどないし、何より知らない人ばかりの中での生活は非常に気疲れした。生活するうちに自殺をする気は削がれていたが、でもこのままその施設で暮らしていく気にもなれなかった。

■ドヤ街の西成へ

 「その施設で知り合ってウマがあった京都の男の人がいたんやけど、その人に『俺は車で来てるから一緒に出ていかないか?』って誘われた」

 男性は、

 「ここに住んでいてもラチが明かない。大阪の西成に行けば仕事があるだろう。そこでカネを稼いで次の手を考えよう」

 と言った。そしてその話に乗り、男性の自動車で大阪の西成にやってきた。それが筆者がオジサンに話を聞く2カ月前のことだった。

 「彼は2~3日、西成で生活したら、急に里ごころがついたみたいや。『やっぱり俺は京都にいる家族の元に帰るわ。あとは元気にやれよ』って言って帰っていったわ」

 オジサンは1人でドヤ街の西成に残されてしまった。持っていたおカネは少額ですぐに底をつきてしまった。今のドヤ街はそう簡単におカネが稼げるほど甘くない。

 「何回かは肉体労働もしたんよ。でもこの歳だし、今までやったことないからキツくて……。1回仕事をすると体が痛くて眠れん。そもそもそんなに定期的には仕事がない。で結局、こうやって路上に寝ることになったわけや。今は公園でやってる炊き出しに並んで飯を食べてギリギリ生きてる感じやな。

 もうすぐ嫁の3回忌やから、四国に帰らなきゃならんのだけど、炊き出しで糊口をしのいでいる状態では無理やわな。事情が事情だからあいつも我慢してくれるやろ……」



とオジサンはニコッと笑った。自嘲的な笑いではなく、なんだかあきらめた笑いだった。何か声をかけなくちゃと思ったが、何を言ったら良いのかわからない。

 「これから何をしたいですか?」

 実に月並みなつまらない質問をした。

 「これからかあ。あんまり考えてなかったんやけど。そうやな、最後に人様の役に立ちたいわ。どこかの病院でこの体を人体実験に使ってくれないやろか?  もう、どう使ってもらっても、バラバラにしても良いから。そうすればこの人生も意味があったと思えるんやけどな……」

 僕は今度こそ何も言えなくなってしまった。

 ホームレスを取材していると優しい人によく出会う。優しい人には幸せになってもらいたいが、そうとは限らないのが世知辛いところなのだ。三段壁の景勝を眺めながらオジサンが今も元気に暮らしているといいのにな、と思った。

村田 らむ :ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター



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